第二十話 五俵の掛け
永禄九年の七月に入ると、倉の戸を開ける刻限が早くなった。
日が高くなってからでは、庭の土まで熱を持つ。晴れが続く日は、朝の荷を出す間に戸を大きく開けた。床下には別に風の抜ける隙間があり、そこへ溜まった藁屑は清吉が掻き出している。
久蔵は戸口の敷板へ触れてから、中の俵を見た。
「雨続きでも、この刻限に開けるの?」
「その時は外の湿りを見ます。開ければ乾くとは限りません。まず、濡れた物を入れないことです。昨日使った筵も、乾かしてから戻してください」
私は庭に立てた筵を確かめ、覚えの紙を持つ場所を変えた。ここへ立っていては、風より先に、荷を持つ庄吉を塞いでしまう。
中から庄吉が俵を押し出してきた。肩へ担ぎ上げる前に、一度、膝へ載せる。薄茶の小袖は背中まで汗で色が変わり、首へ掛けた麻布の端に、米の白い粉が付いていた。
「これで四つ」
「あと一つ。右の奥の、印が同じもの」
「分かってる」
庄吉が戻っていくと、戸口が空いた。私はすぐにはそこへ寄らず、庭で待つ又八へ、今出した俵の印を見せた。
湖の東の、矢島に近い家へ送る米だった。春に初めて訪ねてから、同じ家へ何度か米を出している。五俵で足りるときもあれば、又八が次の使いで二俵足していくこともあった。いと殿は、泊まり客が減ると早めに知らせてくれた。
四俵を残して声を掛けてもらうやり方は続いていたが、五俵ずつ買うという話は、そのつど変わった。米の減り方に合わせると、使いが坂本へ来る日も少しずつずれる。私は届いた文の脇へ、次の返事を出す日を書いていた。
又八が俵の縄を確かめ、顔を上げた。
「清兵衛殿は、おられるか」
「奥に。呼んできます」
「宗助にも聞いてもらいたい」
又八は、銭の袋をまだ出していなかった。
*
「米を先に頂いて、代は六日後に持ってまいりたい」
父の前へ座ると、又八はそう切り出した。
土間の上がり口には、昼の光を遮るために筵を下げていた。裾が風に動くたび、又八の膝へ明るい筋が差す。又八はその裾を押さえ、背後の庭を見た。五俵はもう、運び出せるよう並んでいる。
私は、書きかけの受け取りを脇へ寄せた。
「御主人のお申し付けですか」
父が尋ねた。
「はい。米代だけは、六日待っていただけないかと」
又八が弥三郎殿の文を出した。受け取りにその名は何度も書いたが、本人の筆を見るのは初めてだった。
又八の話では、家で売った品の代が、まだ手元へ届いていないという。その間に旅の支度で銭が出た。米が尽きたわけではない。ただ、今日の舟と運び手を逃すと、改めて頼まなければならない。
「売った品の代が遅れたら、米代も遅れますか」
私が尋ねると、又八は首を振った。
「六日後には、ほかの銭からでも払う。そう聞いてきた」
「売った品の代が遅れた場合の銭は、どちらから」
私が重ねて聞くと、又八は、田から入った米を売った分を家で残してあると答えた。近く旅の用に回すつもりだったが、六日後にはそこから払えるという。
前の世で融資の仕事をしていたときも、相手の評判と、返す金の出どころは分けて確かめた。立派な人物でも、入るはずの金が入らなければ払えない。将軍家の御用で後に取り立てられるはずだ、という話だけなら、父に売ろうとは言えなかった。
父は文を読み、私へ渡した。
約束の日が書いてあった。米を買うのは弥三郎殿の家で、支払いの使いを務めるのが又八。光秀の名はなかった。
私は庭の米を見た。今までの取引では、代を受け取ってから渡している。一度だけ順を変えれば、又八が銭を取りに戻る間も、米と舟を待たせずに済む。
掛けで売ること自体は、父の店でも珍しくなかった。私はその勘定を何度も書いている。それでも、いつから掛けにするかを、目の前で決める席に加わるのは初めてだった。
父は又八に少し待ってもらい、私と奥へ入った。
「あの家には、幾ら残っている」
「今までの分は、全部頂いてる」
「今日の五俵を出したら」
「米代は千四百文。それが六日、戻らない。今日払う浜までの手間は、別にもらう」
父は頷き、次の仕入れを書いた紙を机へ置いた。
私は金額と日を追った。六日後より前に、北から買う米の残りを払う。その分を取っておいても、今日の米代を待つ余地はあった。ただし、同じ頼みをもう一軒から受ければ、話は違う。
「六日では戻らず、次の仕入れまで待つ場合も、足りる。ただ、秋まで残ったら、仕入れの数を減らすことになる」
私は二つの日に印をつけた。紙の上で、予定の入金をいったん消す。どの日に銭が足りなくなるかを確かめてから、父を見た。
「この五俵なら、出せると思う。あの家は、今までも文に書いた日に使いをくれた。米の数を減らすときも、先に知らせてくれたし。今回は五俵だけで、先の代を頂くまでは次を掛けにしないなら」
「又八は、困った話をお前にするようになったな」
「うん」
それを嬉しいと思っていることまで、父には伝わったらしかった。
「お前が聞いてきたことも、値打ちのうちだ。それで決める。うちが待てるのは、この五俵までだぞ」
「ほかの御所向けの家から掛けを頼まれたときも、この千四百文がまだ戻っていないことを、忘れずに考えたい」
私が言うと、父は立ちかけた腰を戻した。
「御所へ出入りする家を、ひとまとめにして見るのか」
「義秋様が動けば、どの家も一度に旅の銭が要るから。名前が違っても、入ってくるはずの銭が、同じときに止まるかもしれない」
前の世なら、業種や大口の取引先まで見ていた。ここで並べるべきなのは、同じ御所へ出入りする家々の名だった。
父は、客ごとに分けた覚えへ目を落とした。
「なら、ほかの家へ待つ約束をするのは、この米代が戻ってからだ。店の銭は、客の名ごとに増えるわけではないからな」
私は弥三郎殿の覚えを、手前へ寄せた。
父が先に土間へ戻る間に、私は掛けの帳面を開き、弥三郎殿の名と支払いの日を書いた。
*
六日後の昼前、約束の銭は届いた。
又八は来なかった。代わりの使いが、弥三郎殿の文と袋を差し出した。私は文にある額と銭を確かめ、受け取りを書いて渡した。
銭を束ねた紐の切り口が、指へ当たった。
帳面にある千四百文を、払い済みと記す。いつもなら次の行へ進むところで、その日は少し手が止まった。約束を信じて出した米の代が、今、目の前にある。私が何かを作り出したわけでもないのに、父へ見せにいきたくなった。
父はもう見ていた。
「受け取ったなら、北の米の分と一緒にしないでくれ。今日は紙屋へ払うものがある」
「分かってる」
口から出た返事が、朝の庄吉と同じだった。
使いが帰ると、私は銭を分けた。紙を扱う量も、春より増えている。光秀から来た注文だけでなく、あの紙を見た別の客に、同じものを頼まれることがあった。米と違い、軽いから運ぶ手間が掛からないと思ったこともあったが、雨に濡らさず、角を傷めず届けるには、それなりの包みが要った。
包む紙まで買えば、売った紙の儲けは薄くなる。
母が繕ってくれた古布を、私は荷の外へ回した。見えるところの継ぎ目が少し曲がっている。私が縫ったところだった。
「そこ、もう一度ほどこうか」
母が覗き込んだ。
「ほどかなくていい。荷に使うんだから」
「私が縫ったと思われるでしょう」
私は布を裏返した。母が笑い、持ち上げた端を押さえてくれた。
*
その月の終わり近く、光秀が店へ寄った。
前もって知らせのあった訪問で、父が外の用から戻るころには、私も頼まれていた紙を揃えていた。光秀は供の者に荷を預け、自分では小さな包みを一つ、脇に抱えている。
戸口で汗を拭ってから、いつもの場所へ腰を下ろした。
「又八のところは、続いておるそうだな」
「はい。この前は、米を先にお渡ししました。代は約束の日に」
「そうか」
光秀はそれ以上、銭のことを尋ねなかった。父が茶を頼みに奥へ声を掛ける間に、脇の包みを私へ寄せた。
「これを、しばらく置いてもらえぬか」
浅葱色の布を開くと、書物が二冊あった。以前、京の樋口屋から運んだもののうちの二冊だった。厚い方の綴じ糸に、一か所だけ新しい色が交じっている。樋口屋で見たときにはなかったものだ。
「また、京へお持ちしますか」
「京で置く先が決まったら頼む。今は持ち歩く用がない」
「京へ入られる話は、進んでいるのですか」
「八月には、という話で使いが出ておる。織田殿も兵を出す支度をされると聞いた」
私は顔を上げた。春には、まだ日が決まらないと言っていた。
「では、この書物も、すぐに」
「わしらが落ち着いてからでよい。先に着いて、置き場がないと困る」
光秀は父の方へも顔を向けた。
「使いが増える。文に使う紙も、頼むことになろう」
父は、次に紙屋へ行く日に間に合えば一緒に相談すると答えた。私は脇の覚えへ書き足した。光秀から聞く京の話が、初めて、来月の仕入れに重なった。
光秀は重い方の表紙を指で押さえた。
「置くところを変えるたびに、何を持っていくかで揉める。最後まで残るのが、たいていこいつらだ」
「お読みになるのなら、お持ちになった方が」
「持っていけば読めると思ってな。持って歩いておるうちに日が暮れる」
私は少し笑った。光秀も笑い、二冊を重ね直した。
頁の間から、細く切った紙が幾本かはみ出していた。どこかの書き損じらしく、端に墨の跡がある。私はそれを抜かず、挟まっているところを確かめてから布を戻した。
父と、置いておく期間が延びた場合のことを話した。まずは九月の末まで。取りに来る者が本人でなければ、誰へ渡すかを文で知らせてもらう。私は二冊の見分けを書き、光秀にも見てもらった。
「この家で困るようなら、早めに言ってくれ」
「母屋の棚を空けます。紙を置いてあるところです。ただ、急に持ってこいと言われると、すぐには人を出せないことがあります」
「そこまで言うようになったか」
父が口を挟んだ。
「前に、この者が先に走り出しましたので」
「京のときか」
光秀が私を見た。私も頷くしかなかった。
光秀は紙を受け取り、懐へ収めた。話が終わったと思ったところで、膝の上の手を止めた。
「もし、わしの文がしばらく来ぬことがあっても、誰かれとなく居所を尋ねて歩くな」
私は布の端を持ったまま、顔を上げた。
「御用が、変わるのですか」
「変わらぬように、動いておる者もいる。わしから知らせる。届く先を確かめてから出してくれれば、それでよい」
光秀の声は、先ほどまでと同じだった。父が横から、承りましたと答えた。
私は二冊を抱え、母に空けてもらった棚へ置きにいった。米の倉では湿りが気になったので、母屋の奥にした。自分の覚えを脇へ寄せれば、包みはぴたりと収まった。
*
八月に入ってまもなく、三好方の兵が坂本へ出たという報せが町を走った。
久蔵は、浜へ運ぶはずの俵を担いだ男を呼び戻した。表の戸は閉め、荷を脇道へ回す。父は庭脇の木戸を開け、戻ってくる者を待った。庭へ置いたままでは、開いた木戸から米が見える。私は庄吉と一緒に倉へ戻し、すぐには出さない分の奥へ収めた。
「庄吉、あと何人だ」
「一人。浜で縄を取ってます」
父は木戸を閉め切らず、人一人が通れるだけ開けておいた。
「米が見えれば、まずここへ来る。兵の飯に借りると言われたら、どこの誰が払うのかも分からぬまま、渡すことになる」
父は、倉から戻った庄吉を庭の内側へ寄せた。
「値をつけて売れるうちの商いとは違う。今日は外へ出すな」
通りを走る足音がした。私は木戸の隙間を見たが、脇道を横切る誰かの背が一瞬通っただけだった。三好方だという話は聞いても、その男が兵なのか、浜から逃げる人なのか、見分けがつかなかった。
母が竈の火を落とした。火を残しておけば、そこを見る者を一人置かなければならない。家の誰も、今は炊事場に留まれなかった。
清吉は表へ回り、父に言われた戸の掛け金を確かめた。肩が戸板へぶつかり、大きな音がした。弟は振り返ったが、父は叱らず、閉まったなら奥へ入れと言った。
「俺も、そっちを」
「お春といてくれ」
清吉は土間の荷へ目をやり、奥の板敷へ上がった。お春は母に渡された衣の包みを抱えていた。さっきまで、どこへ行くのかと繰り返していたのに、弟が隣へ座ると黙った。
私は水桶を運んだ。母は戸口の脇を指し、もう一つ、と言った。表で火が出れば、板の壁も軒の藁も、風の向き一つで危うくなる。水を満たして戻ると、手に掛かったものが袖を伝い、肘から滴った。
木戸の向こうで、誰かが声を上げた。
桶の縁が手から滑りかけた。父はその場を動かず、こちらを見て指を唇へ当てた。私は水をこぼさないことに気を取られ、頷くのが遅れた。
奥を見ると、お春が衣の包みの端を握っていた。出ることになっても、あれではすぐに立てない。声を掛けようとして、父の指を思い出した。
清吉が妹の手から包みを受け取った。お春を立たせ、壁際へ二人で寄る。弟はこちらを見ていた。
私が二人を連れ出さなければと、そればかり考えていた。清吉はもう自分で立ち、お春の手を引いている。私は桶を置き、上がり口までの荷を少しずつ脇へ寄せた。家族のいるところへ届く道を、今なら自分の手で空けられる。
木戸が二度叩かれた。
「戻りました」
浜へ行っていた男の声だった。父が戸を開け、男が内へ入ると、久蔵が横木を渡した。庄吉が肩を下ろすのを見て、私は初めて息を吐いた。桶の水面には、まだ細かい波が残っていた。
*
その後も、舟の止まる日と、荷の出る日が混じった。
店を閉めても、運び終えた者へ払う銭は要った。父は、米を庭へ戻した日の手間も払った。先の仕事がなくなったと聞けば、別の荷が動く日に来られるかを尋ねた。渡す銭を減らさずに済ませるには、その日だけの勘定では足りなかった。
久蔵が、京向けの荷を取りやめる文を持ってきた日、私は、店の持ち米でまだ売り先の決まらない分を見た。
「近くの米屋へ、声を掛けてみたい。浜で買うのを待っているなら、ここへ取りに来てもらえる」
父は久蔵へ、その店の前の道はどうか尋ねた。今朝、通った者がいるという。私は久蔵と一緒に話をしにいき、向こうが取りに来られる日を聞いて戻った。
米屋は一度に多くは買わなかった。舟が止まっても食べる者はいるが、客が銭を持って来るとは限らないという。買う分の代をその場で払う代わりに、運ぶ手間の掛からない値にしてほしい、と頼まれた。
私は、その家が買える分と、うちで出す手間を父へ話した。父は値を決め、翌朝、米屋の使いが来た。
俵を渡すときには、表の戸を片方だけ開けた。すぐに閉じられるよう、荷を戸のすぐ脇へ置いておく。私は受け取った銭を数え、使いが俵を担ぐところまで見送った。
昼には、北からの舟が着いたという声がした。父と久蔵が同時に腰を上げた。
「向こうで何日待ったか、聞いてくる。宗助、ここを見ていろ」
父は草履を履きながら言った。さっきまで戸口の音へ耳を澄ませていた人が、もう次の米の来る日を考えていた。
矢島の家からも、今も人がいる、米を頼むという文が届いた。父はその日に通った者から道の様子を聞き、私は舟が出ると確かめられた分を用意した。京へ向かう道が危うくても、湖を渡れる日には、そちらの商いができた。
又八も、それを承知していた。米が揃う日に舟を合わせ、先の代を払ってから次を頼んだ。
八月の末近く、また五俵を送った。前と同じ一俵三斗、二百八十文。受け取ったという文は翌日に戻り、米代は六日後の約束だった。
出す前に、父とは一度、相談し直した。六日で戻らなくても支払いに困らない銭を残し、ほかの御所向けの家へ掛けを増やしてはいなかった。家と田があり、泊まり客が去っても米の入るところまでは失わない。そこを頼りにした。ただ、旅の支度と米代のどちらを先に払うかは、あの家が決めることだった。
四日目の夕方、東の浜から戻った舟の者が、表の戸口へ駆け込んできた。
「矢島の又八からだ」
差し出された文は、結び目をひどく固く締めてあった。私は爪を差し入れ、ほどけずに父から小刀を借りた。
初めに、次の米は止めてほしい、とあった。
その先の字を読む間に、舟の男が言った。
「御所の方は、もう出られたそうだ」




