第9話 妹の立ち位置
今日ばかりは、主任に媚びてでも、この役目を手に入れた。
「昨日の会議で、妹が隣にいたことが心配で」
「あ、開発部の妹さんだっけ」
「ええ。あの子は、人の気持ちを平気で踏みにじるクセがあるので。ご機嫌伺いくらいはしないと、後がたたりそうです」
「姉も大変ね。あなたはこんなに気配り上手なのに」
普段から、妹の性格に苦労してきた話は、お昼ご飯のおともみたいにしている分、すぐにわかってもらえた。
こうして、普段から根回ししておくのは、こういう時のためにあるんだよね。
「じゃあ、お願いね。あ、妹さんの分も持っていくことになっているの」
「そうなんですか。まあ、朝から、なんて図々しいんでしょう。すみません。気をつかえない妹で」
「いいのよ。専務の肝いりだもの。それにあなたの妹でしょ? 応援するわ」
余計なことをするんじゃねぇと心で悪態。
言葉に出す時は「本当にありがとうございます」と天使の笑み。
それにしても、思った以上に、理央が受け入れられているのかも……
「失礼します。専務、お茶を持って参りました」
実際にはコーヒーだけど、決まり言葉みたいだから、私が破るわけにもいかない。
「ありがとう。あ、総務の方に、ちゃんと回った?」
「はい。ありがとうございました。みんな喜んでました。私も、いただいてしまいました。さすが青葉堂ですね」
配る役だけだと総務課に申し訳ないと言って、わざわざ、総務にも差し入れしてくれた。
こういう気遣いができる人なんだよね。さすが、プリンスよ。
「ごめんね。千代の実が足りなくて」
「いえいえ。だって差し入れてくださった『広瀬川』は青葉堂の看板ですもの。さすが専務。センスが良いねって、みんなで騒いでしまいました」
クスッと目元にだけ上品な笑みを浮かべて、お辞儀を一つ。
こういう時の清楚な動きに男は弱いのよね。
「いや、大したことないから」
やった。ちゃんと、見てくれた。
小さな勝利にホッとしていたら、専務の声が飛んできた。
「あ、あっちに置いて」
マホガニーの専務用の机の端に置こうとしたら、指示されたのは小さな打ち合わせテーブル。
「失礼しました。来客のご予定ですか?」
「いや、水野さんが、そろそろ戻って……ああ、これは失礼。お姉さんでしたね。昨日はどうも」
どうやら、ようやく、私を認識してもらえたらしい。理央が「美沙さんの妹で」となることが多いのに、こんな扱いは、覚えがないほど悔しい。
でも、これなら会話を挟んでも大丈夫なはず。
「理央は、気遣いができませんので、なにかとお腹立ちかもしれませんが、一生懸命な子なので、お許しください」
「いやいや。すごく真面目そうだし、一生懸命ですよ。昨日だって、いろいろと話せたし」
「あの子、思ったことをそのまま言っちゃうところがあるのは、本当にすみません。相手がどう受け取るかまで考えられないだけで、悪気はないんです」
「ああ、確かに、受け止め方が、あれ? という時はありますけど」
やっぱりだ。
私は頭を下げて、得意フレーズを用意した。「もしも、お腹立ちの際は、私に言っていただければ、きちんと言い聞かせますので」と。
「もしも……」
「でも、おかげで、助かってます」
「え?」
「私の立場だと、みんな結構、気を遣うんですよ。なかなか、本音というか、指摘をしてもらえないんです」
「それは、無神経な妹が役立っているということでしょうか?」
「水野さんは違うと思ったら違うって言ってくれる。補佐の役目として、その方が信頼できる。本当にありがたいです」
専務は、そう言って軽く頭を下げてくれた。普通は、褒めるところじゃないのに!
これは、イヤミとか皮肉じゃなくて、本気で理央を気に入っているのが伝わってくる。
とっさに、次の言葉が浮かばなかった。
コンコンコン
「水野君か? ちょうど、コーヒーが届いたよ」
「ありがとうございます! あれ? お姉ちゃん!」
「今、お姉さんが届けてくれたんだ。それよりも、引き継ぎは終わりそう?」
「それは終わりそうなんですけど、その最中に、古い製品カタログを見て気付いたんです。朝、見せていただいた資料、あれ、たぶん、直した方が良いと思います」
「え? どの資料?」
「試作機の型番です。あのままだと、ウチの古い型番と被る可能性が」
「え! そうなの? で、なんでそれに気付いた?」
「今見ているシステムが、ちょうど、旧型機のメンテのマニュアルだったんです。で、カタログ見たら、あれって思いました」
「ヤバいじゃん。確認しないと。あ、お姉さん、こっちは大丈夫ですので」
それは、婉曲な「帰れ」という命令だ。
「失礼します」
私がドアを出るとき、二人ともこっちを見てくれなかった。
ドアを閉めた瞬間、モヤッとしたものが、急速に形になった気がした。
妹が、大槻技研のプリンスから信頼されている。しかも、恐らく、それだけじゃない。別の感情まで向けられている。
そのくらいのことは、さっきのやりとりを見れば十分。
でも、プリンスの隣にいるべき人間は、まだ決まってないわ。
それに……
今日、ひとつだけ分かったことがある。
理央のことを「気が利かない」「人の気持ちが分からない」って言っても、プリンスには効かない。
むしろ、そこを気に入ってる。
だったら、同じところで勝負する必要なんてないじゃない。
理央にできなくて、私にできることを見せれば良い。
人の顔を見ること。相手が何を欲しがっているか気付くこと。そして、場の空気を読んで、必要なものを先回りして用意すること。
そういうことなら、私の方がずっと得意だ。
総務課へ戻ると、主任はちょうど予定表を確認していた。
「主任、今度のプロジェクトなんですけど」
「ん? どうしたの?」
「総務からも、担当って付くんですか? 会議とか来客対応とか、これから増えますよね」
「ああ、それね。まだ決めてないけど、誰か一人は、出すことになるでしょうね」
やっぱり。
私は、ほんの少しだけ困ったような顔を作って、一瞬のタメを作ってから、小さな声で言った。
「でしたら、私にやらせていただけませんか?」
「美沙が?」
「妹が専務の補佐をすることになったみたいですし。あの子、本当に仕事以外は気が回らないので、何かやらかすに決まってます。だから、私がそばにいて、少しでもフォローしてあげたいんです」
「あああ、それは助かるかも。姉妹なら話も早いし、総務が動くべきことも早く分かりそうだものね」
「はい。妹がお世話になるんですもの。私にできることくらいは、してあげたいです」
主任は「美沙は本当に妹思いね」と笑った。
勝った……
私は控えめな笑顔を浮かべながら「ありがとうございます」と深々と頭を下げた。
そう、理央の失敗をフォローする。
そういうことにしておけば、私の動きは、周りからも悪く言われないもの。
プリンスの隣に立つ場所が空いていないなら、自分で作ればいいんだから。




