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御曹司は婚約者を私から姉に変更しました――「経営判断」だそうです  作者: 新川さとし


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第6話 プリンスの隣

 金文字のプレートを見ながら、会議が休憩に入るのを、総務課の女子社員一同で、待っていた。


「美沙は、力持ちだからお菓子をお願いね」

「はい。任せてください!」


 総務課の主任が、大きな紙箱を押しつけてきた。


 紙箱の中には、桐の箱が入ってる。これが25人分ともなれば、重くて当然。


 先輩は、ちょっと憧れの表情で、紙箱を見下ろした。


「千代の実なんて幻の銘菓なのに、大箱入りだもの」


 青葉堂の千代の実は、仙台に長く住んでいる人に、名前だけなら、よく知られたお菓子だ。


 仙台近郊の特別な栗の木から、その年に採れた実だけを使って作るらしい。


 たいていは、お得意様にしか回らないから「幻のお菓子」になっていた。


 玉澤さんの『霜ばしら』か、青葉堂の『千代の実』かというのは、ウワサ話によく出てくるほど。


「幻のお菓子を、これだけ揃えるって」

「さすがオオツキ一族ね」

「そこの一人息子かぁ」


 囁き合う合間に「プリンス」という言葉が出てくる。


 半分冗談で専務をそう呼ぶのも、顔が良いからだけじゃない。


 今は専務取締役だけど、次期社長へのレールが敷かれた人だ。


「すごいなぁ」


 私の横にいた後輩が、ため息みたいに言った。


 分かる。私だってそう思う。だからこそ、と思う。


 大槻崇人。


 顔も頭も良くて、家柄も良い独身。しかも、お堅いばかりではなく、ちゃんと女性に対する振る舞いも分かっている人だ。


 キリがないほどの好条件ばかり。だからこそ、そういう人にうっかり近づくのは危険だと思った。


 こういう男に「軽い女」と思われた瞬間、選ばれなくなる。


 事実、仙台に呼び戻されてからの二年間、女子社員がどれだけアプローチしても、誰も成功しなかった。


 焦っちゃダメ。


 同じ会社にいるんだもの。冷静に、そして慎重にチャンスを待てば良いと思ってた。


 それなのに……


 理央がプリンスに、しかもル・セードルに連れて行ってもらった! 


 ありえない。

 

 勉強しか取り柄のない、いや、確かに私の妹だけあって、顔だって悪くないけど、大槻技研では、ごく普通の技術職の社員だ。なぜ、特別扱いされたのかがわからない。


 理央っていっつもそうだ。その場の空気も、相手の顔色も見ない。そのくせ、自分のしたいことは、つぎつぎに実現させてしまう。


 その分、小さい頃から、私が周りに頭を下げるしかなかったのに。


「悪気はないんです」

「本人は一生懸命に考えているんです」


 そうやって、いっつも「妹は、ちょっと不器用なんです」って取りなしてきた。


 今回の相手は、よりによって大槻だ。とてつもなくイヤな予感がしてしまう。とにかく、情報を仕入れないと。


 そんな風に考えているとき、ドアの向こうで急に、拍手が聞こえた。


「盛り上がってるみたいね」

「専務、プレゼン上手いんだって」


 囁き合うのを無視して、主任が小さな声を掛けてきた。


「そろそろお願いします」

「はい」


 お盆にお茶を載せる人たちと、紙箱を抱える私。


「今日は人がいっぱいだから、入り口から順番に配って良いわよ」

「ありがとうございます」

「代わりに、落とさないで」

「はい。大事にお渡しします」


 だったら、せめて、もう一人付けて、持つ人と渡す人に分ければ良いのに。チラッと、そう思ったけど、笑顔、笑顔。ここで不満を顔に出しても、良いことなんて何もないんだから。


 ドアが開くと、室温とは別の熱気に満ちた会議室には、思ったより人がいた。知っている顔がたくさん。


 ただ、紙箱が重い。それでも、笑顔を作って、丁寧にお菓子を渡していく。


「どうぞ。千代の実です」

「ありがとう」


 一人ずつに笑顔で渡していくと、反応はそれぞれ。


「サンクス」

「ありがたいね、こういうの」

「ありがとう!」


「……」


 あれ? 開発の人たちは、渡しても無言なんだ? 何かあったのかな? まあ、開発に絡む話らしいから、この人たちが一番大変なんだろうなぁ。

 

 若手を一生懸命なだめている安西部長に、もう一度会釈してから、正面の席に回って顔を上げたときだった。


「あれ? 理央、何でこんなところに座ってるの?」

「あ、お姉ちゃん」


驚いた。正面のリーダー席の隣。

 

 専務が中央に座っているのは分かるとして、何で理央がこんなところに?


 私は、とっさに、ネームプレートを見た。


【プロジェクトリーダー・補佐】


 会議に出ていること自体にも驚いたけど、ただの補助じゃなくて、補佐? 


 いや、それより、この席の位置が問題だ。


 これじゃあ「プリンスの片腕」じゃない!


 こんな場所に、妹の席があるなんて。


 でも、心の動きを見せないように、笑顔のまま隣を見た。


 少しだけ眉を上げて、こっちを見ているプリンスがいた。


「水野さんのお姉さん?」

「はい。妹が大変ご迷惑をおかけしているようで」


 瞬時に、笑顔を最高のものにした私は、一度、紙箱を妹の前に置いて、丁寧にお辞儀をした。


「水野美沙です。いつも妹がお世話になっております」

「大槻です。あ、いや、大槻崇人です。こちらこそ」


 そう言ってから、私をチラッと見て、専務は言葉を続けた。


「水野さんには、あ、妹さんには期待してるんです。だから、私の補佐として、このプロジェクトにも入ってもらいます」

「理央が、専務の補佐……そんな大役を?」

「はい。私は技術屋じゃないんで、かなり助けてもらうことになると思います」


 専務が優しい笑顔を見せて、チラッと理央を見た。


 その眼差しを見た瞬間、胸の内側にモヤッとしたモノが浮かんだ。


 ――理央が専務に気に入られてる!

 

 そう思った瞬間、私の舌は滑らかに動いていた。


「妹は仕事だけは本当に一生懸命だし、大好きみたいなので、どうぞ遠慮なくこき使ってやってください」

「お姉ちゃんったら」

「ふふっ、褒めてるのよ」


 いつもの調子を意識して、そうやって笑って見せる。


「理央って昔から、仕事や勉強になると、それ以外が見えなくなるくらい集中しちゃう子なんです。でも、その分、仕事ではきっとお役に立てると思います」

「それは頼もしいな。頼りにします」


 そうやって、理央に微笑みかける専務の表情は、社交用のモノではない気がした。


 私は「それでは、失礼いたします」と紙箱を持って、続きを配ろうとしたときだった。


「水野」


 名を呼ばれてふりむくと、さっき、安西部長になだめられていた人が立っていた。


 でも、この人に呼び捨てされる覚えなんてないんだけど。


 その時、妹が、立ち上がった。


「先輩。ご無沙汰しています」

「あいさつなんて良い」


 あ? 妹の知り合いなんだ? 


 確かに、同じ水野だけど、妹と一緒にいて、自分が無視されたのは、たぶん初めての経験。ちょっと、ムッとしてしまった。


 でも、それを顔に出しても仕方ない。


 大学時代の先輩だから、開発の人? 


 二人は、懐かしそうな、それでいて、理央が心底申し訳なさそうな表情で、その人の前に移動した。


お菓子の箱を配る私の背中は、全部が耳になっていた。


「いったい、どうなっているんだ」

「すみません。言い訳してしまうと、私も、昨日、補佐に任じられたばかりで。まだ、きちんと理解していませんでした」

「オレが言った意味、わかってるよな?」

「はい。それは、この後、きちんと話しますので」

 

 どうやら、妹は、早速、何かやらかしたのかもしれない。そういえば、あの男は、安西部長になだめられていた。


 たぶん、また無神経なことを言って、会議で失敗したのね。


 ――これはチャンスかも。


 私は、専務にどうやって、取りなせば良いかを考え始めていた。


千代の実……商品として「ちよのみ」と読みますが、せんだい銘菓なので。


なお『霜ばしら』という季節限定のお菓子は実在します。美味しいです。


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