第5話 小野寺先輩の指摘
手を挙げたのは、東北大時代の先輩だった。
院生だった先輩は、学部生の面倒を何かと見てくれた。
寡黙で木訥、そして真面目な人。
世間話には乗ってこないけど、実験ノートの数字は、全部チェックし直してくれる親切さを持った人だった。
小野寺先輩のおかげで、みんな、どれだけ助かったか。
それに、絶対に忘れられないのは、微細加工機械の安全装置の実験の時のことだ。
*
工作機械を異常加熱の直前で停止させる装置の実験を開始するときのこと。
残念ながら、男子たちが一晩掛けた試料作りには参加できなかったけど、その分、実験ノートを見せてもらって、最終チェックする役目になった。
「あれ? なんかヘン」
「なんだよ。どこが?」
「ごめん、よくわからないんだけど。何かがおかしい」
「そんな曖昧な理由で止めないでくれよ。こっちは徹夜だったんだぜ」
「水野はノートを見ただけだろ? 理由が『なんとなく』じゃ確認し直せないって」
「もういいだろ。俺たちだけでやろうぜ」
確かに、曖昧な理由では、男子たちが納得するわけがない。
「水野、オレたちが複数で、ずっと追いかけてきたんだぜ? ノートをチェックしただけだろ? しかも、理由が『なんとなく』なんてありえねぇだろ」
「オレたちだけで作ったのが気にくわねぇんじゃないの」
「そうだ。そうだ。もう、いいだろ、水野は邪魔だから引っ込んでろ。オレたちだけでやる」
殺気立った研究室に、突然声が響いた。
「水野が、感情で実験を邪魔する人間ではないことくらい、知っているだろ」
「小野寺さん!」
「先輩、そ、それは、その」
「だけど、コイツ、根拠もないんですよ!」
小野寺先輩は、私を見た。
「水野、違和感があると言ったな?」
「はい。まだ、全部をチェックできてないので、具体的に言えないのですけど」
「そうか。じゃあ、時間があれば?」
「違和感が、どこから来るのか、説明できると思います」
真摯な目で、私をジッと見た後、突然、みんなの方を向いて頭を深々と下げで、全員が、息を呑んだ。
「すまんが、オレに時間をくれないか」
「先輩!」
「ちょ、やめてくださいよ」
「頭を上げてください」
みんながオタオタする中で、先輩は、頭を上げずに言った。
「1回で良い、みんなの実験ノートを読み合わせて、もう一度、最初からチェックしたい。すまないが、時間をくれ」
尊敬する先輩に、頭を下げられれば、それを拒否できるはずがない。
そして、みんなで、渋々始めた再チェックで、本当に、初歩的なミスが見つかった。
「これ、水野が違和感を持たなかったら、この機械は……」
「弁償はさせられなかったとは思うが、まあ、水野に感謝しても、罰は当たらないかもな」
代わりに、そう言い残して、ポンと、一人の肩を叩いて出ていった。
先輩が私を、研究に携わる人間として尊重してくれてるんだと、初めて思えた時だった。
だから、私が大学院を諦めて、大槻技研に決めるときも、先輩に聞いたのは当然だった。
あのメールが後押ししてくれたんだよね。まだ覚えてる。大槻技研を紹介されて送ったメールのこと。
『大槻技研って、実際どうですか?』
そう送ったら、すぐに返事が来た。
『社長が技術畑の人だけあって、仕事はすごく面白いよ』
そして、すぐに、もう一つ。
『若手でも、理由が通ればちゃんと話を聞いてもらえる』
その言葉が、大槻技研を選んだ理由の一つだった。だから入社後も、先輩が開発部にいることは知ってはいた。
*
その先輩が、納得できない表情で手を挙げている。
心のどこかがヒヤッとしたけれども、私が何かを言う前に、専務は「どうぞ」と指名していた。
「開発部、安全制御を担当している小野寺と申します。さきほどの専務のお言葉を確認したいのですが、よろしいでしょうか?」
「あぁ、構わないよ。えっと、何か言葉をミスったかな?」
専務は、真摯な表情で言葉を返した。
「ウチから上げた提案書には、人の横で動くロボットというコンセプトから、セーフティー機構関係をチェックするのに、少なくとも一年はかかると書いたはずなのですが」
その瞬間、私はつい声を出してしまった。
「え? 一年はかかる?」
専務は一瞬、私を見た後、穏やかな表情で、先輩に顔を向けた。
「あ、うん、読んだよ。確かに、そう書いてあったね。まあ、だから、目標を一年以内にしたわけだ」
専務の穏やかな返事を、私は心の中で「違います!」って叫んでた。
どうしよう、今すぐ、言った方が良い? でも、こんなところで、専務を否定しちゃうのも……
「専務。少なくとも1年はかかる、というのは開発部としては最低限のスケジュールとして書いたわけです」
人間の隣で動くロボットだ。安全制御の検証環境をいろいろ変えて、想定される動作を一つずつ潰していかなきゃいけない。
人との距離、相対速度に停止条件。センサーに異常が起きた時の挙動。全てをフェイルセーフに落としこまなくてはいけない。想定しなくちゃいけない組み合わせなんていくらでもある。
だから、小野寺先輩が、怒るのもわかる気がした。
一年はかかるはずの安全検証を、勝手に「1年以内」で済ませることにしちゃうんだもん。
瞬間的に、専務に「違います」と言いたくなった。
でも、プロジェクト発足の席で、リーダーに「間違えてます」といえば、立場を無くしてしまうのも分かる。
どうしたら……
けれども、専務は困った顔もせずに、堂々としゃべり出した。
「そのことは、後で開発と個別に話をしようと思ってたんだけどね、せっかく質問が出たんだ。ここで確認しておこうか」
小野寺先輩は、椅子から立ったまま、専務の言葉を待っていた。
「今回、開発されたロボットは、既存の大槻の技術の延長線だって話だったね?」
「私が、答える立場かどうかは分かりませんが、開発部の人間としては、その認識です」
「今まで、大槻の製品は、十分に安全性を持っていたと思っていたけど、その認識は間違ってる?」
専務の確認の意図が読めないからだろう。小野寺先輩は、少しだけ首をひねりつつも即答した。
「大槻技研の製品は、安全性をきちんと担保した製品を送り出してきたという自信はあります。先輩方も、そうやって製品作りをしてきたという伝統がありますので」
「ありがとう。そうだよね。安全な製品作りは、大槻の誇り。そして、技術屋でもある社長の誇りでもある」
会議室は、シーンとなっていた。
「安全性が確認されている既存技術を積み上げたロボットだよ? それなのに一年も掛けて検証が間に合いませんっていうのは、少し困るんじゃないかな」
専務の口調は穏やかだ。けれども、それは、叱責の色を帯びている。
小野寺先輩は、一瞬も怯むことなく、静かな口調で言った。
「専務。既存技術の組み合わせであっても、安全性まで引き継げるわけではありません」
感情を抑えて、一つひとつを、言い聞かせる口調の先輩に、さっきとは違う意味で緊張した会議室。
先輩なら絶対に、そう言うよね~。だって、技術系の人なら「積み上げた技術なら検証はすぐ終わる」だなんて絶対に考えない。
しかも、今回のコンセプトは「SIDE BY SIDE」。
数百キロの荷物を動かす腕が、人間のすぐ横で動くんだもん。「何があっても、絶対に安全だ」って確信するには、膨大なテストが必要だもの。
それが1年という時間の意味だ。勝手に、減らせるとは思えなかった。
でも、それを専務に、どう言ったら分かってもらえるだろうか?
私が悩む間もなく、専務はいくぶん硬い顔になりながらも、むしろ、声を張って答えた。
「開発部の小野寺君の言うことも分かる。だが、これまでの大槻技研が生み出してきた技術を、君は信頼しないということなのかい?」
専務、それは違います。
もしも、補佐という役割でなかったら、私が叫んでいたかもしれない。
小野寺先輩は、私の躊躇よりも先に、ムッとした表情のまま、言葉を出していた。
「専務! 技術というモノは」
「申し訳ありません。ここは私に答えさせていただければと存じます。君、座りたまえ」
小野寺先輩を押さえつけるように立ち上がったのは、開発部の安西部長だった。
役員にはならず、部長のまま、現場一筋で、来年定年を迎える苦労人。技術の大槻を体現してきた人だ。
この人も東北大の大先輩になる人だった。
「開発につきましての、期間や細かい工程管理につきましては、後日、ご相談できればと思います。はい、もちろん、プロジェクト・リーダーのおっしゃる方向を十分に取り入れまして」
「そうか。それは良かった。よろしく頼みます、さすが安西さん。技術の大槻を支えてきた大先輩は頼もしいです」
とたんに上機嫌な笑顔を浮かべる専務だけど、分かってるのかな? 安西部長は「後日相談」と言っただけなのに。
でも、会議室の中は、専務の笑顔が戻ったと同時に、一気に、いろいろな意見が出始めた。さすが、大先輩。そうやって、会議を動かしたのですね。
向こうでは、小野寺先輩の肩を両手で抱き込むようにして、安西部長が何かを囁いているのが見えた。
うーん。確かに、会議は動いたけど、小野寺先輩の危惧が当たらないと良いんだけど。
柔らかな笑顔に戻った専務に、なんともモヤモヤしたものを感じてしまった。




