第3話 思惑
古い家だけど、エアコンの効いたリビングで、今日のやりとりを思い出していた。
それにしても、水野さんは遠慮深いよな。
「バスで一本ですから」
そんな風に言われるの初めてだった。
あれだけ可愛いのに、男慣れしてないのかもな。オヤジが見せてくれた報告書でも、それは書かれていた。……にしても、手を回しすぎだぜ。いくら「大槻家の嫁は、ヘンな女であってはならん」って言っても、先に興信所とはね。
まあ、確かに仕事はデキそうだったな。
それにしてもなぁ。ディナーの間の話題を思い出す。
男がいなかったというのが、何となくわかる気がする。あれじゃあ、普通の男は逃げるだろ。頭がなまじ良いだけに、しゃれた会話とか、ムードのある方には全然、いかなかった。
ま、普通に付き合いたい大学生あたりだと、ああいう子は、無理だろうな。
オレだって、ただ普通に「お付き合いしたい女の子か」と言われたら、苦笑を返していただけだろう。
だけど……
その時、帰宅した父親がリビングに現れた。
「崇人、帰ってたのか」
「お帰り、父さん。あ、今日、セードルに行ったよ」
「連れて行ったのか。それで、どうだった?」
「どう思うかって言われると微妙だけど。でも、ガチ理系にしちゃ美人だし、素直で真面目そうだし。悪い子じゃないと思ったよ」
とたんに父親は「ガチ理系にしちゃ」って、それは余計だぞと呟いてから、目の前に座り込んだ。
「東北大の教授たちからの評判も悪くない。あの美貌なのに、悪いウワサひとつなかったらしいからな」
「いや、美貌っていうほどなのかは、ちょっと微妙だけどさ」
「崇人……」
父親の声が、いくぶん低くなった。
いけね。やぶ蛇かも。
「あ、いや、見た目は悪くないよ! それに、将来の嫁さんを見た目で選ぶつもりもない。頭も悪くなかったし!」
「当たり前だ。うちを受け継ぐ以上、助けてくれる嫁を選ぶのは、いわば義務だ。ここらで、しっかり身を固めるんだぞ」
「あぁ、まあ、それは分かってるんだけどさ」
嫁さんかぁ……なんか、ピンとこないな。オレの曖昧な顔を見たせいか、父さんは、また説教モードの顔になった。
「お前の肩には、社員だけではなく、その家族のみなさまの人生も掛かっているんだ。大槻を受け継ぐ以上、忘れるな」
「分かってるって。理系の適性はなかったけど、オレだってそれなりに頑張ってきたのは、父さんだって認めてくれたはずだよ」
「本来は、うちのトップには技術屋が付くべきなんだぞ」
「はいはい。だから、将来の大槻技研の技術を大事にする社長になれ、でしょ? 嫁さんと一緒にね」
社員から、信頼と畏怖を集める父さんは、案外と、愛妻家だ。というか。母さんを誰よりも信頼している。だから、オレにも、ちゃんとした嫁をもらえと、口うるさい。
「はいはい。分かってますって。爺ちゃんが作った会社を、父さんが東北一の技術屋に発展させた。今度はオレが、世界のオオツキにする番だろ?」
父さんは、険しい目になった。
「夢は大きくても良いが、世界を目指す前に、じっくり足元を固めないと、すぐに転ぶぞ」
「分かってますって。オレだって、ちゃんと見るべきところは見ているつもりさ。父さんだって、だからこそ、今回のプロジェクトを任せてくれたんだろ?」
「技術面だけなら、あれは、ほぼ完成品だ。それを実用レベルで役に立つようにできるかが勝負なんだぞ」
「分かってますって。任せてよ。仕事も、それと補佐ちゃんのことも、ちゃーんとするからさ」
そこで何か言おうとした父さんに、ちょうど、風呂から出てきた母さんが気が付いた。
「おがえり。遅かったねぇ、あなた」
「あぁ、ただいま」
「あら、崇人も帰ってたんだね。どうだったの?」
ヤベッ。絶対に、母さんだと根掘り葉掘り聞いてくるに決まってる。ここは逃げるとするか。
「あ、楽しかったよ。良い子みたいだ。じゃ、お休みなさーい」
嫁さん、ねえ。
まだ全然ピンとこない。
ただ、水野理央という女が、思っていたより面白いのは確かだった。
さて、明日も、水野さんと一緒に晩飯かな。
自室に戻ったオレは、いつものようにワーグナーを聞きながら、読みかけのミステリーを開いたんだ。
【同時刻、水野家】
「ただいま~」
「お帰りなさい。珍しいわね、ハンバーグなのに会社の人と食べてくるなんて」
「明日の朝、食べるから、とっておいてね。絶対だよ!」
「もちろん、ラップしてあるけど」
その時、お姉ちゃんがリビングに降りてきた。
「お疲れ~理央」
「お姉ちゃん、ただいまぁ。あ、今日ね、専務と話したよ」
「あぁ、夕方のあれね? まさか理央にコーヒーを出すことになるなんて、思わなかったよ」
くすくすっと笑ったお姉ちゃんは、それで、と尋ねてきた。
「プリンスと、どんな話だった?」
姉は、俄然、身を乗り出してきた。
大槻専務は、一部の社員から「プリンス」と呼ばれているのは公然の秘密だった。
「うん、今度、一緒に仕事をすることになって、いろいろと」
夕方、読んだ守秘義務も、ここまで制約はされてなかったけど、プロジェクトの発表は明日だから、まだ話せないよね。
「え! プリンスと一緒に仕事? だから、この時間まで会議だったの? あれ? でも、食事って……」
「あ、えっと仕事って言うか、夜は顔合わせ的な? ご飯を奢ってもらっちゃった」
お姉ちゃんは心から驚いた顔をした後で、微笑んだ。
「良かったね、理央。プリンスにご馳走されるなんて。大丈夫だった? 失礼なこと、言わなかった?」
母さんまで、なぜか、生温かい顔で「そんな偉い人と、大丈夫なの?」と言ってくれる。
「うん。たぶん……だけど」
「もう~ 理央ってば、勉強は得意でも、ホントに、人を怒らせる天才だから、心配だよ。確かにプリンスは優しそうだけど、そういう人ほど、怒らせちゃったら、大変なんだからね?」
「うん。でも、たぶん、大丈夫……かな?」
お姉ちゃんの顔色が明らかに違ってる。そんなに心配なのかな? そうだよね。私、お姉ちゃんみたいに人付き合い上手くないし。
「ところで、今日はどこでご馳走されたの? 次期社長さんだもの、さすがにファミレスってことはなかったでしょ?」
「うん。今日はね、ル・セードルにつれて行ってもらったの」
「……え?」
お姉ちゃんの返事が、一瞬だけ遅れた。
「ル・セードルって、あの、杉の大木がある?」
「そうなの。本当に、杉の木があったよ」
「まさか二人、じゃないよね?」
「……」
「え? まさか、あのプリンスと理央の二人だけ?」
「うん、今日はとりあえず顔合わせみたいなものらしくって。まだ、他のメンバーは分からないから」
なんか、お姉ちゃんの食いつきが、すごいんだけど。
お姉ちゃんは、私の顔をじっと見た後、ふっと笑った。
「すごいじゃない。理央、ずいぶん気に入られたんだ」
「まだ、実際に仕事はしてないよ?」
「仕事を始める前から、二人でル・セードルよ? 気に入られなかったら、ありえないわ」
「ちょっと待って!」
今度は母さんが割り込んできた。
「ル・セードルって、あのル・セードルでしょ? 結婚記念日に、お父さんが予約しようとして、取れなかったところ?」
「そうなの?」
チラッと見たら、お父さんが苦笑いしてる。
「そうよ! 結局、別のお店にしたけど。あそこ、なかなか予約が取れないのよ? 学生さんだけだと、初めに断られるほどだもの。そんなお店を簡単に……」
「でも、専務は、なんだか、よく行くらしいよ」
「さすが、オオツキ、ね」
お母さんが、目を見開いて、何度も頷いている。
そう、この街で「オオツキ」といえば、知らない人はいないほどの名家。お母さんもお姉ちゃんも、今日ばかりは、私の話を聞きたそうだ。
お姉ちゃんは、ちょっと引き攣った笑顔で、さらに聞いてきた。
「ひょっとして、誰かと行く予定だったのがダメになって、代わりだったとか?」
「ううん。目の前で電話してたよ」
お母さんが、非難の目になった。
「そんなことがあるなんて、今朝まで言わなかったじゃない」
「だって、夕方、急に決まったんだもん」
お姉ちゃんが、唖然とした顔になってる。
「夕方に電話……で取れちゃうんだ」
お姉ちゃんが「すごい」と声を出したので、ついつい嬉しくなって、話しちゃう。
「専務って電話で名前も言わなかったからビックリしちゃった」
「名前も言わないの?」
「うん。なんか、子どもの頃から知ってるんだって。それで、料理も行ったらメニューができてるの。あ、メインはどっち派って聞かれて、ほら、うち、ハンバーグなのは知ってたから、お魚にしてもらったの」
「それで、どのメニューになったの?」
「あ、メニュー、いただいてきたよ」
バッグから出したら、お姉ちゃんが、パッと、もぎ取るみたいにして見てる。
「ほんとだ。ル・セードルって書いてある。しかも、これ、たぶん、特別メニューよ」
「なんで知ってるの?」
さすがお姉ちゃん。そんなことまで知ってるなんて。
「だって、ル・セードルよ? あそこは、よほどのことがないと、3つのコースで選ぶの」
「そうなんだ? あ、そうかも。だって、出てきたオーナーシェフが専務のことを『坊ちゃん』って呼んでたもん」
「坊ちゃん……いや、ル・セードルのシェフが出てくるって、それだけでも、聞いたことないんだけど」
「専務は嫌がってたから、ちょっと笑いそうになっちゃった。もう二十八なのにって」
ふと見たら、母さんが口元をニヤニヤさせている。
なんだろう?
「理央、その専務さんって独身よね?」
「えっと…… ごめん。知らない。だって関係ないし」
「あるでしょう!」
「え? 結婚してても、してなくても、仕事に関係ないよ?」
お母さんが、なぜか頭を抱えて、お姉ちゃんは、そんな私たちを見て、クスクス笑っている。
「もう、お母さん。理央にそんなことを言っても無駄よ」
「でもねえ」
お姉ちゃんが、優しい笑顔のまま私に聞いてきた。
「ル・セードルなら、かなりしたでしょう?」
「あ、それ!」
思い出した。
「私も払おうとしたんだけど、専務が『ウチの方で払ってるから』って。その場では、わからなかったの。謎の会計システムだよね!」
「大槻家が払うってこと?」
「みたい。変わってるよね。金額もその場で確認してなかったし。どういう管理してるんだろ」
お姉ちゃんが黙った。
「お姉ちゃん?」
「あ……ううん」
すぐに、いつもの笑顔に戻った。
「さすが大槻家ね。お店とお家がよほど信頼関係がないと」
「うん。ホントは、システムを聞いてみたかったよ」
「あんたって子は……」
お母さんが、大きくため息を吐いたのと、お姉ちゃんが、表情を切り替えて聞いてきたのは同時だった。
「それで、何を話したの?」
「私はいまやってる仕事のことかな? 専務は大学のこととか、東京にいた頃の話なんかもしてくれたわ」
「東京にいた頃の話?」
「うん。なんか色々な人と会ったとか。面白かったよ」
「へえ……」
お姉ちゃんの目が、いつもと違って、キラリと光った気がした。
「理央は、仕事のことを話したんだ?」
「うん。思ったより話しやすかった。私が仕事の話をしても、ちゃんと最後まで聞いてくれるし」
「そうなんだ」
「それにね、『自分がある感じで良い』って褒められた」
言ってから、なんだか照れくさくなった。仕事のことで褒められるのは慣れているはずなのに、今日は、いつもより嬉しかった。
「それって、理央が、また自分の世界に入っちゃったんじゃなければいいけど。得意だものね、男の人を呆れさせるの」
お姉ちゃんは笑った。
「うん。でも、仕事だもの。きっと、大丈夫だと思うなぁ」
ちょっとだけ、斜め上を見てから、大きく頷いたお姉ちゃんは「理央なら大丈夫だよ」と笑顔を見せてくれた。
いつも通りの優しい顔だったけど、なぜか、テーブルのカップを持つ指に、力が入っているのが見えた。
どうしたんだろ?
明日は2話投入の予定です。
理央が婚約にいたる道を読みたいと思ってくださった方は
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よろしくお願いします。




