命の灯火と、残された日記
ぢゅらおです。
最近は身の回りの事で忙しかった(当社比)ので、少しの間ですが休憩しつつまた頑張りたいと思います。
それからしばらくの月日がたった。
あの日、俺は彼女の言葉を大げさな冗談だと呆れていたが、心のどこかでどうしてもあの不思議な光が気にかかっていた。
気付けば俺は、あてもない散歩のふりをしてはあの古い平屋へと足を運ぶようになっていた。
蛍はいつも通りだった。どこか抜けていて、生意気で、顔を合わせれば「ご変態スケベ野郎様」と呼んではふざけた口答えをしてくる。
その日もそうだった。すっかり暗くなった夜道を、二人で他愛もない悪態をつきながら並んで歩いていた。
だが――突然、蛍のインバネスコートのポケットから、コトリと小さな音が鳴った。
蛍が不思議そうにポケットに手を突っ込み、取り出したのは一通の古びた封筒だった。
仄かな月明かりの下で手紙の封を切った彼女は、中を一瞥した瞬間、先ほどまでのふざけた空気を一切消し去り、スッと表情を引き締めた。
「……行きますよ、万田くん」
「は? どうした急に」
「依頼です。それも……かなり、切羽詰まった」
彼女の真剣な瞳に押されるように、俺たちは夜の街を駆け、総合病院の裏手へと辿り着いた。
建物の外壁に沿うようにして、誰もいない非常階段をこっそり駆け上がり、蛍は施錠されていないはずの古びた勝手口のドアノブに手を触れ、奇妙な手つきでスッと鍵を開けてみせる。
案内されるがままに薄暗い廊下を小走りで進むと、古びた一室の前に辿り着いた。
「ここです」
静かにドアの隙間から中を覗き込むと、そこには一つのベッドが置かれていた。
ベッドの上では、老いた女性が浅く苦しそうな呼吸を繰り返している。その傍らでは、疲労の色を隠せない家族の男女が、すがりつくように彼女の手を握りしめて静かに涙を流していた。
規則的に響くモニターの電子音が、命の灯火が今にも消えかけていることを嫌でも告げている。
「おばあちゃん……、お願い、逝かないで……」
枕元で泣き崩れる家族の姿に、俺は思わず息を呑んだ。
これは、医者でもどうすることもできない「お別れの時」だ。
「蛍、お前……」
俺が振り返ると、蛍の表情はこれ以上ないほど穏やかで、そしてどこか悲痛な決意に満ちていた。
彼女は音もなく部屋の中に足を踏み入れると、ゆっくりとベッドの枕元へと近づいた。そして、泣きじゃくる家族の肩にそっと手を添える。
「……大丈夫です。まだ、伝えたいことがあるでしょう?」
驚いて顔を上げた家族の前で、蛍は静かに両手を重ね、眠るような老いた女性の胸元にかざした。
その瞬間、蛍の身体から、先日の絵本の時とは比べ物にならないほどの眩い光が溢れ出した。
それは病室を白く染め上げるほどの輝きでありながら、決して目を眩ませることはなく、見上げる者の心を温かく包み込むような、優しい光だった。
(これが……彼女の本当の力……?)
驚愕する俺の前で、奇跡が起きた。
苦しげに歪んでいた老いた女性の表情がふっと和らぎ、ゆっくりと、重たげにまぶたを開いたのだ。
「……あなた……?」
女性の声はかすれていたが、はっきりと家族の名前を呼んだ。
モニターの音が少しだけ安定し、家族は「お母さんっ……!」と信じられないものを見るように泣きながら顔を寄せ合う。
そこからは、奇跡の時間だった。
命を無理やり引き延ばすのではない。最期のお別れをするためだけに、彼女の中に眠っていた気力が嘘のように戻り、家族はこれまでの感謝と惜別の言葉を、涙と共に交わし合うことができた。
数分後、女性は家族に見守られながら、穏やかな笑みを浮かべたまま、静かに永遠の眠りについた。
それは悲しい別れだったが、後悔の残らない、あまりにも美しい最期だった。
パタン、と音がして、蛍がその場に崩れ落ちた。
「おいっ!」
俺は慌てて駆け寄り、倒れ込む寸前の彼女の身体を両腕で受け止めた。
彼女の身体は信じられないほど軽く、そしてひどく熱を帯びていた。呼吸は浅く、まるで電池が切れてしまった玩具のように、意識の糸がプツリと途切れている。
「おい、蛍! しっかりしろ……っ!」
返事はない。彼女は完全に深い眠りに落ちていた。
あまりの莫大な力の行使に、心身のエネルギーをすべて使い果たしてしまったのだ。
胸が締め付けられるような焦燥感と不安を覚えながら、俺はぐったりとした蛍を背中におぶった。
あの古い平屋へ急ぎ足で戻り、鍵の開いていた扉を足で押し開けるようにして中に入る。
焦りながら奥へ進み、彼女をあの本棚の前にあったベッドへとそっと寝かせた。
荒い息を整えながら、「冷えたタオルか何かを持ってきたほうがいいか……?」と周囲を見回す。
その時、彼女がいつも座っていた机の上が目に入った。
乱雑に置かれたペン立ての脇に、一冊の分厚いノートがぽつんと置かれている。表紙には何も書かれていないが、ページが頻繁にめくられた跡があった。
(……ん?)
俺はそのノートにゆっくりと手を伸ばす。
『早く帰って、日記を書かないと』
『今日みたいに少し無理をした日は、寝て起きたら、全部忘れちゃいそうで』
絵本を探した日の帰り道、歩きながら眠そうにこぼしていた彼女の言葉が脳裏に蘇る。
「……これがあいつの言ってた、日記か?」
ボソッと呟いた俺の手の中で、ノートはずしりと重く感じられた。
普段なら他人のプライベートなんて覗かない。だが、今日の出来事があまりにも常軌を逸していて、彼女が何者なのかを知りたいという衝動に駆られた。
いや、それだけじゃない。彼女の異常なほどの深い眠りと、「寝て起きたら忘れる」という言葉が結びつき、嫌な予感として胸の奥でガンガンと警鐘を鳴らしていたのだ。
俺はごくりと唾を飲み込み、パラパラとページをめくった。
そして、そこに書かれていた文字に目を落とした瞬間――俺の身体から、サァッと血の気が引いていくのを感じた。




