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小さな奇跡と、都合のいい鳥頭

ぢゅらおです。

最近気づいたのですが、自分の名前もうちょいちゃんと考えればよかったなと思ってます。

あの日から数日が経った。

相変わらず学校をサボりがちな日常の中で、俺の頭の片隅には、あの夜の不思議な体験――そして「蛍」と名付けた妙な少女のことが、どうにも引っかかっていた。

何をするわけでもないが、ふと思い立って、俺は再びあの平屋へ向かうことにした。

前回歩いた時と同じルートを辿っているはずなのに、今日は妙に目的地が近く感じられた。一度来た道だからか、それとも無意識のうちに足早になっていたからだろうか。

時刻は前回よりも少し早く、夕暮れ時。空は赤く染まり、遠くでカラスが「アー、アー」と間延びした声で鳴いている。その声が、どこかノスタルジックで物悲しい雰囲気を醸し出していた。

やがて、見覚えのある薄暗い路地に入り、一件の古い平屋の前に辿り着いた。

扉に無造作に貼られた「お力、ほんの少しだけお貸しします」という紙も、あの日のままだ。

(さて、今日はどうなってることやら……)

扉の前に立ち、俺は少し思案を巡らせた。

前回は、山積みの本を枕にして床に倒れていた。もしかすると、今日もまた本棚を崩して下敷きにでもなって、うんうん唸っているのではないだろうか。

そんな少し失礼な光景を予想しつつ、俺は「邪魔するぞ」と小さく呟き、年季の入った両開きの扉を押し開けた。

キィ、という立て付けの悪い音は相変わらずだったが、中に入って俺は思わず足を止めた。

「……随分、雰囲気が違うな」

前回、壁に一つだけポツンと掛けられていたランタン風の灯りが、今日は全く違っていた。

部屋の左右の壁に等間隔に、そして見事なまでに左右対称になるよう、綺麗な灯りが奥へと連なって設置されているのだ。柔らかな暖色の光が、まるで訪れた者を最奥へと導く道しるべのように、薄暗い空間を幻想的に照らし出していた。

その光の道に誘われるように、俺はゆっくりと奥へ進んだ。

軋む音を立てないよう慎重に歩を進め、本棚と壁の狭い隙間を通り抜ける。

するとそこには、前回床に足の踏み場もないほど散乱していた大量の本は一つもなく、すべてが奥の大きな本棚に整然と収められていた。

そして、その本棚の前に置かれた椅子に、彼女はいた。

フリフリとしたスカートに、インバネスコートのケープ。ちょこんと被ったベレー帽。

蛍は椅子に静かに腰を掛け、膝の上に広げた古い本にじっと視線を落としていた。

夕暮れの空気と暖色の灯りが混ざり合う中、微かにページをめくる音だけが静寂の部屋に響く。

前回の「えっち」を連呼してドタバタと騒いでいたポンコツ具合とは打って変わって、まるで一枚の美しい絵画を切り取ったかのような、静謐でミステリアスな佇まいだった。

少しの間、見とれていると彼女と目が合った。

どんな高尚な挨拶が飛んでくるのかと身構えた俺に向かって、蛍は本から顔を上げ、花が咲くような笑みを浮かべて言った。

「ご変態スケベ野郎様、ようこそまたいらっしゃいました」

「張り倒すぞ」

「女性に向かって『張り倒す』なんて言ってはいけませんよ。万田くん」

「前、俺に言ったよな?」

「記憶にございません」

「都合がいいな、その頭」

俺の軽口にふふっと笑うと、蛍は「少々お待ちくださいね」と言ってパタンと本を閉じ、立ち上がった。

本棚へ向かい、背伸びをして静かに本を元の場所へと収める。その後ろ姿を眺めながら、俺は内心で目を丸くしていた。

前回の、本の下敷きになって埃まみれで咳き込み、俺の手を払って見事に尻もちをついたポンコツっぷりはどこへ行ったのか。綺麗に整頓された部屋といい、今の落ち着いた所作といい、まるで別人のようなギャップにひどく驚かされる。

本をしまい終え、こちらへ戻ってきた蛍の姿を見て、俺はふと、ここへ来る前に気になっていたことを思い出した。

「そういえば……表の入り口に貼ってあった『お力、ほんの少しお貸しします』って張り紙、あれなんだ?」

俺の問いかけに、蛍は歩みを止め、少しだけ悩むような素振りを見せた。

しかし、すぐに何かを決心したように顔を上げ、まっすぐ俺を見て言葉を続ける。

「言葉にするより、見てもらったほうが早いかもしれませんね。少し、ついてきて貰えますか? ちょうどいい依頼があるので」

言うが早いか、蛍は俺の横をすり抜けざまに、ひょいっと俺の手を掴んだ。

そのままの勢いで、ぐいぐいと俺を入り口の扉の方へと引っ張っていく。

「お、おい……っ」

予想外のスキンシップと、華奢な見た目に似合わない強引さに、俺は少し照れくさいような情けない声を漏らしながら、大人しく引っ張られて外に出た。

「それにしても、あの本棚の片付け、一人でやったのか?」

「えぇ、まあ。あれくらい朝飯前ですよ」

「絶対途中で何回か崩しただろ」

「失礼な。二回しか崩してません」

「崩してんじゃねえか」

外に出た俺たちは、並んでゆったりとしたペースで道を歩いていた。

もちろん、外に出てからは手を離している。ただ、隣を歩く彼女との距離感は、初めて会った時よりも随分と近くなっている気がした。

他愛もない会話を弾ませながらふと空を見上げると、先程平屋に入った時にはまだ赤みを帯びていた空が、いつの間にかすっかり暗くなっていることに気がついた。

街灯の少ない道だが、先程は見えなかった月がぽっかりと浮かび、足元をはっきりと照らし出している。

月明かりに誘われるように、俺は隣を歩く蛍へと視線を移した。

青白い光に照らされたその横顔は、非常に整っている。少し幼さを残すあどけない顔立ちだが、それがかえって神秘的な雰囲気を際立たせていた。

一歩踏み出すたびに、インバネスコートのシルエットと、ふわりと揺れるスカートのフリルが月光を弾いて踊る。

(……綺麗だな)

柄にもなく、素直にそう思ってしまった。

ポンコツで、自分勝手で、変なところで強引な少女。けれど、今こうして静かに夜道を並んで歩いている姿は、間違いなく目を奪われるほど魅力的だった。

月明かりに照らされた住宅街の道を歩きながら、俺はふと隣を歩く蛍に尋ねた。

「そういえば、さっき言ってた『依頼』ってなんなんだ? 誰かに頼まれでもしたのか?」

俺の問いに、蛍はインバネスコートのポケットをごそごそと探り、一通の古めかしい封筒を取り出してヒラヒラと振ってみせた。

「これです。誰かが心の底から『助けてほしい』と強く願った時、ふと私の元にこういう手紙が届くんです。不思議ですよね」

「……お前、本気で言ってるのか?」

「ええ、大真面目ですよ。さっき本を読んでいた時も、ふわりと栞の間に挟まってきたんですから」

からかっているのかマジなのか判断がつかない。俺が胡散臭(うさんくさ)げな目を向けても、彼女はどこ吹く風で「あ、あそこです」と前方を指差した。

指差した先は、住宅街の端にある小さな児童公園だった。

街灯が一つしかない薄暗い公園の隅で、小学生くらいの男の子がしゃがみ込み、側溝を覗き込みながらポロポロと涙を流している。

「どうした? 何か落としたのか」

俺が近づいて声をかけると、男の子はビクッと肩を揺らし、涙声で答えた。

「えほん、落としちゃったの……。おばあちゃんがくれた、大事な本なのに……」

男の子が指差した側溝の隙間から中を覗き込む。

かなり深く、底には雨上がり特有の泥水が溜まっているようだ。スマホのライトで照らしてみると、確かに泥水の上に一冊の古びた絵本が落ちているのが見えた。

少し大人向けの、死生観や目に見えない想いをテーマにしたような複雑な児童書だった。

「こりゃあ……俺の腕じゃ届かないな。それに、泥水に浸かってるからもう読めないかも……」

「嫌だっ! まだお話の意味、ぜんぶわかんないけど……おばあちゃんがくれた、たいせつな本なのに!」

泣きじゃくる男の子を前に、俺がどうしたものかと頭を掻いていると、スッと隣から蛍が進み出た。

「大丈夫ですよ。泣かないで」

蛍は躊躇うことなく側溝の前にしゃがみ込むと、コートの袖を少しだけ捲り、暗く汚れた側溝の中へその華奢な腕を真っ直ぐに差し入れた。

「おい、そんなところ腕突っ込んだら泥だらけに……っ!?」

俺が制止の声を上げた瞬間だった。

暗闇の底に伸びた蛍の指先から、文字通り『蛍』のような淡く優しい光がふわりと灯った。

(……なんだ、今の光?)

小さなLEDライトでも仕込んでいたのだろうか。俺が呆気にとられている間に、蛍は「よっ、と」という軽い掛け声と共に腕を引き抜いた。

「はい、お待たせしました」

彼女の手には、先ほどの絵本が握られていた。

驚くべきことに、泥水の中に落ちていたはずのその本は、泥の汚れ一つなく、ページに水滴すらついていない。完全に乾いた綺麗な状態のままだった。

「あ、ぼくのほんだ!」

「手品……いや、マジックか?」

俺が信じられないものを見るような目を向けると、蛍は得意げにふふっと胸を張った。

「日頃の行いです」

そう嘘ぶいてから、蛍は絵本を大切そうに抱きしめる男の子の目線に合わせてしゃがみ込み、優しく語りかけた。

「このお話、少し難しいですよね」

「うん……。まだ、よくわかんない」

「今はそれでいいんです。でも、大事なものだっていうことは、ちゃんと分かっているんでしょう?」

コクリ、と男の子が頷く。

蛍はその頭を優しく撫でた。先ほどまでのポンコツな少女とは到底思えない、慈愛に満ちた大人びた表情だった。

「いつかきっと、全部わかる日が来ますよ。その時まで、大切に持っていてくださいね」

「うん! お姉ちゃん、お兄ちゃん、ありがとう!」

パアッと顔を輝かせた男の子は、本を抱きかかえたまま元気に駆け出していった。

その後ろ姿を見送ってから、俺たちは再び帰路につく。

「……なぁ。さっきの、どうやったんだ? 泥水に落ちてた本が濡れてないなんて、いくらなんでも」

「だから、日頃の行いだって言ってるじゃないですか。企業秘密です」

のらりくらりと躱す蛍を追及しようとしたその時。

ふぁぁ……と、静かな夜道に彼女の気の抜けた欠伸(あくび)が響いた。

見れば、蛍はとろんとした目で、歩きながらこくりこくりと船を漕ぎそうになっている。

「おいおい、歩きながら寝るなよ」

「すいません……少しエネルギーを消費してしまったせいか、急に猛烈な眠気が……」

蛍は目を擦りながら、ふにゃりとした笑顔を浮かべた。

「でも、寝落ちするわけにはいかないんです。早く帰って、日記を書かないと」

「日記?」

「はい。私、とっても忘れっぽいので……今日みたいに少し無理をした日は、寝て起きたら、万田くんとこうして歩いたことも全部忘れちゃいそうで」

「……いくらなんでも鳥頭すぎだろ」

俺は呆れてため息をついた。

てへっと舌を出す蛍に、俺は「都合のいい頭だ」と内心で毒づきながら、先ほどの不思議な光のことも手品の類だろうと、深く考えるのをやめてしまった。

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