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雨上がりの廃屋と、名もなき少女

ぢゅらおです。

短編の予定でしたが、文字数が多くなってしまい、5話に分けて連載することにしました。よろしくお願いします。

ペチャッ、ペチャッ、と遠くで水たまりを踏む誰かの足音が聞こえてくる。耳を澄まそうとしている訳ではないが、特段気にするべきものがないと、不思議と五感は研ぎ澄まされるものだ。

連日続いた雨がようやく上がり、三日三晩家に閉じこもっていた俺は、太陽が沈み月が昇り始めるこの時間、気まぐれに外を散歩していた。

本当は今日、学校があったのだが、行く気力が湧かずサボってしまった。いじめられているといった明確な理由はない。ただ、行きたくなかった。ここ最近はそんな日が増えている。

外に出た理由も、「雨が止んだから」というどうでもいいものだ。何か特別なことをしたい訳じゃない。外に出たいと思い立ち、靴を履いて扉を開けた瞬間に、俺の目標は既に達成されている。今はただ惰性で歩みを進めているに過ぎなかった。

「……帰るか」

小さく息を吐き出し、立ち止まる。何も考えないままひたすらに真っ直ぐ歩き続けた俺が辺りを見渡すと、あまり見覚えのない光景が広がっていた。

時間的にそう遠くまでは来ていないはずだが、纏う空気がどこか家の周辺とは違っている。

家を出た時はまだ少し明るさが残っていたものの、今はすっかり日が落ち、所々の建物で外周灯が点き始めていた。

その見知らぬ景色に少しばかりの非日常感と好奇心をそそられた俺は、帰ろうとしていた足の向きを逸らし、薄暗い路地へと歩みを進めた。

路地に入ってから五分ほど経っただろうか。人一人がやっと通れるほどの細い道を、暗闇に目を凝らし、足元に注意を向けながらただひたすらに歩き続ける。

初夏特有のじんわりとした湿気を帯びた暑さに、額から汗が滲んだ。それを腕で乱暴に拭いながらふと視線を上げると、ずっと何もなかった路地に、ぽつんと一件の古い平屋が建っているのが目に入った。通りに面した扉のすりガラスからは、ほのかな明かりが漏れ出している。

近づいて扉の前まで行くと、「お力、ほんの少しだけお貸しします」と書かれた紙がテープで無造作に貼りつけられていた。

(力を貸すって……、なんだ?)

好奇心に駆られた俺は、年季の入った両開きの扉に手を掛け、ゆっくりと押し開けた。キィ、と立て付けの悪い音が響く。

中を見渡すと人影はなく、真ん中にぽつんと机があり、それを挟み込むように二つの椅子が向き合っているだけだった。両脇にあった本棚にはぎっしりと本が仕舞われていた。

人の住んでいる雰囲気を微塵も感じず、俺は首を傾げる。

どうやら、空き物件にたまたま電気が点いていただけらしい。外の張り紙も近所の子供のイタズラかなにかだろう。電気だって、探検ごっこをした子供たちが点けたまま帰ってしまった可能性が高い。

密かに非日常を期待していた俺は、肩透かしを食らったような虚無感を覚え、足元に落ちていた丸い紙くずを拾い上げると、何気なく奥の本棚の方へ投げつけた。

ポスッ、という軽い音の後。少し遅れて、ドサドサッと何かが崩れ落ちる重い音が響き、俺は踵を返そうとしていた足をピタリと止めた。

「……奥に何かあったのか?」

ボソッと呟き、壁に掛けられていたランタン風の灯りを手に取る。ギシッ、ギシッと軋む床を慎重に進み、本棚と壁の狭い隙間を体を横にして通り抜けた。

通り抜けた先で、周りを観察するために手に持っていた灯りを掲げる。

そこにあったのは、床に山のように積まれた大量の本。そして、その本を枕にして横たわる人の姿だった。……ん?

「あぁぁぁぁ!?」

「っ!? きゃあぁぁぁぁ!!」

「あァァァァァっっ?!」

「ぎゃあァァァァァっ!!」

「……ケホッ」

「んっんんっ! ゲホッ、ゴホッ」

俺と横たわっていた人影は、埃っぽい密室でお互いにありったけの大声を出したせいで、舞い上がった埃を思い切り吸い込んでむせてしまった。

しばらくの間、無様な咳き込み合いが続く。やがて息が整ったところで、俺はやっとの事で目の前の人影にちゃんと灯りを向けることが出来た。

光の中に浮かび上がったのは、華奢なシルエットだった。フリフリとしたスカートに、上はインバネスコートのケープ部分だけを羽織ったような風変わりな服を着て、頭にはベレー帽をちょこんと被っている……少女だ。

ランタンの灯り越しに俺が呆気にとられて観察していると、スカートの裾を抑えながらゆっくりと体を起こした少女が、ジトッと目を細めた。

「……そんなにまじまじと見ないでください。このえっち」

親の仇でも見るかのような冷たい視線で、鋭く刺してくる。

「俺今、そんなにまじまじと見てた?」

「えぇ、割と」

「なんで?」

「私にそれを聞きますか?」

少女はわざとらしくため息を吐く。

「まぁ、私の体が魅力的だということは否定しませんが……」

「安心してくれ。不思議な生き物を見つけて、好奇心で眺めていただけで、そのようなやましい感情は一切ない。あと、そこまで魅力的じゃない」

「……最後の一言、余計すぎません?」

分かりやすく肩をガックリと落とす少女。ペタンと正座を崩した形で座り込んでいる彼女に、俺は起き上がれるようにスッと手を差し伸べた。

「なんですかこの手は」

訝しげに俺の掌を見つめる。

「右手だ」

「左右どっちの手かなんて聞いてません! どういう用途の手ですかという意味です!」

「手を掴んで引っ張り起こすための手だが」

「さりげなくえっちしてこないでください。このえっち」

「今、とんでもない誤解が生まれる表現だった気がするんだが」

「私の手をさりげなく握ろうなんて、えっちですよえっち」

「さっきからえっちえっち言い過ぎだろ」

呆れ果てて手を引っ込めると、少女は少し首を傾げた。

「そういう目的で忍び込んできた訳では無いので?」

「一切ないな。散歩で近くを通ってたら、たまたまこの廃屋が目に留まって入ってみただけだ」

「では、お客様ですか」

「お客様かどうかは分からないが……逆に俺のことなんだと思ってたんだ?」

「ご変態スケベ野郎様」

「…………」

俺は無言でランタンを床に置いた。

あまりにも清々しく胸を張って言い切るので、自分の尊厳が穢されたことに対して微塵も怒りが湧いてこない。

そこで俺は再び手を差し出した。

「まぁ、せっかくなのでご厚意に甘えますけど」

そう言って俺の手を握り、少女が中腰ほどまで起き上がった……そのタイミングで、俺はパッと手を離した。

「……ふぇっ!?」

当然、支えを失った少女は情けない声をこぼし、ドンッと大きな音をたてて再び埃っぽい床に尻もちをついた。

「なにぞ!?」

「仕返しだ」

「なんの!?」

「俺の」

「ふー(Who)じゃなくて、わいっ(Why)!?」

「びこーずおぶゆー(Because of you)だわ」

「……?」

少女はきょとんとして瞬きを繰り返す。

「英語分からないのに、なぜ英語を使ったんだ」

「何事も挑戦ですよ」

「今じゃないだろ」

「今じゃないと思います」

全くもって論理性が見出だせない会話に、俺は思わずこめかみを押さえた。「どうしましたか?」と言わんばかりに、少女も同じように首を傾け返してくる。

ふっと口から出そうになったツッコミも、また適当な言葉遊びで消費されるだけだと結論付け、俺はため息と共に言葉を飲み込んだ。

「ところで……お名前を聞いてもいいですか?」

今度は自分の力で起き上がり、スカートに付いたホコリをパサパサと払い落としつつ、ふと思い出したかのように少女が尋ねてきた。

「万田知哉(まんだともや)。ただの高校生だ」

別に自分が何者であるかなんて律儀に伝える必要はなかったのだが、彼女の探偵じみた服装を見てふと昔のアニメを思い出し、つい先に口が動いてしまった。

「万田くんですね、改めてよろしくお願いします」

ぺこりと頭を下げる少女。

「あぁ、よろしく。……って、何に対しての『よろしく』だ?」

「? 人と出会った時は『よろしくお願いします』と挨拶するものではないのですか?」

「うーん……? まぁ、間違っては無いか」

先程からずっと感じていたが、この少女と会話していると、どこか噛み合っていないような、ペースを崩されるような妙な気分に陥る。

そんな風に内心でぼやいていたが、頭の片隅でふと、至極当たり前な問題に気が付いた。「俺は名乗ったが、この目の前の少女は誰なんだ?」と。

「というか、お前こそ名前はなんだ?」

「むぅ……」

問われた少女は、片手を腰に当て、もう一方の手を口元に添えてうんうんと考える仕草を始めた。

「すまん、ひょっとして英語で聞くべきだったか?」

先程の意趣返しに軽い冗談で場を繋ごうとしたのだが、当の本人はツッコミを入れる素振りも見せず、本気で深く考え込んでいる。

しばらくの沈黙の後、彼女はぽんと手を打った。

「うーん、すいません。自分の名前なんてしばらく聞かれることがなかったので、忘れてしまいました」

思っていたよりも長く悩み続け、やっと叩き出したその答えに、俺は目を丸くする。思わず「……へ?」と間抜けな声が漏れてしまった。

「いやいや、名前なんて聞かれてなくても覚えてるだろ普通?」

「……まぁ確かにそうなんですが、私にとっては特に重要ではない、と言った方がいいでしょうか? 忘れっぽいんですよね、私」

てへっと舌を出して、自分の頭をコツンと小突く少女。そんなアニメキャラクターのような気軽さに対して、処理しきれない情報量に俺の額からは冷や汗が滲み出る。

どうやら、あんまり関わっちゃいけないタイプの奴と絡んでしまったのかもしれない。今更ながら、足を踏み入れたことへの少しばかりの後悔が生まれていた。

そんな俺の引きつった顔を見ていた少女が、「あっ、そうだ!」と名案を思い付いたかのように声を上げた。

「だったら、万田くんが私の名前を決めてください!」

「???」

俺の頭上に特大のクエスチョンマークが浮かぶ。

「……いや、そんな『?』みたいな顔しないで、ね?」

「?????」

「なんかどんどん増えていってる気がしますが」

「???????」

「もうっ! 表情で語るんじゃなくて、言葉で語ってくださいっ!」

むくれてぷくっと頬を膨らまし、下から顔を覗き込んでくる少女。

……なんだろう、すんごい自分勝手だな?

「例えばだが、俺が付けた名前を今後一生背負っていくことに抵抗感はないのか?」

「ないですね! 基本的にそういう情報は私にとって軽いものなので!」

「じゃあそうだな……『ギャラクティックブルードラゴン』とかどうだ?」

「…………」

先ほどまでの笑顔が嘘のように、少女はスッと真顔になり、絶対零度の視線をこちらに向けた。

「張り倒しますよ」

「ご、ゴメンナサイ……」

『俺が付けていいって言ったじゃないか』という反論の目を向けるも、「常識を知れ」と言わんばかりに睨み返され、ぐうの音も出ない。

でも、これはあまりにも俺が可哀想ではないか。俺の中では真面目に全力で考えたつもりである。それをこうも秒殺で否定されるとは、とんだ無礼者だ。

「今、頭の中で色々と言い訳を考えてるところだと思いますが、可憐な女性に付けるという前提をお忘れなきよう」

「……ごもっともです。すみません」

純度100%、論理性100%のド正論に、俺の脳内での言い争いは完全敗北をもって終結した。

さて、どうしたものか。

改めて「可憐な女性にふさわしい名前」と言われても、ただの高校生である俺のネーミングセンスには限界がある。

腕を組み、うーんと唸りながら視線を彷徨わせていると、ふと、この廃屋に辿り着くまでの道中の光景が脳裏に蘇った。

雨上がりの生ぬるい風と、暗がりの静寂。

そういえば、あてもなく歩いていた途中の水路の辺りで、淡い光を放ちながらフワフワと舞う虫の姿を見た。初夏を告げる、儚くも美しい光。

「……『蛍(ほたる)』なんてどうだ?」

ふと思いついたその単語を、ポツリと口に出してみる。

先ほどの厨二病全開なネーミングから一転、あまりにも見たままの風景から持ってきた由来に、自分でも少し安直すぎるかと思った。だが、少なくとも得体の知れないドラゴンよりは女性らしいはずだ。

おそるおそる少女の反応を窺うと、彼女は目を丸くして数度瞬きをした後、ふっと小さく息を吐いた。

「安直ですが、先程のよりはマシだと思いますよ」

口ぶりこそ少し呆れたようだったが、その表情に先ほどのような氷の冷たさはない。

むしろ、どこかその響きを口の中で転がして確かめるように唇の端をわずかに綻ばせ、彼女の顔には確かな納得感が漂っていた。

ふと気がつけば、外の空気は一段と冷え込み、夜の深まりを感じさせていた。

時計は持っていないが、体感でかなりの時間が過ぎているのがわかる。

(もうこんな時間か……)

「今日はこの辺にしとくよ。色々と不思議な体験をさせてもらったしな」

立ち上がり、ズボンについた埃を軽く払う俺に、蛍は小さく頷いた。

彼女は床に置いてあったランタンを手に取ると、俺の後に続いて入り口の扉まで見送りに来てくれた。

ギシギシと鳴る床を進みながら、俺は今日起きた出来事を頭の中で反芻する。

ただの気まぐれな散歩のつもりが、こんな奇妙で、それでいてどこか放っておけない少女と出会うことになるとは。まったく不思議な日だ。

立て付けの悪い扉を開け、外のひんやりとした空気を胸いっぱいに吸い込む。

振り返ると、薄明かりの中に立つ蛍が俺を見上げていた。

「また、時間があったら来ていいか?」

特に深い意味はない。ただ、この非日常的な空間ともう一度繋がっていたいという、ほんの少しの好奇心から出た言葉だった。

すると蛍は、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「……私にそんなに会いたいなんて、やっぱりえっちじゃないですか」

「そんなんじゃねーよ。自意識過剰だ」

俺は即座に一蹴し、呆れ顔で踵を返した。

背中に彼女のクスクスと笑う気配を感じながら、薄暗い路地を歩き出す。

数歩進んだところで、不意に背後で大きく息を吸い込む音が聞こえた。

「万田知哉っ!」

静まり返った夜の住宅街に、不釣り合いなほど大きな声が響き渡った。

ビクッと肩を震わせた俺の背中に、さらに声が叩きつけられる。

「君の名前は、万田知哉!」

「馬鹿っ!」

俺は慌てて振り向き、彼女に向かって声を殺しながら叫んだ。

「個人情報をこんな夜遅くに、そんなでかい声で言うんじゃねーっ!」

近所迷惑だし、何より恥ずかしい。

俺の必死の制止に、蛍はランタンを持ったまま満足げにふふっと笑っていた。

まったく、とんだトラブルメーカーに関わってしまったものだ。

だけど不思議と、腹の底から嫌な気分は湧いてこない。

俺は小さくため息をつき、今度こそ家路につくために暗い路地を進んでいった。

ぢゅらおです。

何年ですか。書く書く詐欺してしばらく経ちましたよねえぇぇぇすいませんっ!!!!!自分でも驚きです。小説のために作ったXのアカウントも今ではゲームのことばっかあげる始末、面目もありません。とりあえず、次回の長編が書き上がるまではこちらの短編(の予定でしたが長くなったので5話連載の長編扱いにしてます)を投稿しますので、こちらを読んでお待ちください。

今日から1日1話計5日投稿しますね……!!

あとがきは最終話でまた!ちなみに結構な力作です。

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