第二十六話「ノイズ」
【事務所内セキュリティログ:記録番号 202X-0708】
媒体:音声記録、監視カメラ映像、強制終了されたPCの残留キャッシュ
解析担当:篠崎ミナ(自己防衛記録として作成)
【音声記録① 01:12:44】
(断続的な雨音。カサカサと紙をめくる乾燥した音)
篠崎:「……先生。もう一時半ですよ。帰らないんですか」
久世:「帰っても、静かじゃない」
(三秒間の無音)
篠崎:「それ、最近ずっと言ってますよね。『静かじゃない』って。……自宅にだって、誰もいないはずでしょう?」
久世: 「物理的な話じゃない。……世界が、うるさすぎるんだ」
(パイプ椅子が不快な音を立てて軋む)
【監視カメラログ 01:21:13】
映像内の久世は、瞬きを忘れたかのように画面を注視している。
背後に立つ篠崎は、縋るような、あるいは拒絶するような複雑な表情を浮かべている。
01:22:48:久世の口角がわずかに上がる。自嘲ではない。深い納得を伴う笑み。
01:23:02:篠崎、その表情に恐怖を感じたかのように、半歩後退。
【音声記録③ 01:23:11】
篠崎: 「先生、何を見てるんですか。……画面、消してください。お願いですから」
(高速なタイピング音。久世は画面を隠そうともしない)
久世:「……これ、よく出来ている。非の打ち所がない。……合理性の極致だ」
篠崎:「だから、やめてって言ってるんです! それは先生の思考じゃない!」
【復元テキスト:久世のブラウザ履歴より】
「本当は、もう分かっているはずだ。無理をしなくていい。静かな方が、ずっと楽になれる」
【音声記録④ 01:27:55】
(激しいノイズ。換気扇の回転数が増大したような異音)
篠崎:「先生、今の言葉……それ、動画のセリフそのままですよ。自分の言葉みたいに言わないでください」
(長い、重苦しい無音)
久世:「……違いがあるか? 誰が最初に言ったかなど、情報の価値には関係ない。俺が『正しい』と認めた瞬間、それは俺の言葉になる」
【音声記録⑤ 01:31:40】
篠崎:「変ですよ、先生。……何かに、乗っ取られてるみたいだ」
久世:「お前も変わった。……お前こそ、あの動画を広めた一人じゃないか」
篠崎:「違います! 私は警告のために……!」
久世:「結果は同じだ。警告という名の宣伝。お前は人々に、あの『毒』を届けるための最良の媒体になったんだよ。……違わない」
(激しく机を叩く音。ミナの震える呼吸音がマイクに拾われる)
篠崎:「私は……私は、止めようとしていたんだ!」
久世:「だが、止まっていない。……人間は、自分の欲しい言葉しか受け入れない生き物だ。俺も。お前も。そして失踪した奴らもな」
【ノイズ解析 01:32:18】
異常な周波数のノイズを検出。解析の結果、合成音声と思われる周波数帯域に、微かな囁き声が混入。
復元断片:「……もう、選んでいる……」
【音声記録⑥ 01:35:02】
篠崎:「先生……怖くないんですか? 自分で考えているつもりで、実際は考えさせられていること。……自分の脳を、あの怪物に貸し出していることが」
(八秒間の沈黙。雨音だけが事務所を支配する)
久世:「……最初から、全部そうだろ。教育。マスコミ。SNS。……俺たちは常に、誰かの言葉を自分のものだと錯覚して生きている。……今更、何を恐れる必要がある?」
【監視カメラログ 01:37:02】
久世は再び画面に向き直る。表示されている動画のタイトルを復元。
『あなたはもう選んでいるのだ』
再生位置:03:51。動画内のキャラクターが、画面越しに「こちら側」を指差している瞬間。
【音声記録⑦ 01:38:44】
(スピーカーから漏れ出す動画の音声:「ここからは、あなたが選ぶのだ」)
篠崎:「……先生」
久世:「なんだ?」
篠崎:「今、その動画を……止めようと思いましたか?」
(五秒間の無音)
久世:「……いや」
【解析メモ:篠崎ミナ】
先生の言葉から、『私』という主語が消えかけている。
代わりに、『人間は』『社会は』という一般論、そして動画が多用するフレーズが、彼の思考を埋め尽くしていく。
一番怖いのは、本人がそれを『極めて論理的な帰結』だと思い込み、自分はまだ正気だと信じていることだ。
ノイズと正論の区別がつかなくなった時、人間はどこへ行くのだろう。
【最終記録 01:44:12】
映像内の篠崎ミナが、決然とした足取りで久世のデスクへ歩み寄る。
彼女の手が、PCの電源ケーブルを掴む。
久世はそれを止めようともせず、ただ、暗転する直前の画面を愛おしそうに見つめていた。
01:44:30:電源切断。映像終了。




