第一話 03. O-O(1)
5月14日 9:04
カーテンの隙間から差す朝の光がモニターの端を白く飛ばしている。
5枚の画像が届いたのは30分前……。
本文は3行。最後の1行だけ、語尾を何度か打ち直す。
件名の欄に短い記号を打ち込んだ。
”O-O”
画面の隅の時刻には目もやらずに送信を押した……。
◆一
5月14日
8:30から始まるはずの定時の捜査会議が、なかなか始まらない。普段なら8時には席にいる新田の椅子が、まだ空いていた。
「3分ほど遅れる」との連絡は飯田に入っているが、既に5分以上過ぎている。上座の黒田が腕時計に目をやるのは、これで2度目だ。
「8:45まで待って来なかったら、木村……お前が今日の会議を仕切れ。
それまで各自、報告の見直しをしておけ」
腕組みをしたままの黒田の声が、会議室の隅まで通った。
「勘弁してくださいよ、課長。
俺が仕切ったら、会議が漫才になりますわ」
木村が片手をひらひらと振ってみせると、短い笑いが起きた。黒田だけは、にこりともしない。
黒田の視線が一瞬、新田班の飯田に向いた。飯田は新田が遅れている理由を知っていたが、手元の資料に目を落としたまま、口を開こうとはしなかった。
ドアが勢いよく開き、新田が飛び込んで来る。
「悪い、悪い。まだ始まっていない?」
「遅いぞ! 直ぐに始めろ!」
眼鏡の奥で、黒田の目が笑っていない。
「班長、寝坊ですか」
誰かが茶化すと、あちこちから笑いが漏れた。
新田は笑って軽く手を上げ、席に着いた。いつもの調子に見える。だが、飯田だけは、上げた手がいつもより早く下りた事に気付いていた。
8:42、12分遅れで定時の捜査会議が始まる。
新田は短く詫びただけで、資料を開いた。
「では各班、進捗状況の報告を頼む……」
最初に手を挙げたのは堀内だった。
「堀内班は各現場の防犯カメラ、Nシステム、ドライブレコーダーの映像収集を進めていますが、ホテルの件とコンテナヤードの件に進展がありました」
黒田が腕を組んだまま頷く。
ロビーの男は青山の”センチュリーホテル”に5月9日から1人で泊まっていた。名は”王 志偉”、38歳の中国人。パスポートは恐らく偽造で、支払いは日本円の現金。
「チェックイン、チェックアウトの書類は任意で提出を受け、
鑑識に回しています」
「直ぐに部屋にも鑑識を向かわせろ」
黒田だった。
「はい。そのつもりで、昨晩からこの部屋は使わせないようにしています」
「リストの殺し屋……”顧 凌峰”か……」
新田は資料の写真に目を落とした。
「はい。リストが正確なら、当然、パスポートは偽造という話になります」
「後でホテルの防犯カメラの画像を見せてくれ。
何か解るかもしれない」
「直ぐに用意します」
コンテナヤードの防犯カメラにも、5月7日16:00、それらしい男が映っている。顔は判らないが、服装も持ち物も画像と同じだ。
「足取りは追えるか」
「ホテルもコンテナヤードも、周辺のカメラで拾えたのは2、3台です。
そこから先が、ぷつりと切れています」
「だろうな……
カメラの位置くらい、連中は先に押さえとる。
範囲を広げろ。久保田班や所轄を使っても構わん。
必要ならワシが手配する」
「解りました。
引き続き堀内班はメール情報のウラ取りを進めます」
黒田と目が合う。新田は手元の資料をめくった。
「次!」
その後の新田班と木村班の報告も、ウラ付けばかり。日付も場所も、メールに書かれた通りだった。
一通りの報告が終わると新田が立ち上がった。
「こちらからも数点……
まずは画像の件だ。
昨日、4課の野口に、同じ場所から同じ写真を撮らせた。
……撮れなかった」
「野口が言うには、
撮影のプロの中でも、こればかりを撮っている”専門職”だそうだ。
……私は、かなりレベルの高い諜報機関からの情報と見ている」
誰かのペンが机に落ちた音が、やけに大きく響いた。
匿名の情報提供者。異常な精度の写真。
新田は資料から顔を上げた。
「国内の組織でここまでのレベルの諜報員がいるとは聞いた事が無い。
海外の諜報機関という事も視野に入れる必要があるだろうな。
文面が電報みたいに短いのも、日本語が母国語でないなら頷ける」
「それと、昨日言ったSAの3枚目だ」
新田がノートPCを操作すると、正面の大型モニターに高速道路のサービスエリアの1枚が映し出された。自販機の前に立つ男が、真っ直ぐにこちらを見ている。
「13枚の中で、撮られている事に気付いているのはコイツだけだ。
気付いた上で、顔を隠しもしなければ、立ち去りもしていない」
堀内が資料をめくる手を止めた。
「……リストの、誰です?」
「まだ解らない。照合を急いでくれ」
「……撮った方も、命懸けですな」
木村はモニターを見たまま、顎を撫でた。誰も笑わない。新田は答えずに、モニターの画面を消した。
「次に、成田だ。
5月11日の朝の防犯カメラに、AIの照合で1人引っ掛かった。
クアラルンプールからの便らしい。
まだ確定ではないが、
ICPOの青手配(情報照会)が出ている男だと、警察庁から今朝連絡が入った」
後ろの方で、誰かが短く息を吸った。
「まだ確かな事は言えないが、
この男もリストの連中と合流している可能性がある」
「”デカい”パーティーになりそうだな」
黒田が腕組みのまま、鼻を鳴らした。
「会費は誰持ちですかね?」
後ろの方から誰かが返したが、笑ったのは2、3人だけだった。
◆二
会議が終わり、椅子を引く音が散って行く。デスクに戻るなり、飯田は隣の班員の方へ椅子ごと向き直った。
「聞いてくださいよ。班長の”検索履歴”の話……」
飯田は声を潜めた。
「検索履歴?」
「家のタブレット、奥さんと共用なんですけど、
履歴に”結婚記念日 忘れた 言い訳”って残ってたそうです」
「……まだ当日じゃないんですよね?」
「そうなんですよ。
忘れる前から言い訳を用意してるんです」
周りの班員が小さく吹き出す。
「班長、変なところで用意周到ですよね」
「でしょう?
奥さん、怒るより先に笑っちゃったって言ってました」
飯田が話し終えるか終えないかのうちに、新田のデスクの方から声が響いた。
「あ~っ!!」
その場にいた全員が反射的に新田の方を振り向く。
「また始まった……」
「飯田さん、今度も家絡みに賭けます?」
「賭けるまでもないですよ」
飯田が笑いながら新田のデスクに近付く。だが、画面を覗き込んだ瞬間、喉の奥で、笑いの残りが止まった。
新田の目は画面の一か所から動かない。
差出人の欄には見覚えのある文字列。
”Untouchable”
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次回「第一話 3. O-O(2)」




