第一話 01. 厄介なメール(2)
◆三
「失礼します」
新田が入ると、課長の黒田は決裁書類から顔を上げた。
穏やかな丸顔と少し垂れた目尻。一見すると近所の世話好きなおじさんといった風貌だ。普段は「今日の昼飯、何にするかな」くらいの顔で廊下を歩いている男だが、その眼鏡の奥の目が笑っていない時、部下は全員、黙ってその場から消える事にしている。
新田の顔を見た瞬間、黒田の目から笑みが引いた。
「……何かあったな?」
「はい。これを……」
新田はノートPCを机に置き、画面を黒田の方へ向けた。
黒田は無言で本文を読み、添付ファイルを1枚ずつ開いていった。
時折、指先が止まる。
写真を拡大し、人物の顔を確かめ、また次へ進む。
最後のファイルを閉じた時、部屋の中にはエアコンの低い音だけが残っていた。
「合わせて12人か……」
「はい。発信は今朝の4時です」
黒田は壁の時計に目をやった。
「……"今朝の4時"か」
「……申し訳ありません」
「謝るのは後だ。次は開ける前に持って来い」
黒田はゆっくり眼鏡を外し、目頭を押さえた。
黒田の目が、最後に差出人の欄へ戻った。
「……アイツか」
「はい」
ため息とも唸り声ともつかない音が喉の奥から漏れる。
「コイツの情報は今まで一度も外れていません」
「解っとる。嫌になるくらいにな……」
黒田は苦い顔で呟くと、机の電話に手を伸ばしかけて、ふと止めた。
「新田。今日は早く帰る予定だったんじゃないのか」
「……どうして、それを?」
「課の中で、知らん者はおらんぞ。
"班長が今日は嫁さんに頭を下げに行く日だ"と」
新田は心の中で飯田の名前を3回ほど繰り返した。
「飯田……今度、野田に女房の悪口を好きなだけ吹き込んでやる」
「おい、八つ当たりはよせ。
……まあ、残念だったな」
黒田は外していた眼鏡を掛け直した。
「それは次の機会に……」
「そうなるだろうな」
黒田はそう言うと、改めて机の電話に手を伸ばした。
「私だ。至急、4課の村上を寄こしてくれ」
◆四
村上は5分後に現れた。
公安4課。名前こそ紛らわしいが外事4課とは別の課で、公安部の資料と情報を一手に抱える裏方だ。村上はそこの男で、小柄な体にいつも寝不足のような目をしている。
新田がノートPCの画面を一通り見せると、覗き込んだ村上が顔を上げずに訊く。
「アイツですか?」
「ああ。解るか?」
「ええ、撮り方にクセがある……
これは実写ですよ。
今流行りの生成AIじゃありません」
「見ただけで解るのか」
「晩メシを賭けても良いですよ」
「お前が賭けるのは、いつもカップ麺だろう」
「カップ麺でも、晩メシは晩メシです」
「そうか……
村上、この画像と資料を全て解析してほしい」
新田が用意していたUSBメモリを差し出す。
「画像の加工の有無は勿論、分析可能な事は全部だ」
「解りました。直ぐに掛かります」
USBメモリを受け取ると、村上はもう背を向けていた。
新田は自分の席に戻ったが、同じ書類の同じ行をもう3度読んでいる。壁の時計の長針が、また1つ進む。
1時間ほどして内線が鳴った。課長室だ。
「暫定ですが、報告します」
黒田と新田を前に村上は手元のメモに目を落とした。
「13枚とも、加工やレタッチの痕跡はありません」
黒田が小さく頷く。
「撮影場所は?」
「港湾、ホテル、高速道路のサービスエリア……
ウラはまだ取れていませんが、
恐らく地図情報の通りと考えて間違いないでしょう。
機材の分析にはもう少し時間をください。
明日、正式に報告します」
「解った。ご苦労だった」
村上が去ると、黒田は椅子に深く座り直し、天井を仰いだ。
「確定だな。
……待っている時間は無い」
「この画像を警察庁の外事情報部に上げて、全国の警察と共有させろ。
それぞれの管轄で潜伏先を洗い出させる。
リストの人間は、外事情報部を通して各国の機関にも照会を掛けさせろ。
……返事が来るのは、急がせても来週だろうがな」
「了解しました」
「それと、16時に課の全員を集めろ。緊急の捜査会議だ」
新田は深く頭を下げて部屋を出た。
◆五
5月12日 16:00
会議室には外事4課の全班員が集まった。西に傾き始めた日がブラインドの隙間から細く差し込んでいる。
「”緊急”って、また抜き打ちの訓練じゃないの」
「この時間からかよ。
今日、ナイターのチケット取ってたんだけどな……」
騒めきの中で飯田が新田の横に滑り込んでくる。
「班長、さっきの『あ~っ!!』、あれは何だったんですか?」
「聞かなくていい」
「気になりますよ」
「聞くな」
飯田は肩をすくめたが、新田の横顔を見て、それ以上は訊かなかった。
黒田が前に立った。
騒めきが一瞬で消える。
「忙しいところ悪いな。
手短に済ませる……
と言いたいところだが、今日はちょっと長くなりそうだ」
誰かが小さく「えー」と声を漏らし、2、3人が笑う。
「早速だが、今朝、匿名の情報が入った」
黒田はそこで言葉を切ると、新田に目を向けた。
「新田、詳細の説明を……」
新田は頷いて前に出ると、手元の資料に目を落とす事なくホワイトボードに書かれたメールアカウントを指差した。
「本日午前4時、このアカウントからメールが届いた」
よく通る硬い声だった……。
前列でペンを回していた指が止まる。このアカウントの名前を耳にした事のある者は少なくないが、その中身まで知っている者は、ごく一部だった。
「”海外で活動中のタイ人傭兵2名、中国人傭兵5名、
それに名の売れた殺し屋5名……
合わせて12名が5月4日から10日にかけて日本へ密入国し、
国内に潜伏している”との内容だ」
”殺し屋”の所で、前列の2人が顔を見合わせる。
椅子の軋む音が、あちこちで鳴る。
「12人も揃えるとは羽振りがいいですね」
誰かが言うと、別の声が関西訛りで続けた。
「ウチの課の忘年会より多いですやん」
周りからも小さく笑いが漏れる。
新田は添付された13枚の画像とそれに付随する資料について、村上の暫定報告を交えて手短に説明した。ホワイトボードに貼り出された港湾やホテルの写真を前に、何人かが身を乗り出す。
「機材も腕も、素人じゃない」
新田は一拍置いた。
「このアカウントの情報は、これまで一度も外れていない」
もう誰も、ホワイトボードの写真から目を離さない。
説明を終えた新田が下がると、黒田が再び前に出た。
「コイツらが観光旅行で日本に来たとは思えん」
低い声だった。
「人一人を殺すだけなら、ここまでの人数を呼ぶ必要は無い。
金が掛かるし、足もつきやすくなる……
それでもこれだけの人数を揃えたという事は、
それなりの理由があるはずだ」
黒田は会議室全体を見渡した。
「酒を呑んで黙って帰ってくれるなら、それでいい。
だが、何かやる気で集まったんなら……
ワシらはもう、半日出遅れとる」
誰も口を挟まなかった。
「今回の件は先行して新田班、木村班、堀内班の3班で捜査を開始する。
明日以降は必要に応じて随時増員する」
「残業確定か……
班長、奥さんに何て言い訳するんだろ」
飯田がぼそっと呟くと、近くにいた班員が小さく吹き出しかけて、慌てて口を押さえた。黒田はそれを聞こえないふりで続けた。
「現場は勿論、周辺の防犯カメラ、
通行した車両のドライブレコーダー、Nシステムを徹底的に洗え。
同時に現場周辺での聞き込みも展開する」
「以上だ」
黒田がそう締めくくると、何人かが手帳を閉じた。だが、そこで新田が一歩前に出た。
「最後に1点」
黒田が軽く頷いて場を譲る。
「木村班は4課の村上と組んでメールそのもの――
件名の謎や送り主の手がかりを洗ってくれ。
堀内班と新田班は各撮影現場の洗い出しに当たれ」
班長たちがそれぞれ小さく頷くのを確認してから、新田は自分の班の方に目をやった。
「飯田。お前、私に代わって新田班を仕切れ」
一瞬、飯田の表情が固まった。
「……私がですか?」
「他に誰がいる?」
「いや、それは、そうですけど……」
飯田は口を開きかけて、結局、何も言わずに頷いた。
「各班、掛かれ」
新田のその一言で会議室に一斉に立ち上がる音が響いた。
「ほな、村上さんには俺から一本入れときますわ」
木村は椅子を机に戻し、片手を挙げて真っ先に出て行く。
新田は立ったまま、ホワイトボードの写真を見ていた。
――今日は見ない方が良かったか?……”Untouchable”――
いや、触れなくても、いつかは向こうから、こちらに触れてくる。
このアカウントからメールが届く度に、同じ問いが頭に戻って来る。
……誰が。……何の為に。……そして、なぜ、オレなのか。
早く帰って妻に頭を下げる。その予定は、どうやら諦めるしかなさそうだ。
6日後、この会議室にいた何人かはこの部屋に戻らない。
13枚の写真に写っていたのは駒だけだった。それを動かす手は、まだ、どこにも写っていない。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回「第一話 2. スペシャリスト(1)」




