第一話 01. 厄介なメール(1)
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。
第一話 Prelude (前奏曲)
5月12日 4:00
暗い部屋でモニターの明かりだけが手元を照らしていた。
13枚の画像をもう一度、頭から順に確かめる。
港、ホテル、高速道路のサービスエリア……。
写っているのはどれも普段は狙う側にいる顔だ。
その殆どがレンズの存在に気付いていない。
3枚目で、手が止まる。
その1枚だけは少しのあいだ閉じられずにいた。
件名の欄に、短い記号を打ち込む。
”Nc7+”
宛先は、いつもと同じ1つだけ。
画面の隅の時刻が4:00に変わるのを待って、送信を押した。
◆一
5月12日 11:00
警視庁公安部外事4課。報告書の最後の1行を打ち、新田 誠はEnterキーを強めに叩いた。
――ようやく終わったか……――
新田は小さく息を吐き、背もたれに体を預けた。椅子の背には肘の擦り切れかけた替え上着が掛かっている。4か月、殆ど毎日これで通した。
班ごとに机を寄せた島が大部屋に幾つも並んでいる。窓際の新田の席からはどの島も一目で見渡せる。どの島でも誰かが受話器を耳に当てている。
机の上には書類の山が残り、メールボックスには未読の数字が並んでいた……。
メールの仕分けは後回しにして、新田は窓際に立った。
ゴールデンウイークが明けて、もう直ぐ1週間になる。
窓の外では街路樹の新緑が光っている……。定時で帰れる日が4か月ぶりに来る……。
首の後ろを揉む。床屋任せに短く刈った襟足が、掌にざらついた。45の体に4か月の無理がまだ残っている……。
「班長、その表情を見るかぎり、ストレス、思いっきり溜まっていたようですね」
書類の束を抱えた部下の飯田が、横に並ぶ。長い髪を低い位置できっちりとまとめ、紺のパンツスーツの袖口には糸屑も無い。人の家の話をする時だけ、35の顔が学生に戻る。
外事4課きっての「情報通」。
ただし、その情報網は捜査対象ではなく、もっぱら新田の家庭事情専用だった。
「そりゃ、4か月間”缶詰め”みたいなモンだったからな……」
窓に向かって両腕を伸ばすと肩の奥で骨が鳴る。ワイシャツの袖は肘まで捲り上げてあった。
「今日くらいは早く帰った方が良いんじゃないですか?
奥さん、”ゲキ怒り”でしょ?」
「ああ、いつ”離婚届”を突き付けられるか、気が気じゃないよ。
……今日は定時で上がって、頭を下げるさ」
「今朝もLINEで愚痴られましたよ。
”うちの人、今月の結婚記念日も忘れてそう”って」
「……お前、なんでそんな情報まで握ってるんだ」
「そりゃ、親友ですから」
「……あいつに友達は選べと伝えといてくれ」
「伝えたら、グチが1本増えるだけですよ」
飯田は悪びれもせずに笑った。
新田の妻と飯田は学生時代からの親友同士だ。おかげで新田には職場、家庭を問わず隠し事というモノが殆ど成立しない。
「大きなお世話だ。……それより、お前の旦那はどうなんだ?
人のダンナばかりに気を取られてるとロクな事が無いぞ」
「野田ですか? 相変わらず班長面して威張ってますよ」
飯田の夫、野田 剛は捜査1課にいる。飯田は職場では旧姓で通していた。
「お前の旦那も苦労してるだろうな。オレと同じで」
「班長に言われたくないですけどね。
……今度、野田に言っときます。
”お仲間がいましたよ”って」
席に戻り、メールソフトを開く。
――すごい量だな……――
思わず苦笑する。
未読、1,284件。
公安に届くメールの9割は後で読めば済む連絡だ。研修通知、各県警との情報共有、会議の日程変更……そんなモノばかりである。
――さて、片付けるか……――
削除、既読、転送、フォルダ分け……その繰り返しだった。
◆二
「あ~っ!!」
飯田が報告書から顔を上げると、部屋中の目が新田の席に向いていた。
「班長、どうしたんでしょうね?」
隣の席の班員が椅子ごと身を寄せてくる。
「あの”叫び”は大概、何かヤラかした時の声ですよ。
また奥さんとのLINE、既読スルーでもしたんじゃないですか」
「前の時は会議の資料を家に忘れた時でしたっけ」
「賭けてもいいですよ。今回も家絡みです」
「見てくださいよ、あの顔……
遠い目をしてる。
デカいミスなのかな?」
班員が声を潜めた。
新田は画面を見たまま、マウスに手を置いて動かない。
暫くすると、新田は何も無かったようにメールの整理を再開した。
――こんな時に、よりにもよって、何でこんな”厄介なメール”を送ってくる?
開けたら最後、今夜も帰れない――
”Untouchable”と書かれたメールだけは既読を付けずに避け、新田は他のメールを開き続けた。マウスの矢印が、何度かその件名の上で止まる。昼のチャイムが鳴っても、席を立とうとしない。
5月12日 12:30
未読の数字が、1になった。
――今朝の4時……もう半日近く寝かせている――
――公安の班長が聞いて呆れる……――
マウスを握り直し、メールを開いた。
差出人:”Untouchable”(wefs432@XXX.XX.com)
件名:Nc7+
覚悟はしていたはずだが、喉の奥が乾いた。
「またオマエか……」
――Nc7+?……何の型番だ?――
新田は一瞬首を傾げたが、今はそれどころではなかった。
送信時刻は本日4:00丁度。
”Untouchable”を名乗る匿名メールは珍しくない。だが、このアドレスだけは決まって新田の受信箱にしか届かない。
本文は短い。
”海外で活動中のタイ人傭兵2名、中国人傭兵5名、メジャーな殺し屋5名。
2026年5月4日から5月10日までの間に日本へ密入国済み。国内潜伏中。”
それだけだった。
写真、撮影場所らしきモノを示した地図、被写体と思われる人物リスト、入国経路らしき図……最小限の文章の代わりに、13枚の画像とそれに付随する資料が添付されていた。
普通なら”ガセネタ”で済ませる。だが、この送り主だけはそうはいかない。去年の秋、横浜の倉庫で武器の取引を潰せたのも、始まりはこのアカウントから届いた3行のメールだった。
この送り主の添付に、何かが仕込まれていた事は一度も無い。
最初の写真を開き、新田は息を止めた。
港のコンテナヤード、男が1人。横顔しか写っていないが、その表情まで解るほど鮮明だった。
「上手いな……」
相当な遠くから撮っているはずなのに、ピントには僅かな甘さも無い。
袖に半分隠れた腕時計は文字盤の銘柄まで読めそうだ。防犯カメラの画像とは粒の細かさがまるで違う。俗に言う「大砲」レンズだろうと、カメラに疎い新田にも察しがつく。
男の肩には、細長い黒いケースが掛かっていた。
――釣り竿か?
……港で?――
新田は画面を拡大した。ケースの紐が男の肩に深く食い込んでいる。
――釣り竿なら、ああは食い込まない――
次の写真。
ホテルのロビー。
かなり暗い場所のはずだが、男の表情は勿論、目尻のしわまで鮮やかに写し込み、背景の照明だけが丸く柔らかく溶けている。どうやって撮ったのか、新田には見当もつかなかった。
男はロビーの奥のソファに壁を背にして座っていた。正面に玄関、右手にエレベーター。座ったまま、全ての出入り口が目に入る位置だ。
――オレたちと同じ座り方だ――
写真はロビーの中から男とほぼ同じ目の高さで撮られていた。
――撮った人間は、このロビーにいた。
出入り口を全部見張っている男の、目の届く所で、シャッターを切った――
3枚目。
高速道路のサービスエリア。
撮り方はコンテナヤードと同じだが、あちらが上から撮っているのに対し、こちらは被写体と同じ高さから狙っている。
新田の手が止まった。
男がこちらを見ていた。
――気付いている?――
自販機の前に立つ男の目は真っ直ぐにレンズを捉えていた……。
偶然、カメラと目が合っただけの写真なら、これまでに何枚も見てきた。だが、これは違う。視線は僅かも逸れず、レンズのその奥を見据えている。
怯えも、驚きも無い。ただ、見ている。
――コイツは、撮られている事に気付いている――
――他の連中が誰一人気付かなかったレンズに、コイツだけが。
それなのに、顔を隠しもせず、立ち去りもしない。……見せている?――
――この後、どうなった?
この男は、撮った人間を追ったのか?
撮った人間は、無事に戻れたのか――
――……いや、戻れたから、この写真がここにある――
4枚目、5枚目。他の被写体は誰一人、こちらに気付いていない。
「監視されてる事すら知らない」
――コイツらをこの1週間で、この腕で追い切った人間がいる。
そして、そんな人間がいる事をオレたちは誰も知らなかった――
最後のファイルまで目を通す頃には、ワイシャツの背が椅子の背もたれに貼り付いていた。
いたずらではない。
受話器を取り、課長室の内線を押す。
「課長、今、宜しいですか?」
「ああ、構わん。どうした?」
「見てもらった方が早いです。今からそちらに行きます」
ノートPCを脇に抱えて廊下に出る。課長室まで、30歩も無い。
写真の男たちは、今この時も、この国のどこかにいる。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回「第一話 1. 厄介なメール(2)」




