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4/20

第4話 私の知らない、私の過去。

《死亡まで、あと6日23時間41分》


《死因――刺殺》


《実行者――不明》


レオンの頭上に浮かぶ赤い文字を、セシリアは黙って見上げていた。


毒は抜けた。


呼吸も安定している。


王宮医師の話では、もう命の危険はない。


それなのに。


新しい死の予定だけは、当然のようにそこに残っていた。


「セシリア様」


背後から王宮医師に呼ばれ、セシリアは振り返った。


「殿下の状態は落ち着きました。今夜を越えれば、まず大丈夫でしょう」


「……本当に?」


「はい」


その答えを聞いて、ようやく胸の奥の力が少し抜けた。


レオンは生きている。


今回は。


けれど視線を戻せば、


《死亡まで、あと6日23時間40分》


数字は確実に減り続けていた。


矢を防いだ。


毒も防いだ。


次は刃物。


誰かが失敗するたびに手段を変え、レオンを殺そうとしている。


しかも毒の一件では、セシリア自身が犯人になるように仕組まれていた。


一度目の人生と同じように。


「……次も、ただの暗殺じゃない」


セシリアは小さく呟いた。


また何かある。


レオンを殺すだけではなく。


自分まで巻き込む何かが。


◇


王宮を出たころには、空はすっかり暗くなっていた。


帰りの馬車。


向かいに座った父、エドワード公爵は、しばらく何も言わなかった。


だが屋敷まで半分ほど来たところで、とうとう口を開いた。


「セシリア」


「はい」


「もう、偶然だとは思っていない」


セシリアの指がわずかに動いた。


「昨日の矢。今日の毒」


「……」


「お前は、何かを知っていた」


責めている声ではなかった。


むしろ。


怖がっている。


娘が、自分の知らない危険の中にいることを。


「教えてくれ。何を知っている?」


答えられない。


十年後に処刑されました。


死んだあと、十三歳へ戻りました。


レオン殿下の頭の上には、死ぬまでの時間が見えます。


そんな話を。


いくら父でも。


すぐに受け入れられるとは思えない。


「お父様」


「何だ?」


「もし……未来が見える人がいたら」


父の目が細くなる。


「未来?」


「その人が、明日誰かが死ぬと言ったら。信じますか?」


しばらく。


馬車の車輪の音だけが続いた。


やがて父は答えた。


「知らない者なら、信じない」


「……」


「だが、お前なら信じる」


セシリアは顔を上げた。


一度目の人生。


処刑される直前まで。


自分を信じ続けてくれた人。


裁判でも。


王家を敵に回してでも。


無実を訴えてくれた。


その結果。


アルフォード公爵家は。


地位も名誉も失った。


「……お父様」


「どうした?」


「ごめんなさい」


父が怪訝そうな顔をする。


「何を謝っている?」


「何でもありません」


今度は。


同じことにはしたくない。


◇


屋敷へ戻ると。


玄関にはリナが立っていた。


セシリアの姿を見つけた瞬間、駆け寄ってくる。


「セシリア様! 殿下は?」


「助かったわ」


その一言で。


リナの目から涙が零れた。


「よかった……」


それは。


どう見ても安堵の涙だった。


この子は。


レオンを殺したかったわけじゃない。


やはり。


未来に表示された《実行者――リナ》は。


ただ、結果だけを示していた。


「リナ」


「はい」


「弟さんのこと、教えて」


リナの表情が固まる。


「今はどこに?」


「村におります」


「名前は?」


「エリオットです」


「年齢は?」


「十歳です」


「病気は?」


「肺を患っています」


セシリアは父を見る。


それだけで。


父は意図を理解したようだった。


「あした朝一番で人を出す」


リナが驚いて顔を上げる。


「え?」


「弟をこちらへ連れてこさせよう。公爵家の医師に診せる」


「そんな……でも、お金が」


「必要ない」


リナの唇が震えた。


セシリアは、その手を取った。


「もう脅されなくていいの」


「セシリア様……」


「弟さんも助ける」


リナは。


声を押し殺しながら泣いた。


「ありがとうございます……」


セシリアはその姿を見つめた。


未来は。


変えられる。


少なくとも。


ひとつ。


変えられた。


◇


その夜。


ベッドに入っても眠れなかった。


目を閉じるたび。


《死亡まで、あと6日18時間02分》


赤い数字が浮かぶ。


刺殺。


犯人は不明。


矢を放った者。


毒を使った者。


リナを脅した者。


全部、同じ人物なのか。


それとも。


もっと大きな何かが動いているのか。


「……一度目の人生では、こんなこと起きなかった」


少なくとも。


自分の記憶にはない。


なら。


自分が戻ったことで変化した?


それとも。


自分以外にも。


先の出来事を知っている人間がいる?


毒の一件。


あまりにも対応が早すぎた。


リナから毒を取り上げた直後。


瓶は消え。


すぐにレオンへ使われた。


まるで。


こちらが未来を変えると知っていたように。


「……誰かが見てる?」


そのとき。


カタン。


窓から音がした。


セシリアは身体を起こす。


また。


カタン。


毒が消えた夜と同じような音。


燭台を手に取り。


ゆっくり窓へ近づく。


カーテンが揺れていた。


「誰?」


返事はない。


窓を開ける。


庭には誰もいない。


だが。


窓枠に。


小さく折った紙が置かれていた。


セシリアはそれを開く。


《七日後、王子を救いたければ西塔へ来い》


「……」


王宮西塔。


今ではほとんど使われていない古い塔。


どう考えても。


罠。


そう思った。


けれど。


紙には続きがあった。


《お前の一度目の死を知っている》


手が止まる。


「……嘘」


父にも。


リナにも。


誰にも。


自分が一度死んだなどと話していない。


なのに。


知っている。


「私だけじゃない……」


未来を。


いや。


一度目の人生を知る人間がいる。


◇


翌朝。


何度読み返しても。


紙から新しい手がかりは出てこなかった。


見覚えのない筆跡。


紋章もない。


普通の紙。


書かれているのは。


西塔へ来い。


ただそれだけ。


「セシリア様」


リナが部屋へ入ってきた。


「朝食の準備ができました」


セシリアは。


反射的に紙を隠す。


「分かったわ」


リナが心配そうに顔を覗く。


「眠れませんでした?」


「少しね」


「目が赤いです」


「大丈夫」


リナがまだ見ている。


「何か隠してません?」


「何も」


「本当ですか?」


セシリアは笑って誤魔化した。


「今日、弟さんが来るでしょう?」


リナの表情が明るくなる。


「はい!」


「なら、今日はそばにいてあげて」


「セシリア様は?」


「少し出かけるわ」


◇


昼。


セシリアは王宮の西塔前に立っていた。


父には図書館へ行くと言った。


嘘。


本当のことを言えば。


絶対に止められる。


古びた扉に手をかける。


ギィ、と嫌な音を立てて開いた。


中は薄暗い。


古い石造りの螺旋階段が。


上まで続いている。


怖い。


それでも。


上がる。


一段ずつ。


足音だけが響く。


やがて。


最上階。


小さな部屋。


誰もいない。


「……来たわ」


返事はなかった。


「いるんでしょう?」


静か。


そのとき。


机の上に。


銀色の物があるのに気づいた。


懐中時計。


かなり古い。


セシリアは近づき。


蓋を開く。


そこには。


《セシリア・アルフォード》


自分の名前。


「私の?」


違う。


こんな時計。


知らない。


一度目の人生でも。


見た記憶はない。


「やっと来たね」


背後から。


声がした。


振り向く。


扉の近くに。


少年が立っていた。


十六歳ほど。


黒い髪。


灰色の瞳。


知らない顔。


「誰?」


少年は少し笑った。


「覚えてない?」


「知らないわ」


「そうか」


ほんの一瞬。


残念そうな表情を浮かべた。


「やっぱり今回も」


セシリアは。


その言葉を聞き逃さない。


「今、今回もって言った?」


少年は黙った。


「あなたは誰?」


「ルーク」


「それだけ?」


「ルーク・ヴァレンタイン」


知らない。


名前も。


顔も。


一度目の人生で会った覚えなどない。


「なぜ私を知っているの?」


ルークは。


机から懐中時計を取る。


「これは君のものだから」


「違う」


「君のだよ」


「私は持ってない」


「今はね」


セシリアは眉を寄せた。


「どういう意味?」


ルークは時計を持ち上げる。


「君が二十四歳のとき、持っていたものだ」


「……二十四歳?」


おかしい。


セシリアは。


二十三歳で処刑された。


二十四歳には。


なっていない。


「嘘よ」


「嘘じゃない」


「私は二十三歳で死んだ」


「知ってる」


「だったら!」


ルークの目が。


セシリアをまっすぐ見る。


「それは、君が覚えている一度目の人生だ」


「……何?」


「でも」


声が低くなる。


「本当に、それが一度目だと思う?」


頭が。


理解を拒んだ。


「何を言ってるの?」


「君は」


ルークが近づいてくる。


「何度も」


一歩。


「この十年を」


また一歩。


「繰り返してる」


セシリアは後ずさった。


「そんなわけない」


「そのたびに」


ルークは笑わない。


「レオンは死ぬ」


「……」


「最後には」


灰色の瞳が。


セシリアを捉える。


「必ず君が彼を殺す」


「違う!」


叫び声が。


部屋に響いた。


「私は殺さない!」


「前もそう言った」


「え?」


「その前も」


息が。


苦しい。


「証拠は?」


ルークは。


懐中時計を差し出した。


「開けて」


セシリアは受け取る。


蓋を開く。


さっきは自分の名前しか見ていなかった。


だが。


内側の端。


薄く削れかけた文字がある。


《レオンを殺したのは私》


その下。


《次こそ救う》


「……」


セシリアの手が。


震える。


この字。


見覚えがある。


自分の筆跡。


「違う……」


「覚えてないんだ」


「私じゃない」


「君だよ」


「違う!」


ルークは。


静かに言った。


「死に戻るたび、君は一つ前の人生しか覚えていない」


セシリアは。


立っていられなくなりそうだった。


一度目だと思っていた。


あの人生が。


そうではない?


「……何回?」


ルークは答えない。


「私は何回やり直したの?」


沈黙。


「言って!」


やがて。


ルークが答えた。


「七回」


セシリアの目が見開く。


「今が」


彼は続けた。


「八回目」


◇


「七回……」


声にすると。


余計に現実感がなかった。


七回。


レオンが死んだ?


七回。


自分も?


「全部、私がレオンを殺したの?」


ルークは目を逸らす。


「違う」


「じゃあ何回?」


「直接手を下したのは三回」


胸が。


強く痛んだ。


「残りは?」


「助けられなかった」


「……」


「ただ」


ルークは続ける。


「最後に原因になるのは、いつも君だった」


セシリアの指から。


時計が落ちる。


カン。


床に響く金属音。


「信じない」


「それでいい」


ルークが拾い上げる。


「でも」


窓の向こう。


王宮を見た。


「七日後、レオンは刺される」


セシリアが振り向く。


「誰に?」


「言えない」


「どうして!」


「知ればもっと早く死ぬから」


「意味が分からない!」


「未来は」


ルークの表情が。


初めて苦しそうに歪む。


「知った瞬間から変わる」


セシリアは歯を食いしばった。


「じゃあ、何のために私を呼んだの?」


「確認したかった」


「何を?」


「今回の君が、どこまで覚えているのか」


「何も覚えてない」


「そうみたいだね」


「あなたは?」


セシリアは。


睨むように見る。


「私は忘れてるのに、どうしてあなたは覚えてるの?」


ルークが黙る。


「あなたも死に戻りしてる?」


「違う」


「じゃあ何?」


「僕は――」


その瞬間。


ドン!


塔が大きく揺れた。


下から。


人の叫び声が響く。


「火事だ!」


「西塔が燃えている!」


セシリアが窓を見る。


下階。


黒い煙。


「何……」


ルークの顔色が変わった。


「まずい」


「何が?」


「気づかれた」


「誰に!」


ルークがセシリアの腕を掴む。


「逃げる」


「階段は!」


煙が。


すでに上がってきている。


「無理だ」


ルークは。


窓を開けた。


「飛ぶよ」


「は?」


下。


地面。


遠い。


「死ぬわよ!」


「大丈夫」


「何が大丈夫なの!」


ルークは。


セシリアを抱き上げた。


「ちょっと!」


「舌噛まないでね」


「待って!」


そのまま。


窓の外へ。


飛んだ。


「いやあああああ!」


◇


落ちる。


風。


地面。


近づく。


死ぬ。


そう思った瞬間。


ルークが。


塔から垂れていたロープを掴んだ。


二人の身体が。


大きく弧を描く。


そのまま。


隣の屋根へ。


落ちた。


「痛っ!」


セシリアは。


屋根の上を転がる。


「痛いじゃない!」


「でも生きてる」


「だからって!」


ルークが。


少し笑う。


そのとき。


赤い文字。


《死亡まで、あと6日11時間08分》


まだ。


レオンは生きている。


《死因――刺殺》


《実行者――不明》


そして。


新しい表示。


《凶器――》


文字が続く。


《セシリア・アルフォードの短剣》


「……私の短剣?」


ルークの表情から。


笑みが消えた。


「見えたんだね」


セシリアが。


睨む。


「どうして分かるの?」


「顔を見れば分かる」


「嘘」


「……」


「何か知ってるでしょう」


立ち上がる。


「私の短剣が使われる」


その瞬間。


ルークの反応で。


確信した。


知っている。


「誰が刺すの?」


答えない。


「私?」


「……」


「また、私なの?」


ルークは。


目を閉じた。


そして。


低く答えた。


「七回目は」


一拍。


「君だった」


身体が。


冷たくなる。


「でも今回は違うかもしれない」


ルークが。


強い声で言う。


「だから絶対に、短剣をレオンへ近づけないで」


セシリアは。


燃える西塔を見る。


全部は。


信じられない。


けれど。


一つだけ。


決まっている。


「分かった」


「信じるの?」


「あなたを全部信じるわけじゃない」


「……」


「でも」


セシリアは。


王宮の方向を見る。


「レオンを死なせたくない」


その気持ちだけは。


もう。


誤魔化せなかった。


◇


その夜。


自室。


セシリアは。


引き出しの奥から小さな箱を取り出した。


十三歳の誕生日。


父にもらった。


護身用の短剣。


銀の柄。


アルフォード家の紋章。


七日後。


これが。


レオンを刺す凶器になる。


「……」


捨てればいい。


誰かに預けてもいい。


壊してしまってもいい。


そう考えながら。


柄を握る。


そのとき。


指先に。


小さな段差が触れた。


紋章のすぐ下。


細い溝。


「何?」


押す。


カチ。


柄の一部が開いた。


中から。


細く折り畳まれた紙が出てくる。


セシリアは。


ゆっくり開いた。


最初の一行。


《八回目の私へ》


息を呑む。


自分の字。


間違いない。


続き。


《もしこれを読んでいるなら》


そして。


《ルークには気をつけて》


「……え?」


さらに。


最後。


《彼は味方じゃない》


その下に。


もう一文。


《レオンを最初に殺したのは、ルークよ》


セシリアの手が。


止まった。


――第4話・完――

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