第2話 死因は、私。
《死亡まで、あと29日23時間58分》
赤い文字は、消えなかった。
セシリアは目の前の少年――レオンを見つめたまま、息をすることさえ忘れていた。
十三歳。
まだ幼さの残る顔。
けれど、その金色の髪も、青い瞳も。
十年後。
処刑台の前に立っていた男と同じだった。
「……大丈夫ですか?」
レオンが首を傾げる。
「顔色が悪いようですが」
「え……」
セシリアはようやく我に返った。
「だ、大丈夫です」
「本当に?」
「はい」
答えながらも、視線はどうしても彼の頭上へ向かってしまう。
《死亡まで、あと29日23時間57分》
《死因――セシリア・アルフォード》
一秒ずつ。
数字が減っている。
見間違いではない。
幻覚でもない。
少なくとも。
今のセシリアには、そう思えた。
「あなたがセシリア・アルフォード嬢ですね」
レオンが微笑む。
「父上から話を聞いています」
その言葉に。
セシリアの胸がざわついた。
父上。
つまり国王。
一度目の人生では、この祝賀会をきっかけに。
王家とアルフォード公爵家の関係が深まり。
半年後。
セシリアとレオンは婚約した。
そして十年後。
セシリアはレオン暗殺未遂の罪で処刑された。
なら。
今ここで。
流れを変えなければならない。
「殿下」
「はい?」
「私は――」
言いかけた。
あなたとは関わりません。
そう言うつもりだった。
しかし。
頭上の文字が目に入る。
《死因――セシリア・アルフォード》
関わらなければ。
この未来は消える?
それとも。
関わらないことで。
逆に。
レオンを死なせる?
「セシリア嬢?」
「……何でもありません」
結局。
何も言えなかった。
レオンは不思議そうにしていたが、それ以上は聞いてこなかった。
「では、また後ほど」
そう言って。
彼は他の貴族たちの方へ戻っていった。
セシリアは。
その背中を見つめたまま。
動けなかった。
◇
「セシリア様」
リナが小声で呼ぶ。
「さっきからどうされたんです?」
「……リナ」
「はい」
「あなた」
セシリアは一度。
言葉を止めた。
この少女は。
未来で自分を裏切る。
裁判で偽証する。
でも。
今は。
十三歳の自分を心配している。
まだ。
何も起きていない。
「レオン殿下の頭の上に、何か見えない?」
「頭の上?」
リナが遠くのレオンを見る。
「王冠でしょうか?」
「違う」
「では何です?」
「文字」
「文字?」
「赤い文字」
リナは何度も瞬きをした。
そして。
困ったように笑う。
「何も見えません」
やっぱり。
見えているのは。
自分だけ。
「そう……」
「セシリア様、本当に大丈夫ですか?」
「少し疲れただけ」
「でしたら休憩室へ行きますか?」
「お願い」
今は。
人の多い場所にいたくない。
頭を整理したかった。
◇
休憩室。
人払いをして。
セシリアは一人になった。
椅子に座り。
何度も深呼吸する。
まず。
整理しよう。
一度目の人生。
自分は二十三歳で処刑された。
原因は。
王太子レオン暗殺未遂。
覚えのない罪。
そして今。
十年前に戻った。
レオンの頭上には。
死亡まで三十日。
死因は。
セシリア・アルフォード。
「意味が分からない……」
机に額をつける。
一度目は。
自分がレオンを殺そうとしたことにされた。
二度目は。
本当に自分がレオンを殺す?
そんな馬鹿な。
絶対に。
そんなことはしない。
なら。
表示が間違っている?
でも。
もし。
一度目の人生でも。
この表示通りの未来があったとしたら。
どうなる?
一度目の人生では。
レオンは死んでいない。
少なくとも。
セシリアが処刑される時点では生きていた。
つまり。
過去が変わった?
いや。
自分が戻ってきたことで。
未来が変化した可能性もある。
「私が戻ってきたから……?」
その瞬間。
扉がノックされた。
「セシリア?」
父の声。
「入るぞ」
エドワード公爵が入ってきた。
「具合が悪いと聞いた」
「少しだけ」
「帰るか?」
「……いえ」
セシリアは顔を上げた。
「お父様」
「何だ?」
「レオン殿下と私の婚約について、何か話が進んでいますか?」
父の眉が上がった。
「急だな」
「答えてください」
父は少し考える。
「まだ正式な話ではない」
やっぱり。
「ただし、陛下はお前を高く評価されている。将来的にそういう話になる可能性はある」
「断ってください」
即答だった。
「何?」
「もし婚約の話が来ても、断ってください」
「セシリア」
父の声が少し低くなる。
「理由を聞こう」
言えるはずがない。
十年後。
私は処刑されます。
しかも。
今度は私がレオンを殺すかもしれません。
そんな話。
誰が信じる?
「……殿下が嫌いです」
嘘だった。
父は。
しばらく娘を見つめていた。
「今日初めて会った相手を?」
「はい」
「顔を見ただけで?」
「はい」
「変だな」
セシリアは黙った。
「昨日までは、王太子殿下とはどんな方なのか楽しみにしていただろう」
そうだった。
十三歳の自分は。
この祝賀会を楽しみにしていた。
王子様。
どんな人なのだろう。
そんな。
子どもらしい期待をしていた。
「気が変わりました」
「……そうか」
父はそれ以上追及しなかった。
「分かった。今すぐ婚約の話があるわけではない。もしあっても、お前の気持ちは聞く」
少し安心する。
「ありがとうございます」
父が笑う。
「だが」
「?」
「レオン殿下は悪い少年ではないぞ」
知っている。
優しい人だった。
少なくとも。
昔は。
だから。
好きになった。
それが。
余計に苦しかった。
◇
祝賀会が終わる頃。
セシリアは。
できるだけレオンを避けていた。
視界に入れない。
近づかない。
話さない。
それでも。
時々。
遠くから見えてしまう。
そのたびに。
赤い文字。
《死亡まで、あと29日20時間12分》
減っている。
当然だ。
時間は進んでいる。
しかし。
減っていく数字を見るたび。
胃が締めつけられる。
本当に。
三十日後。
死ぬの?
レオンが?
自分のせいで?
嫌だ。
そのとき。
「セシリア嬢!」
声。
レオン。
振り向く。
近づいてくる。
逃げたい。
でも。
大勢いる。
不自然に逃げるわけにはいかない。
「これ」
レオンが何かを差し出した。
白いハンカチ。
「落としましたよ」
見る。
自分のものだった。
銀糸で。
S.A.
と刺繍してある。
「……ありがとうございます」
受け取る。
指が少し触れた。
その瞬間。
視界が揺れた。
「――っ!」
一瞬。
別の景色が見えた。
暗い部屋。
レオンが床に倒れている。
胸に。
黒い矢。
血。
誰かの声。
「セシリア!」
そして。
景色が消えた。
「セシリア嬢?」
レオンが支えていた。
自分が倒れそうになったらしい。
「大丈夫ですか?」
「……矢」
「え?」
「胸に……」
レオンが自分の胸を見る。
何もない。
当然。
幻だった。
「少し休んだ方がいい」
「いいえ」
セシリアはレオンの腕を掴んだ。
「殿下」
「?」
「今日は、もう外に出ないでください」
「どうして?」
「いいから」
「でも」
「お願いです」
思わず。
強く言ってしまった。
レオンが少し驚く。
「……分かりました」
「本当に?」
「はい」
「絶対?」
「絶対です」
セシリアは。
少しだけ安心した。
しかし。
自分でも分からなかった。
今見えたのは。
未来?
幻覚?
それとも。
死の予告?
◇
帰りの馬車。
セシリアは。
ずっと考えていた。
矢。
胸。
倒れるレオン。
今日?
それとも。
三十日後?
分からない。
ただ。
一つだけ。
確かなことがある。
あれを見た瞬間。
怖かった。
レオンが死ぬのが。
怖かった。
「馬鹿……」
小さく呟く。
一度目の人生。
自分を処刑した男。
憎んで当然。
死んでも。
関係ない。
そう思うべきなのに。
「どうして……」
十年。
ずっと好きだった。
婚約して。
毎日のように顔を合わせ。
話して。
笑って。
喧嘩して。
結局。
裏切られた。
でも。
その十年間まで。
全部嫌いにはなれなかった。
「……助ける必要なんてない」
言葉にする。
でも。
胸の奥では。
別の声がする。
本当に?
◇
その夜。
王宮。
レオンは自室で。
本を読んでいた。
セシリアに言われた通り。
外には出なかった。
本当なら。
祝賀会のあと。
中庭へ行く予定だった。
毎年。
誕生日の夜。
母が好きだった月を眺める。
それが。
彼の習慣だった。
しかし。
セシリアの顔。
必死だった。
理由は分からない。
だから。
今日はやめた。
コン。
窓に音。
レオンが顔を上げる。
「?」
もう一度。
コン。
何かが。
窓ガラスに当たっている。
立ち上がる。
窓へ近づく。
その瞬間。
バリン!
ガラスが割れた。
黒いものが。
部屋へ飛び込んだ。
矢。
レオンの顔の横を。
通り過ぎる。
壁へ突き刺さった。
「――っ!」
警備兵が駆け込んでくる。
「殿下!」
「襲撃だ!」
部屋が騒然となる。
レオンは。
壁に刺さった矢を見る。
もし。
あのまま。
中庭へ行っていたら。
周囲に壁もなく。
狙われていた。
胸へ。
矢が刺さっていたかもしれない。
セシリアの声が。
頭に蘇る。
――今日は、もう外に出ないでください。
なぜ。
彼女は知っていた?
◇
翌朝。
アルフォード公爵家。
セシリアは朝食を食べていた。
そのとき。
父が。
血相を変えて入ってきた。
「セシリア!」
「お父様?」
「昨日、王宮で襲撃があった」
スプーンが止まった。
「襲撃?」
「レオン殿下が狙われた」
身体が冷たくなる。
「……矢?」
父の表情が変わった。
「なぜ知っている?」
しまった。
「それは……」
「矢だ。殿下の部屋へ撃ち込まれた」
胸が。
激しく鳴る。
見た。
昨日。
確かに。
あれは。
未来だった。
「殿下は?」
「無事だ」
力が抜けた。
生きてる。
「奇妙なことに」
父が言う。
「レオン殿下は普段なら祝賀会の後に中庭へ行くそうだ」
「……」
「だが昨日は行かなかった」
父が。
娘を見る。
「お前が止めたらしいな」
セシリアの喉が渇く。
「殿下から直接聞いた」
「……」
「なぜ分かった?」
答えられない。
そして。
そのとき。
セシリアの目の前。
何もない空間に。
赤い文字が浮かんだ。
《死亡回避》
「……!」
初めて見る文字。
その下。
《レオン・アストレアの死亡予定を変更しました》
さらに。
《次回死亡予定》
《3日後》
セシリアは。
息を呑んだ。
「三日……」
父が聞き返す。
「何?」
数字が変わる。
《死亡まで、あと2日23時間59分》
待って。
三十日後じゃなかったの?
助けたから。
未来が変わった?
いや。
違う。
死が。
近づいている。
そして。
死因。
ゆっくり。
文字が浮かぶ。
セシリアは。
祈るような気持ちで見つめた。
《死因――毒殺》
その下。
《実行者》
文字が。
一文字ずつ現れる。
セシリアの心臓が。
激しく鳴る。
《実行者――》
そして。
名前。
《リナ》
セシリアは。
ゆっくり。
顔を上げた。
ちょうどそのとき。
扉が開く。
「セシリア様」
朝の紅茶を持って。
リナが入ってきた。
「お茶をお持ちしました」
笑顔。
昔と同じ。
そして。
一度目の人生。
裁判で。
自分を裏切った女。
セシリアは。
彼女を見つめた。
リナが首を傾げる。
「どうされました?」
セシリアは。
答えられなかった。
三日後。
この少女が。
レオンを殺す。
――第2話・完――




