第1話 処刑された悪役令嬢。
「最後に言い残すことはあるか?」
冷たい声が、処刑場に響いた。
セシリア・アルフォードは、ゆっくりと顔を上げた。
両手には重い枷。
白かったドレスは泥と埃に汚れ、長い銀色の髪も乱れている。
王都中央広場。
普段なら市場が開かれ、多くの人々で賑わうその場所に、今日は巨大な処刑台が設けられていた。
そして、その周囲を埋め尽くしているのは――。
彼女の死を見届けようと集まった人々だった。
「悪女め!」
「王太子殿下を殺そうとするなんて!」
「さっさと処刑しろ!」
罵声が飛ぶ。
石まで投げられた。
小さな石が額に当たり、セシリアの頬を細い血が伝った。
それでも彼女は何も言わなかった。
言ったところで。
もう、誰も信じてはくれない。
処刑台の正面。
そこに、一人の青年が立っている。
金色の髪。
澄んだ青い瞳。
整った顔立ち。
この国――アストレア王国の第一王子。
レオン・アストレア。
そして。
つい一か月前まで。
セシリアの婚約者だった男。
「セシリア」
レオンが彼女の名前を呼んだ。
その声には。
かつての優しさはなかった。
「もう一度だけ聞く」
広場が静まり返る。
「王太子である私を毒殺しようとしたことを認めるか?」
セシリアはレオンを見た。
「……認めません」
群衆がざわついた。
「私は、あなたを殺そうなどとしていません」
「証拠は揃っている」
「作られた証拠です」
「毒を購入した商人が証言している」
「その男とは会ったことすらありません」
「お前の部屋から毒が発見された」
「誰かが置いたのでしょう」
「侍女も、お前が毒を持っていたと証言している」
セシリアは唇を噛んだ。
それが一番理解できなかった。
侍女のリナ。
幼い頃からずっと一緒だった。
家族より長く過ごしたと言ってもいい。
そのリナが。
裁判で証言したのだ。
――セシリア様は、王太子殿下を亡き者にすると仰っていました。
そんなこと。
一度も言っていない。
「私は……嵌められたのです」
「誰に?」
レオンが尋ねる。
セシリアは答えられなかった。
分からないからだ。
誰が。
何のために。
自分をここまで追い込んだのか。
分からない。
だから。
誰も信じてくれなかった。
「答えられないのか」
「……はい」
レオンが目を伏せた。
ほんの一瞬だった。
けれどセシリアには。
彼が苦しそうな顔をしたように見えた。
気のせいだろう。
自分を処刑しようとしている男だ。
今さら。
そんな顔をするはずがない。
「では」
レオンが処刑人を見る。
「刑を執行する」
歓声が上がった。
セシリアの足から力が抜けそうになる。
死ぬ。
本当に。
自分は今日、死ぬのだ。
二十三歳。
まだ。
やりたいことはたくさんあった。
海の向こうの国にも行ってみたかった。
もっと本を読みたかった。
父や母と。
もう一度食事をしたかった。
そして。
もし許されるなら。
もう一度だけ。
レオンと。
昔のように話したかった。
「セシリア」
不意に。
レオンが小さな声で呼んだ。
群衆には聞こえない程度の声。
セシリアを見る。
「……何ですか」
「私を恨んでいるか?」
思ってもいなかった質問だった。
セシリアは少しだけ笑った。
「当たり前でしょう」
レオンの瞳が揺れた。
「私を信じてくださらなかった」
「……」
「誰よりも、あなたにだけは信じてほしかった」
レオンは何も言わない。
「私は」
セシリアの声が震える。
「あなたを殺そうなどと思ったことは、一度もありません」
これは。
最後くらい。
伝えておきたかった。
「あなたを愛していました」
広場の騒音が。
遠くなった気がした。
レオンの目が大きく開く。
「セシリア……」
「だから」
セシリアは笑った。
涙が頬を伝う。
「来世では、あなたとは出会いたくありません」
処刑人が彼女の肩を押した。
セシリアは台の中央へ進む。
目の前には。
大きな刃。
足が震える。
怖い。
死にたくない。
嫌だ。
助けて。
喉まで言葉が出かかった。
けれど。
セシリアは言わなかった。
最後まで。
アルフォード公爵家の娘として。
みっともなく死にたくなかった。
跪く。
首を台の上に乗せる。
処刑人が刃を引き上げた。
空が見えた。
青かった。
こんな日に。
どうして。
こんなに綺麗なのだろう。
「……執行せよ」
レオンの声。
セシリアは目を閉じた。
その瞬間。
小さな声が聞こえた。
「すまない」
誰の声だったのか。
考える時間はなかった。
刃が落ちた。
◇
――暗い。
何も見えない。
身体もない。
痛みもない。
死んだのだ。
不思議だった。
死とは。
もっと恐ろしいものだと思っていた。
でも。
こんなにも静かなのか。
セシリアは思った。
もし。
本当に来世というものがあるなら。
次は。
普通の家に生まれたい。
貴族じゃなくていい。
王子と婚約なんてしなくていい。
静かな町で。
好きな人と結婚して。
子どもを育てて。
年を取って。
普通に死にたい。
そして。
レオンとは。
二度と。
出会いたくない。
そう願った。
そのとき。
遠くから声が聞こえた。
「……様」
誰?
「セシリア様」
知っている声。
「セシリア様! 起きてください!」
身体が揺れる。
セシリアは。
ゆっくり目を開いた。
最初に見えたのは。
白い天蓋。
見覚えがある。
「え……」
身体を起こす。
そこは。
処刑場ではなかった。
ベッド。
部屋。
淡い水色の壁紙。
大きな窓。
机の上のぬいぐるみ。
全部。
知っている。
忘れるはずがない。
ここは。
昔の自分の部屋だ。
「セシリア様!」
横を見る。
少女がいた。
茶色の髪を一つに結んだ、小柄な少女。
「リナ……?」
十年以上。
自分に仕えていた侍女。
そして。
裁判で自分を裏切った女。
しかし。
目の前のリナは。
若い。
幼い。
十五歳くらい。
「どうされたんですか?」
リナが心配そうに覗き込む。
「ずいぶんうなされていましたよ」
「……あなた」
セシリアは思わず距離を取った。
「セシリア様?」
「今日は……何日?」
「はい?」
「今日は何年の何月何日?」
リナが不思議そうな顔をする。
「王国暦二百八十一年、四月三日です」
心臓が止まりそうになった。
「二百……八十一年?」
「はい」
ありえない。
それは。
十年前だ。
セシリアが十三歳だった年。
「鏡……」
「え?」
「鏡を持ってきて!」
「は、はい!」
リナが慌てて姿見を持ってくる。
セシリアは鏡を見る。
そこに映っていたのは。
十三歳の自分だった。
まだ幼い顔。
頬に傷もない。
長い銀髪。
小さな身体。
「嘘……」
頬を触る。
鏡の中の少女も同じ動きをする。
「夢?」
「セシリア様?」
自分の腕を抓る。
痛い。
夢じゃない。
なら。
これは。
「戻った……?」
十年前に。
死ぬ前から。
十年前に戻っている。
セシリアの身体が震えた。
なぜ。
どうして。
そんなこと。
ありえるのか。
でも。
現実だ。
そして。
気づく。
十年前なら。
まだ。
王太子暗殺未遂事件は起きていない。
まだ。
レオンと婚約もしていない。
なら。
未来を変えられる。
処刑されずに済む。
「そうよ……」
セシリアはベッドから立ち上がった。
「レオンに会わなければいい」
婚約しなければいい。
王宮に近づかなければいい。
そうすれば。
暗殺事件にも巻き込まれない。
今度こそ。
生きられる。
「セシリア様?」
リナが不安そうに見ている。
セシリアは彼女を見る。
一度目の人生。
自分を裏切った女。
でも。
今はまだ。
何もしていない。
「……何でもないわ」
セシリアは息を吐いた。
今度は。
誰も信じない。
誰にも近づかない。
静かに暮らす。
レオンにも。
絶対に会わない。
それでいい。
それだけで。
未来は変わる。
そう思った。
その日の午後までは。
◇
「王宮へ?」
セシリアは父の言葉に耳を疑った。
アルフォード公爵。
父・エドワードが。
楽しそうに頷いている。
「ああ。陛下から招待状が届いた」
「どうして……」
「王太子殿下の十三歳の誕生祝賀会だ」
セシリアの血の気が引いた。
覚えている。
これだ。
この祝賀会。
ここで。
初めてレオンに会った。
そして。
その半年後。
二人の婚約が決まった。
「私は行きません」
即答した。
父が驚く。
「どうした?」
「体調が悪いのです」
「祝賀会は一週間後だぞ」
「一週間後も悪い予定です」
「そんな予定があるのか?」
「あります」
父が困った顔をした。
「セシリア」
「嫌です」
「王家からの招待だ。簡単に断ることはできない」
「でも」
「それに」
父が笑う。
「レオン殿下とは同い年だろう。一度会ってみたらどうだ?」
嫌。
絶対に。
嫌だ。
セシリアは拳を握った。
「……行きません」
「セシリア?」
「絶対に行きません!」
そのまま部屋を飛び出した。
◇
一週間後。
セシリアは。
王宮にいた。
「どうしてこうなるの……」
馬車から降りながら呟く。
逃げようとした。
熱があるふりもした。
食事も抜いた。
しかし。
父に全部バレた。
結局。
連れてこられた。
王宮。
十年ぶり。
いや。
自分にとっては。
処刑されてから。
まだ数日しか経っていない。
心臓が激しく鳴る。
ここにいる。
レオンが。
自分を殺した男が。
「セシリア様」
リナが横から声をかける。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない」
「え?」
「何でもない」
逃げたい。
今すぐ帰りたい。
レオンに会わなければいい。
会場の端にいよう。
絶対に近づかない。
そう決めた。
大広間。
多くの貴族。
音楽。
笑い声。
華やかな料理。
その中央。
人々に囲まれて。
少年が立っていた。
金色の髪。
青い瞳。
十三歳の。
レオン。
セシリアの足が止まった。
胸が痛む。
懐かしい。
憎い。
悲しい。
愛していた。
いろいろな感情が。
一気に押し寄せる。
「……レオン」
小さく名前を呼んだ。
その瞬間。
レオンが。
こちらを向いた。
目が合った。
セシリアは息を呑む。
そして。
見えた。
レオンの頭上。
そこに。
本来あるはずのない文字が浮かんでいた。
赤い文字。
《死亡まで、あと30日》
セシリアは瞬きをした。
消えない。
《死亡まで、あと30日》
何。
これ。
そして。
その下。
さらに。
文字が浮かぶ。
《死因》
セシリアは。
目を見開いた。
《死因――セシリア・アルフォード》
「……え?」
自分の名前。
何度見ても。
そこにある。
私が。
レオンを。
殺す?
レオンが。
こちらへ歩いてくる。
逃げなければ。
そう思うのに。
身体が動かない。
そして。
目の前まで来たレオンが。
微笑んだ。
「初めまして」
十年前と。
まったく同じ言葉。
「レオン・アストレアです」
セシリアは。
震える唇を開いた。
一度目の人生。
この男は。
自分を処刑した。
二度目の人生。
今度は。
自分がこの男を殺すらしい。
だったら。
一体。
これは何なの?
レオンの頭上。
赤い数字。
《29日23時間59分》
カウントダウンが。
始まった。
――第1話・完――




