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「生涯ひとつしか適合できない世界で、私だけ二十一個に適合した ~でも私は、一つも取らない~」  作者: うめこまち
第一部

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7/8

白①

 ロウゼの手前、最後の峠に川の支流が落ちていて、そこに淵ができていた。


 サキは町に入る前に体を洗うことにした。四日歩いて、その前に二日雨に打たれている。杉屋を出てから一度も着替えていない。町に入って、宿の主人に「どこの子だ」と聞かれる前に、せめて匂いだけは落としておきたかった。


 日暮れ前の淵は暗く、水は思ったより深かった。


 服を脱いで、石を伝って入る。膝、腿、腰。


 水が腰まで来たところで、サキは動けなくなった。


 冷たさではなかった。水の押してくる感じだ。腿の外側を、水がゆっくり撫でて通り過ぎていく。その感触が、記憶のどこか深いところを直接押した。


 ――ノド湖だ。


 サキは目を閉じた。


         *


 旅に出て四月目、初夏だった。


 北の山を三つ越えて、地図にない湖に出た。


 その頃のサキは、まだ焦っていなかった。触れ帳の数は八十三で、露頭は六つ潰していた。六つで八十三は悪くない数だ。旅は始まったばかりで、季節は一巡もしていない。ミオもハユもまだ帰っていなかった。


 ただ、寂しくはあった。


 四月も一人でいると、人は独り言を言うようになる。サキは自分が声に出して喋っていることに、ある日ふいに気づいた。誰かに話しかけていたのではない。歩数を数えたり、明日の道を確認したり、そういうことを口に出していた。気づいてから、恥ずかしくて三日やめた。三日でまた戻った。


 湖は、山を下りきったところに、いきなりあった。


 地図には池すら書かれていなかった。周囲は半里ほどで、対岸まで水は静かで、風がないと空をそのまま映した。北側の斜面が大きく崩れていて、土と岩が湖に半分落ち込んでいる。何年か前の崩れらしく、崩れ面にはもう草が生えかけていた。


 水は澄んでいた。


 サキはその日、露頭を探すのをやめた。


 やめたというより、やめてもいいと思った。三つ越えた山のどれにも露頭はなく、体は疲れていて、湖はきれいで、日が高かった。人がいないところで水に入るのは、旅の子の数少ない贅沢だ。


 服を脱いで、水に入った。


 冷たかった。足の裏の砂が細かくて、踏むたびに白く舞い上がる。膝、腿、腰。それ以上は行かなかった。泳げないからだ。ヌカ村には泳げる深さの川がない。


 しばらく立っていた。何も考えないでいた。四月ぶりだった。


 顔を洗って、腕を洗って、体を洗って、それから最後に髪を洗おうと屈んだ。


 屈んだ拍子に、砂が舞った。


 舞った砂の下に、白いものが見えた。


         *


 最初は貝だと思った。


 この湖に貝がいるかどうかも知らないまま、手を伸ばした。半分砂に埋まっている。指で砂を払うと、それは丸くなく、少し歪んだ形をしていた。


 石だった。


 サキは息を止めた。


 露頭の石だ。まだ根がついている。根は砂の下へ細く伸びて、そこで途切れていた。北の崩れから、地脈ごと崩れ落ちてきたのだろう。崩れ面のどこかに露頭があって、それが崩れて、根の一部を残したまま湖に落ちた。


 そういう石がごく稀にあることは知っていた。「落ち石」と呼ばれる。落ち石でも、根が湖底の土と繋がっていれば生きている。


 サキは水の中に膝をついた。


 水は胸まで来た。冷たくて、腕に鳥肌が立っていた。手袋はない。素手だ。ちょうどいい。指はもう十分に冷えている。


 白い石だった。人の親指ほど。


 触れた。


 ひとつ。


 ふたつ。


 みっつ。


 ――温い。


 サキは指を離さなかった。離す前に、もう一度確かめようとしたのではない。動けなかっただけだ。


 温みは指先から来た。爪の付け根のあたりが、じんわりと。人の肌に触れたときの温かさとは違う。もっと内側で、皮膚の下の、血の通っているところが直接温められている感じだった。温みは指の腹の内側を伝って、第二関節まで来て、そこで止まった。


 四つは数えなかった。


 数える必要がなかった。四つ数えて温くなる感じというのを、サキはこの後、何百回も試すことになる。試して、毎回、はっきり違うと確認した。あれは指が石に馴染むだけだ。これは、石が指に返してくる。


 サキは石を握った。


 根が離れた。


 抵抗はなかった。切れた感じも、抜けた感じもない。ただ、握った瞬間には、もう掌の中で自由になっていた。適合した石は、そうやって落ちる。


 サキは水から立ち上がった。


 立ち上がって、そのまま、しばらく何もできなかった。


         *


 岸に上がって、服を着て、荷のところに座った。


 石を日にかざした。


 白い石は、光を通してうっすらと青かった。中に細かい筋があって、角度を変えると筋が動いて見えた。何の能力かはわからない。取り込むまではわからない。


 サキは触れ帳を出した。


 八十四、と書いた。


 書いてから、その横に何を書けばいいのかわからなくなった。見つけた者は色を書く。〈白〉と書けばいい。書けばいいのだが、その一文字を書いてしまうと、何かが確定してしまう気がした。


 結局、その日は書かなかった。


 夕方まで、湖のそばにいた。


 石を掌に載せて、指で転がして、日に透かして、また握った。何度もやった。飽きなかった。


 そして、帰り道のことを考えた。


 ここから村までは、まっすぐ歩けば二十日ほどだ。街道に出て、南へ下って、ハナレを通って、それから西へ。宿の壁に書ける。〈サキ ヌカ村 夏 百十九日 白〉。百十九日なら、悪くない。


 村に入ったら、まず誰に会うか。


 畑の脇の道から入るから、たぶん最初に会うのはミオの父だ。「おう」と言われる。サキは何も言わずに掌を開く。ミオの父が大きな声を出して、それで村中に知れる。


 ミオが走ってくる。ハユも。カイも。みんなが石を見たがる。白だ、白だぞ、と誰かが言う。白は稀だ。三年に一人出るかどうかだ。見立てなしと言われた子が白を持って帰ってきたという話は、村で何年も語られる。


 村長が触れ帳を見る。日付を読み上げる。


 そして、母が。

読んで頂きありがとうございます。

引き続き1話ずつ更新していきます。


基本的には1日2話を18時と20時に分けて更新して行く予定としております!!


少しでも次が気になったり、楽しみにして頂ければ幸いです!


ブクマやお気に入り登録していただけますと今後の執筆の励みになります(´∀`*)

よろしければ是非応援頂けますと幸いです。

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