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「生涯ひとつしか適合できない世界で、私だけ二十一個に適合した ~でも私は、一つも取らない~」  作者: うめこまち
第一部

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8/8

白②

 そこで、詰まった。


 母がどうするのか、思い浮かばなかった。


 喜ぶのだろう。たぶん。あの人なりのやり方で、たぶん喜ぶ。だが、その顔が浮かばなかった。何度やっても、母のいるところだけが白く抜けた。


 サキは石を握り直した。


 それから、もっと妙なことに気づいた。


 いま自分が思い描いた場面の中で、誰も、何も聞いていない。


 露頭を六つ潰したことも、山を三つ越えたことも、雨で三日足止めされたことも、独り言を言うようになったことも、誰も聞かない。掌を開いた瞬間に全部終わる。石が出たら、そこまでの百十九日は、石が出るまでの時間になる。


 それは当たり前のことだった。旅とはそういうものだ。誰の旅もそうやって終わる。ハユの旅も、ミオの旅も、村の大人全員の旅も、そうやって終わった。誰も自分の旅の中身を語らない。語ることがないからではない。聞かれないからだ。


 サキは湖を見た。


 水が静かで、対岸の木がそのまま逆さに映っていた。


 ――これじゃない。


 その言葉が、どこからともなく出てきた。


 自分で考えて出した言葉ではなかった。腹の底に、前からあったものが浮いてきた感じだった。


 何が違うのか。何と比べて違うのか。


 わからなかった。


 わからないまま、その言葉だけがはっきりしていた。


         *


 日が落ちるまで、サキは同じところに座っていた。


 村では、適合のことを縁と言う。


 地脈が人を選ぶのだ、と年寄りは言う。だから焦らなくていい、縁のある石は必ずどこかで待っている、と。旅立つ子はみんなその話を聞かされて出る。実際、それを信じていないと五百日は歩けない。


 サキは掌の石を見た。


 この石は、崩れて落ちてきた石だ。


 北の斜面が崩れなければ、この石は今も崖の中にある。崩れたのはたぶん数年前で、たまたま根の一部が湖底の土に届いて、たまたま生き延びた。


 そして自分は、三つ山を越えて、露頭がひとつも見つからなくて、疲れて、この湖に出て、探すのをやめて、泳げないくせに水に入って、髪を洗おうと屈んで、砂を舞い上げた。


 どこにも必然がない。


 もしこれが偶然なら――と考えかけて、サキはその先を止めた。


 止めたのに、勝手に続いた。


 もし偶然なら、自分に適合する石は、他にもあるのではないか。


 ない。掟がそう言っている。適合する石は生涯にひとつ。ひとつしかないのだから、この石だ。この石以外にない。


 だとすれば、逆になる。


 崩れも、湖も、越えた山も、見つからなかった露頭も、疲れて水に入ったことも、髪を洗おうと屈んだことも、全部この一個のためにあったことになる。生まれる前から、この石は自分を待っていたことになる。


 サキは自分の膝を見た。


 どちらでも同じくらい、息が詰まった。


 偶然だとすれば、自分の五百日は無意味な歩き回りになる。必然だとすれば、自分は生まれる前から行き先が決まっていたことになる。


 その真ん中に、自分で決めたと言える場所が、どこにもない。


         *


 暗くなってから、サキは石に向かって喋った。


 独り言の癖はもう戻っていたから、口が動くのは自然なことだった。今日の道のことや、明日の道のことを喋るのと同じ調子で、喋った。


「あんた、何ができるの」


 石は何も言わない。


「水かな。ここにいたし」


 サキは笑った。笑ってから、火のはぜる音しかしないのに気づいた。


「白って稀なんだよ。知ってた?」


 しばらく黙って、石を握り直した。


「三年に一人だって」


 風が水面を渡って、木の葉が鳴った。


 サキは、次に自分の口から出た言葉を、その後ずっと覚えていることになる。


「――あんたでいいの」


 言ってから、体が冷えた。


 自分が何を聞いたのか、少し遅れてわかった。


 石に聞いたのではなかった。


 石に、自分でいいのかと聞いたのでもなかった。


 自分に、この石でいいのかと聞いていた。


 聞いていいことではなかった。四百七十二個触った今でも、それは聞いていいことではない。適合とは、選ぶものではない。温むか、温まないかだ。石が答えを出し、人はそれに従う。従うから、掟が成り立つ。


 選べると思った時点で、サキはもう、村の子ではなくなっていた。


         *


 取り込み方は簡単だ。


 握って、握ったまま眠る。それだけだ。朝には掌に何もない。子どもでもできる。だから子どもが死ぬ。


 サキは夜まで待って、火のそばに横になった。


 石を右手に握った。


 目を閉じた。


 ――眠れなかった。


 眠くならないのではない。四月歩き続けた体は、いつでもすぐ眠る。なのに、握った手に力が入って、そのたびに目が覚めた。


 夜半に一度、火を足した。石はまだ手の中にあった。


 空が白み始めるころ、サキは起き上がった。


 考えはまとまっていなかった。まとまるのを待っていたら、たぶん朝までに取り込んでいた。


 服を脱がずに、そのまま水に入った。


 腰まで来て、屈んで、砂を探った。昨日の窪みはもう埋まりかけていたが、位置は覚えていた。指で砂を掻いて、少し深くして、そこに石を置いた。


 砂をかけた。


 根は、もう繋がらない。


 適合した石は、握った時点で根が離れる。離れた石は、どこに置いても二度と生きない。この石は、もう誰にも適合しない。ただの白い石になった。サキが戻したせいで、そうなった。


 誰かのために残したのではない。壊したのだ。


 わかっていて、砂をかけた。


 水から上がって、火を消して、荷を担いだ。


 湖を出るとき、一度だけ振り返った。水は静かで、どこに置いたのかもう見分けがつかなかった。


         *


 その後の三日、サキは石に触らなかった。


 露頭を二つ見つけて、二つとも登らずに通り過ぎた。


 四日目に、また触り始めた。八十五個目は灰色で、冷たかった。冷たいのを確かめたとき、体の力が抜けて、その場に座り込んだ。


 安堵していた。


 そのことに気づいたとき、サキは初めて自分が怖くなった。


         *


 淵の水が、腰のあたりを撫でて流れていく。


 サキは目を開けた。


 空はもう暗く、峠の上に星が出ていた。下の方に、ロウゼの灯りが並んでいる。


 一年と二月前のことだ。あれから四百近く触った。二度目もあった。理由はいまだに言えない。


 言えないまま、ここまで来た。


 水から上がって、体を拭きながら、サキはもう一度、あの朝のことを考えた。


 砂をかけた瞬間のことだ。


 あのとき、悲しくなかった。惜しくもなかった。


 ――一度も、後悔していない。


 それが、いちばん怖い。

読んで頂きありがとうございます。

引き続き1話ずつ更新していきます。


1日2話を18時と20時に分けて更新して行く予定としております!!


少しでも次が気になったり、楽しみにして頂ければ幸いです!


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よろしければ是非応援頂けますと幸いです。

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