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「生涯ひとつしか適合できない世界で、私だけ二十一個に適合した ~でも私は、一つも取らない~」  作者: うめこまち
第一部

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2/8

四百七十二②

 崖を降りきったときには、日は落ちていた。


 昨夜の焚き火の跡は湿っていたが、灰の下はまだ乾いていた。サキは枯れ枝を集めて火を起こし、革袋の水を沸かして、干し肉を放り込んだ。塩の抜けきった肉で、噛むと繊維が歯の間に残る。パンは三日前に切れていた。


 火の向こうに、山が黒く並んでいる。


 旅に出て、最初の三月は楽しかった。本当のことだ。誰も自分を知らない土地を歩いて、宿の主人に「どこの子だ」と聞かれて「ヌカ村です」と答えるたびに、自分が一人の人間として扱われている気がした。村では誰かの娘で、誰かの同期で、誰かの隣の家の子だった。旅ではただのサキだった。


 半年で、それはどうでもよくなった。


 一年で、宿の主人が「どこの子だ」と聞くのは、まだ石を持っていない子どもだと一目でわかるからだと知った。石を持っている者は、聞かれない。


 六人で村を出た。


 最初に帰ったのはハユだ。三月目。火を大きくする石で、鍛冶の家の子だったから、村中がよくできた話だと言った。二人目のカイが六十三個目で帰り、三人目と四人目は同じ月に帰ってきたと手紙で知った。


 五人目はミオだった。先月、宿場町で聞いた。淡い緑の、水を動かす石。手を洗うのにも困らない、と笑っていたという。


 残りは、サキひとりだ。


 旅には期限がない。それがこの掟のいちばんたちの悪いところだ。三年で切られるなら三年戦えばいい。だが期限はない。四十を過ぎて旅を続けている者もいると聞く。どこかの町で見かけたら、目を合わせるなと教えられる。無相と呼ぶのも、旅の途中の者には失礼だからだ。旅を続けている限り、まだ無相ではない。


 だから誰も、いつやめろとは言わない。


 サキは肉を噛みながら、地図を広げた。


 北の露頭は、あらかたやった。地脈は北で細く、南で太い。細いところの方が石は古く、古い石は重い。だから北から回った。それは正しかったはずだ。三十七の露頭を潰して、四百七十二。


 指が、地図の東の端で止まる。


 ロウゼ。


 鉱山町だ。ここだけは行かないと決めていた。


 鉱山町の石は、地脈から掘り出されたものだ。露頭のように自分で見つけて自分で触るのではなく、掘られ、運ばれ、布を敷いた台に並べられ、値がつけられる。買い手は判定を頼む。適合師が立ち会い、指先が温むかどうかを見て、証をつける。証のついた石だけが売れる。


 つまり、金で買える。


 村の年寄りは、市の石で大人になった者を軽んじる。自分の石は自分の足で見つけるものだと言う。だが実際には、市で買った石でも掟の上は何も変わらない。帳面に日付が入り、大人になる。ただ、村に帰ってから一生言われるだけだ。あれは買った石だと。


 サキが行かないと決めていた理由は、それではなかった。


 適合師が嫌いだから、と自分では思っていた。人の指ばかり見ている、あの目が嫌いだ。村に来ていた適合師の顔もはっきり覚えている。痩せた女で、ケイという名で、判定のとき、サキの手を他の子より少しだけ長く見た。


 だが本当は、そうでもない。


 サキは干し肉の最後のひと切れを飲み込んで、火に枝を足した。


 本当の理由は、もっと簡単だ。市に行けば、判定を頼まなければならない。判定を頼めば、結果が出る。結果が出れば、旅が終わる。


 ――終わるのが、怖い。


 言葉にしてしまうと、あまりに情けなかった。四百七十二個も石に触っておいて、旅が終わるのが怖いとは何事か。


 サキは火を見ていた。


 情けないついでに、もうひとつある。こちらは誰にも言っていない。母にも、ミオにも、宿で同じ部屋になった旅の子にも、一度も。


 サキは、二度、指先が温むのを感じている。


 一度目は、旅に出て四月目だった。


 北の湖の、岸から十歩ほどの浅瀬。水は膝までしかなくて、底の砂の上に、白い石が半分埋まって光っていた。露頭ではなかった。崖が崩れて、根ごと水に落ちたのだろう。そういう石はごく稀にある。


 サキは水に入って、屈んで、触れた。


 ひとつ、ふたつ、みっつ。


 温かった。


 爪の付け根から、指の腹の内側へ、じんわりと。間違えようがなかった。四つは数えなかった。数える必要がなかった。


 石はサキの手の中に落ちた。根が離れた。適合した石は、そうやって落ちる。


 サキはそれを日にかざした。白い石は、光を通してうっすらと青かった。何の能力かはわからない。取り込むまではわからない。わからないまま、十六年ぶんの人生の全部が、この掌の上にあった。


 それから、水に戻した。


 石は同じ場所に沈んで、砂を少し巻き上げて、また半分埋まった。根はもう切れているから、二度と誰にも適合しない。ただの白い石になった。


 サキは水から上がって、靴を履いて、歩き出した。


 なぜそうしたのか、あのときも今も、説明できない。


 二度目は去年の冬だ。雪をどけて掘り出した黒い石で、同じように温んで、同じように掌に落ちて、同じように置いてきた。今度は雪の下に戻した。埋め直しながら、自分は頭がおかしいのかもしれないと本気で思った。


 理由を言葉にしようとすると、いつも同じところで止まる。


 これじゃない。


 その感じだけが、腹の底に、石みたいに沈んでいる。


         *


 村を出た朝のことを、サキはよく思い出す。


 十五の春、六人が広場に並んだ。村長が口上を述べる。石を探せ、見つけろ、持って帰れ。三つしか言わない。短いのが自慢の口上で、村長は毎年、去年より短くできたかどうかを気にしていた。


 その後、家の者が荷を渡す。ハユの父親は鍛冶の道具を持たせようとして、母親に止められていた。カイの家は餞別に銅貨を持たせた。ミオの母は泣きながら饅頭を十個も押しつけていた。


 サキの母は、触れ帳を渡した。


 それだけだった。他の家は村から配られた帳面のほかに、何かしら持たせていた。サキの母は帳面を差し出して、サキがそれを受け取って、それで終わりだった。


 変な人だとは思わなかった。母は昔からそういう人だった。言葉が少なく、村の寄合でも隅にいて、旅の話も石の話もしなかった。父が死んだ年の冬も、泣いているところを一度も見なかった。


 ただ、荷を担いで歩き出したとき、母が何か言いかけたのはわかった。


 サキは振り返らなかった。振り返ると出られなくなる気がした。


 だから母が何を言おうとしたのかは知らない。行ってこい、だったのかもしれない。無理をするな、だったのかもしれない。旅の途中で何度も、あの言いかけた口の形を思い出しては、勝手に言葉を当てはめて、そのたびに違う気がしてやめた。


 ――あるいは、母は何も言おうとしていなかったのかもしれない。


 そう考える方が、なぜか腑に落ちることがある。


         *


 夜半、雨が来た。


 サキは油布を被って、火を諦めて、岩の窪みに背を丸めた。雨は冷たく、油布の縫い目から首筋に一筋だけ落ちてきて、どうやっても止まらなかった。


 目を閉じると、崖の鑿の跡が浮かんだ。


 誰かが石を掘っている。適合していない石を、根ごと。持ち出しても何にもならないものを、五つ。


 わからない。だが、わからないことがひとつ増えたのは悪くなかった。少なくとも、四百七十三個目のことを考えずに済む。


 夜が明けたら東へ行く。ロウゼまで八日。


 行って、市を見るだけ見る。判定は頼まない。ただ見るだけだ。


 そう決めてから、サキは自分に嘘をつくのがずいぶん上手くなったな、と思った。


 雨の音の向こうで、地脈の匂いがまだしていた。鉄と、焦げた砂糖。もう三日も嗅いでいるのに、慣れなかった。この匂いだけは、どれだけ嗅いでも慣れない。


 ――四百七十二。


 そのうち、温んだのは二つ。


 誰も知らない。

読んで頂きありがとうございます。

引き続き1話ずつ更新していきます。


基本的には1日2話を18時と20時に分けて更新して行く予定としております!!


少しでも次が気になったり、楽しみにして頂ければ幸いです!


ブクマやお気に入り登録していただけますと今後の執筆の励みになります(´∀`*)

よろしければ是非応援頂けますと幸いです。

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