四百七十二①
過去に執筆していた完結済み小説となります。
いつか載せようと思いはや数年。
ようやく決意し、載せます。
60話(1話を2つに区切っているので実質30話分)完結のハイファンタジー(ヒューマンドラマ寄りかも)な内容となります。
1日2話(実質1話)ずつ毎日投稿となります。
完結まで見て貰えたら幸いです。
地脈の露頭は、いつも同じ匂いがする。
雨に濡れた鉄と、少し焦げた砂糖。二つが混ざって、鼻の奥の同じ場所に引っかかる。サキはその匂いを三日前に嗅ぎ当てて、以来、風向きが変わるたびに立ち止まっては顔を上げていた。匂いは崖の上から降りてきていた。
露頭探しに必要なものを、村の年寄りは三つだと言った。鼻と、根気と、諦めの悪さ。
道具の話は誰もしなかった。実際に旅に出てみると、道具の話をしない大人は露頭を探したことがないのだとわかった。綱がなければ登れない。楔がなければ綱は張れない。手袋がなければ手が保たないし、その手袋は指先を切り落としてなければ意味がない。判定は素手でしかできないからだ。
サキの手袋は、旅に出て三月で自分で切った。切り口はもう擦れて丸くなっている。
崖は高くはなかったが、脆かった。掴んだ縁が二度崩れ、二度目は肩まで落ちて綱に体を預けた。宙で回りながら、崩れた石が下の斜面を跳ねていく音を聞いた。あの中に石があったらどうする、と一瞬思った。あの中にはない。地脈から離れた石はただの石だ。それは五つのときに教わる。
三日目の昼、崖の中ほどに、剥がれた部分が見えた。
拳ひとつ分。崖肌が薄く剥がれ落ちて、その奥に、貝の内側のようなものがある。
サキは綱を張り直して、体を寄せた。
石が、七つ。
灰色が四つ、淡い緑が二つ、それから一番端に、濁った赤がひとつ。どれも人の親指ほどで、まだ根が生きている。地面から生えたまま、わずかに脈打つように光を返す。取り込むまでは、石は自分から離れない。適合した者が握ると、それだけがすとんと落ちる。だから採取に道具はいらない。いるのは、適合することだけだ。
サキは息を整えて、それから、そのすぐ下に目をやった。
剥がれた崖肌の下側に、傷があった。
鑿の跡だった。
三つ、四つ、五つ。人の親指ほどの窪みが、抉られたように並んでいる。窪みの縁はまだ白く、風化していない。せいぜい二月か三月前だ。
サキは長いことそれを見ていた。
露頭の石は、誰が触ってもいい。旅の子でも、大人でも、通りすがりの猟師でもいい。触るのは自由だ。だが取っていいのは、適合した一つだけ。それ以外は根を切っても持ち出せない――というより、持ち出しても意味がない。地脈から切り離された石は、誰にも適合しなくなる。だから誰も掘らない。掘る理由がない。
誰かが、理由のないことをしていた。
サキは唇を舐めて、鑿の跡から目を上げた。考えるのは後でいい。日は西に傾き始めている。崖の上で夜を越すのは無理だった。
手袋を外した。
指先を吹いて温めようとして、途中でやめた。温めれば判定が狂う。逆だ。冷ましてから触る。それも五つで教わることだ。
サキは手を風にさらして、爪の色が変わるまで待った。爪は二枚割れていて、左の薬指の爪は根元から黒い。旅に出て一年半、爪の話をしてくれた大人も一人もいなかった。
左端の灰色から。
人差し指で触れる。触れたら、三つ数える。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
冷たい。
三つ数えるまで待て、慌てて離すな、だが四つは数えるな――村の言い方だ。四つ数えれば、温いような気がしてくるからだ。指の方が石に馴染んでしまう。そうやって自分を騙して、騙したまま取り込んで、固まって死んだ子どもの話は、どの村にもひとつずつある。
二つ目。ひとつ、ふたつ、みっつ。冷たい。
三つ目。冷たい。
四つ目。冷たい。
淡い緑に移る。この色は珍しい。ミオの水の石も淡い緑だったと聞いた。
五つ目。ひとつ、ふたつ、みっつ。
冷たい。
六つ目。冷たい。
赤が残った。
濁った赤は、地脈の深いところから伸びてきた枝の先にできると言われている。深いということは、古いということだ。古い石は能力が重い。重い石は、持ち主を選ぶ。
サキは指を伸ばした。伸ばして、止めた。
こういうときに何を思うか、自分でも決まっている。もし温んだら。
温んだら、旅は終わる。石を握って、根が離れて、掌に落ちる。取り込むのは村に帰ってからでもいいが、たいていはその場でやる。誰も見ていないところで、自分の中に何かがひとつ増える。そして帰る。村長が触れ帳を見て、日付を読み上げる。母が何か言う。ミオが笑う。大人になる。
それだけだ。
サキは触れた。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
冷たい。
しばらく、崖にへばりついたまま動かなかった。風が背中を押して、腰の綱がぎしりと鳴った。目の前で、七つの石が同じように光を返している。何も変わっていなかった。三日かけて登ってきて、何ひとつ、変わっていなかった。
サキは懐から触れ帳を出した。
旅に出る子は、村から一冊もらう。触れた石の数と、場所と、日付を書く。帰ったら村長に見せる。数が多ければ多いほど、諦めが悪かった証になる。空欄が多いほど恥だと言われている。
サキの帳面は、もう半分が埋まっていた。
最後の行に書かれた数は、四百六十五。
鉛筆を舐めて、その下に書く。
北の崖・上、七。四百七十二。
四百七十二。
書いた数字を、しばらく見ていた。四百七十二という数は、村を出るときには存在しなかった数だ。誰も四百七十二個も触らない。触る前に見つかるからだ。ミオは百八だった。四人目のカイは六十三で、宿場町で聞いた話では自慢していたらしい。六十三でも多い方なのだと。
サキは帳面を閉じて、懐に戻した。それから思い直して、もう一度開き、余白に鑿の跡のことを短く書いた。〈剥がれの下、抉り五つ。新しい〉
書いてから、なぜ書いたのか自分でもわからなかった。誰に見せるでもない。村長がこれを読んで、何かを言うとも思えない。
それでも書いた。
読んで頂きありがとうございます。
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基本的には1日2話を18時と20時に分けて更新して行く予定としております!!
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