第9話 仲の良かった二つの家
『おむすび姫 ―時をむすぶ、ひとつのおむすび―』
第9話 仲の良かった二つの家
「毒を……?」
むすびは言葉を失った。
さっきまで遠くに見えていた深守谷が、急に近く感じる。
宗兵衛の顔からも色が消えていた。
「使者はどこだ」
「広間に。殿がお会いになっております」
宗兵衛はすぐに踵を返した。
「姫様はお部屋へ」
「嫌」
「なりませぬ」
「嫌だってば!」
宗兵衛が振り返る。
むすびは真っ直ぐ見返した。
「私も知りたい。藤代が何をしたって言われてるのか」
「姫様……」
「お願い」
宗兵衛はしばらく黙った。
やがて、低く息を吐く。
「……私の後ろから離れぬよう」
「うん!」
*
広間には景綱と家臣たちが集まっていた。
中央には、深守谷から来たらしい男が膝をついている。
顔は怒りと疲労でこわばっていた。
「我らが申し上げたいことは一つにございます」
男は声を震わせる。
「なぜ、あのようなものをお送りになった」
景綱の表情は険しい。
「何度申せば分かる。我らは食へ毒など混ぜておらぬ」
「されど、藤代から届いた麦と米を口にした者が倒れたのです!」
「運び出した時には異状はなかった!」
「では誰が!」
男の叫びが広間に響く。
むすびは息を呑んだ。
誰かが怒鳴り返すと思った。
だが、景綱は拳を握ったまま黙っている。
「……久瀬玄蕃殿は、何と」
「殿は、まだ藤代殿を信じたいと」
使者の声が少しだけ弱くなった。
「されど……」
「されど?」
「民が持ちませぬ」
その一言で、広間の空気が変わった。
「もう何日も、まともな食事を取れていない者がございます。子どもも、老人も」
使者は唇を噛んだ。
「そんな中で届いた食を、皆どれほど喜んだことか」
むすびの胸が痛む。
「それを食べた者が苦しみ、倒れ……」
男の目が赤くなる。
「我らは、何を信じればよいのです」
誰も答えられなかった。
むすびはふと、景綱を見る。
その横顔は怒っているようで。
悲しんでいるようでもあった。
使者が帰ったあと、むすびは景綱に尋ねた。
「久瀬玄蕃って、どんな人?」
景綱がむすびを見る。
「何故そのようなことを」
「知りたいから」
景綱は少し黙った。
「……若き頃より知る男だ」
「友達?」
「そのような軽い言葉で申すな」
「じゃあ親友?」
「さらに軽く聞こえる」
むすびはむっとする。
宗兵衛が横から助け舟を出した。
「先代の頃より、藤代と久瀬は助け合ってまいりました」
「敵じゃなかったんだ」
「もとより」
宗兵衛が言う。
「昔、藤代領で川が氾濫した折には、久瀬家が人と材木を寄こしたこともございます。逆に深守谷で作物が取れぬ年には、こちらから米を」
むすびは驚いた。
「じゃあ、ずっと仲良かったんじゃん」
「仲良い、で済む話ではない」
景綱はそう言いながらも否定はしなかった。
「此度も、久瀬から頭を下げられたわけではない。こちらから送った」
「景綱さんが?」
「父上と呼べ」
「……父上が?」
胸の奥がまた少し温かくなる。
景綱は気づかず話を続ける。
「深守谷の窮状は聞いていた。こちらも余裕はない。だが、隣で人が死ぬのを見ておるわけにはいかぬ」
むすびは少しだけ驚いた。
怖い人だと思っていた。
パパとは真逆だと思っていた。
でも。
根っこのところは、似ているのかもしれない。
「じゃあ絶対、藤代は毒なんか入れてないよね」
景綱の目が鋭くなる。
「当然だ」
「なら、誰かが途中で入れたんじゃないの?」
家臣たちがむすびを見る。
「……何?」
「姫様」
宗兵衛が少し感心した顔をした。
「輸送の途中……」
「だって、藤代が入れてないなら途中しかないじゃん」
景綱が目を細める。
「あるいは、久瀬の中で」
「でも、それなら久瀬家が自分たちに毒を?」
「分からぬ」
景綱は立ち上がった。
「だから調べる」
「戦わないよね?」
むすびがすぐに聞いた。
景綱の足が止まる。
「……我らからはな」
その答えに、むすびは安心できなかった。
「向こうから来たら?」
景綱は何も言わない。
それが答えだった。
*
その夜。
むすびは布団の中で目を開けていた。
胸の中が落ち着かない。
本来なら助け合っていた二つの家。
同じ飢饉に苦しんで。
食べ物を分けた。
それなのに。
その食べ物が、争いのきっかけになろうとしている。
「こんなの変だよ……」
小さく呟く。
胸の奥。
結の感情が微かに揺れた。
悲しい。
怖い。
そして。
玄蕃という名に、どこか懐かしさまで混じっている。
結も知っているのだ。
久瀬家を。
敵としてではなく。
むすびは目を閉じた。
「結ちゃん」
まだ声は返らない。
「絶対、戦わなくていい方法あるよね」
胸の奥で。
ほんの微かに。
誰かがうなずいた気がした。
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