第8話 もう一度、天正元年
『おむすび姫 ―時をむすぶ、ひとつのおむすび―』
第8話 もう一度、天正元年
「――っ!」
目を開ける。
木の天井。
障子。
畳。
胸元に重なる着物。
むすびはゆっくり息を吸った。
「……また来た」
今度は驚かなかった。
いや。
驚きより、恐怖の方が大きかった。
これは夢ではない。
少なくとも、普通の夢ではない。
身体を起こす。
長い髪。
細い指。
鏡へ向かう。
そこに映っているのは、あの少女。
結。
髪には、新品のように輝くかんざし。
「……結ちゃん」
名前を呼んでみる。
返事はない。
でも。
胸の奥がほんの少し温かくなった。
「いるんでしょ?」
静寂。
むすびは鏡の少女を見つめた。
「私も何が何だか分かんないけど……また来ちゃった」
その時。
扉の向こうから声。
「姫様。お目覚めでございますか」
宗兵衛。
むすびは少しほっとした。
「起きてるよー」
障子が開く。
宗兵衛は一瞬、目を丸くした。
「……やはり、戻られましたか」
「え?」
宗兵衛がむすびを見つめる。
「昨日の夕刻より、姫様は元のお姿に戻られておりました」
「元?」
「はい。静かで、いつもの結姫様に」
むすびは息を止める。
「じゃあ……私がいない間、結ちゃんが?」
「結ちゃん、とは?」
「……何でもない」
やっぱりいる。
自分が現代へ戻っている間、結はここで生きていた。
「昨日の……結姫は、何か言ってた?」
「特には。ただ」
宗兵衛は少し考える。
「何かを探しておられるようでございました」
「探す?」
「ご自分の胸へ何度も手を当てて」
むすびの目が大きくなる。
私を?
胸の奥が、少しだけ締めつけられた。
「結ちゃん……私のこと分かってるのかな」
小さく呟く。
その日は、むすびから城内を歩きたいと頼んだ。
前回と同じ道。
けれど、今度は意識して観察する。
井戸。
石段。
炊事場。
全部、図書室の本の中にあった場所と同じ時代に存在している。
宗兵衛へ尋ねる。
「今年って何年?」
「天正元年にございます」
「……やっぱり」
本に書いてあった。
1573年。
むすびは頭の中で計算する。
四百年以上前。
「うわ……」
「どうされました」
「いや……思ったより昔だなって」
「昔?」
「何でもない!」
宗兵衛には理解できない。
城の高台へ出る。
谷が見える。
前回より乾いて見えた。
田はひび割れ、一部は茶色い。
「雨、降らないね」
「長らく」
宗兵衛の声が重い。
「榧谷はまだ水が残っております。白瀬川も細くはなりましたが、枯れてはおりませぬ」
「深守谷は?」
宗兵衛がむすびを見る。
「……姫様は、やはり何かを覚えておいでなのか」
「違うの。前に宗兵衛さんが言ったから」
「ああ」
宗兵衛は遠い山を見た。
「あちらは、さらに厳しいと聞きます」
「どれくらい?」
「食うものがない」
短い言葉だった。
「草の根を掘り、木の実を拾い。それでも足りぬ」
むすびの胸が重くなる。
「藤代から分けてあげられないの?」
「すでに殿は、幾度か米と麦を送っておられます」
「パ……景綱さんが?」
宗兵衛が微妙な顔をする。
「殿に『さん』をつける者を初めて見ました」
「だって呼び方分かんないんだもん」
宗兵衛が小さく笑う。
「父上、とお呼びなされ」
「……父上」
口にすると、胸の奥が大きく鳴った。
ドクン。
むすびが息を呑む。
懐かしい。
嬉しい。
それは自分の感情じゃない。
「結ちゃん?」
また返事はない。
でも。
今度は確信した。
この身体の中に、結はいる。
自分は一人じゃない。
そう思った瞬間。
城門の方から馬の蹄の音が響いた。
騒がしい声。
「何?」
宗兵衛の表情が変わる。
一人の兵が息を切らして駆け上がってきた。
「宗兵衛殿!」
「何事だ」
兵は一度むすびを見て、膝をつく。
「深守谷より使者が!」
「久瀬殿からか」
「はい。ただ……」
兵の顔が青い。
「ただ?」
「藤代より送られた食が――」
言葉が詰まる。
「食した者が、次々と倒れたと」
むすびの顔から笑みが消えた。
「……え?」
兵は震える声で続けた。
「久瀬方は……毒を盛られたと申しております」
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『おむすび姫 ―時をむすぶ、ひとつのおむすび―』




