第7話 図書室の榧ヶ嶺城
『おむすび姫 ―時をむすぶ、ひとつのおむすび―』
第7話 図書室の榧ヶ嶺城
五時間目の社会が終わったころには、むすびの眠気は限界だった。
「藤代。起きろ」
先生の声。
「起きてます……」
「目が閉じてたぞ」
「心の目は開いてました」
「閉じろ。いや逆だ、普通の目を開けろ」
教室に笑いが起きる。
むすびは申し訳なさそうに背筋を伸ばした。
放課後。
いつもなら真っ直ぐ家へ帰って店を手伝う。
けれど、その日はなぜか図書室へ足が向いた。
理由はない。
ただ。
「……何か気になる」
歴史の棚。
普段のむすびなら、まず近づかない場所だった。
受験勉強の参考書ならともかく、地域史の分厚い本なんて眠気を増やすだけだ。
それなのに。
背表紙の一冊が目に止まった。
『備中北部 山城と村々の記録』
むすびは手を伸ばした。
「何でこれ……」
ぱらぱらとページをめくる。
古い地図。
山城の名前。
小さな村の記録。
知らない言葉ばかり。
ところが。
あるページで、指が止まった。
――榧ヶ嶺城。
「……え?」
むすびの心臓が強く鳴った。
読み間違い?
指で文字をなぞる。
榧ヶ嶺城。
確かにそう書いてある。
ページには簡単な説明が載っていた。
『天正元年頃、備中国北部の榧谷には藤代氏の居館・山城があったとの伝承が残る。近隣の深守谷を治めた久瀬氏との関係を示す断片的記録も存在するが、詳細は不明。白瀬川周辺で小規模な衝突が起きたとする口伝もある』
むすびの指が震えた。
「藤代……」
自分と同じ名字。
榧谷。
深守谷。
白瀬川。
夢の中では、まだ深守谷という名を宗兵衛から聞いただけ。
でも榧ヶ嶺城は確かに見た。
「ちょっと待って……」
椅子へ座る。
ページを戻す。
また読む。
何度読んでも同じ。
「私、この本……前に読んだ?」
記憶にない。
小学校の授業?
テレビ?
ネット?
どこかで見て、それを忘れていて、夢に出た?
「そうだよ。それしかないじゃん」
自分に言い聞かせる。
夢は記憶のごちゃまぜだと聞いたことがある。
たまたま。
偶然。
それだけ。
それでも、むすびは本を閉じられなかった。
次のページ。
藤代氏について。
詳しい系図は残っていない。
戦国末期に記録が途切れ、後世に同姓の家が複数確認される。
「……」
胸が妙にざわつく。
図書委員の生徒が声をかけてきた。
「それ借りる?」
「え?」
「閉館時間もうすぐ」
「あ……じゃあ、借りる」
自分でも驚いた。
こんな本、絶対に読まないはずなのに。
*
家へ帰ると、店から炊きたての米の匂いがした。
「ただいまー」
「おかえりー」
パパの声。
「手洗って!」
ゆりちゃん。
いつもの日常。
むすびは少し安心する。
制服から着替え、店を手伝う。
でも頭の片隅にはずっと、あの文字があった。
榧ヶ嶺城。
夕食後。
部屋へ戻り、借りた本を机の上へ置く。
その横には、古びたかんざし。
並べてみる。
「……まさかね」
本を開く。
地図を見る。
榧谷の推定位置は、現在の高梁市北部から新見市南部にかけての山間部。
むすびが住んでいる場所から、決して遠くない。
「岡山だったんだ……」
夢の中では県名なんて分からなかった。
でも。
あの景色。
乾いた山。
谷。
なんとなく、見覚えがあるような気がする。
「夢で地元の昔に行くとか、どんなご当地ドラマよ」
笑ってみる。
笑えない。
机の上のかんざしを持ち上げる。
「これも……関係あるの?」
当然、返事はない。
むすびは本を読み続けた。
『天正元年秋、西国一帯では旱魃と不作が深刻化したとされる』
夢の中の雑穀飯。
泥の飯粒。
「……本当に、飢えてたんだ」
胸の奥が痛む。
その時。
手に持っていたかんざしが、ほんのり温かくなった。
「え?」
前にも感じた。
気のせいじゃない。
今度ははっきり分かる。
「熱い……?」
驚いて机へ置く。
かんざしの結び目模様が、ごく淡く光っている。
むすびは立ち上がった。
「うそ……」
光は少しずつ強くなる。
胸の奥。
また、あの二重の鼓動。
ドクン。
ドクン。
「待って」
怖い。
夢じゃなかったら?
もう一度、あそこへ行くの?
むすびは一歩後ろへ下がる。
でも。
頭の中に浮かんだのは、泥の飯粒を拾う男の子だった。
そして。
胸の奥で、誰かが待っている気がした。
むすびは震える手で、かんざしへ触れた。
「……結ちゃん?」
光が弾けた。
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『おむすび姫 ―時をむすぶ、ひとつのおむすび―』




