↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/26

第3話 古びたかんざし

『おむすび姫 ―時をむすぶ、ひとつのおむすび―』

第3話 古びたかんざし


夢を見ていた。


たぶん、夢だ。


そう思ったのは、あまりにも静かだったから。


音がない。


風の音も。車の音も。冷蔵庫が低く唸る音も。

夜中にパパがトイレへ行く足音もない。


真っ暗な場所に、むすびは一人で立っていた。


――いや。


立っているのかどうかも、よく分からなかった。


足の裏に床の感触がない。

身体の重さもない。


ただ、自分だけが暗闇の中に浮かんでいるような、不思議な感覚。


「……何これ」


声を出した。

けれど、自分の声が返ってこない。


「夢?」


その時。


遠くに小さな光が見えた。


暗闇の中に、ぽつんと浮かんでいる。


金色の光。

ゆっくりと近づいてくる。


やがて、その形が見えた。


細長い。

先端に飾りがある。


「かんざし……?」


今日、あの男からもらったものだった。


ただし――違う。


古びていない。錆びてもいない。欠けてもいない。


まるで今作られたばかりのように、金色に輝いている。


そのかんざしが、むすびの目の前まで来た。


手を伸ばす。


指先が触れた瞬間。


――ドクン。


心臓が大きく鳴った。


「え?」


――ドクン。


もう一度。


今度は自分の鼓動だけではなかった。


自分ではない誰かの心臓が、同じ場所で鳴っているような。


「……誰?」


暗闇の向こうに、女の子がいた。


むすびと同じくらいの背丈。

長い髪。

白い顔。


でも、顔だけがよく見えない。


少女は、むすびへ向かって何かを言っている。


「え?」


声が聞こえない。


唇だけが動く。


少女が手を伸ばした。


その瞬間、頭の中へ知らない感情が流れ込んできた。


寂しい。

怖い。

会いたい。


そして。

誰かを、とても大切に思っている。


「な、何これ……?」


胸が苦しくなった。

なぜか涙が出そうになる。


もう少しで少女の顔が見える。


その時。


金色のかんざしが激しく光った。


「まぶしっ……!」


視界が真っ白になる。


身体が落ちる。


底のない穴へ、ものすごい速さで吸い込まれていく。


「うわっ!」


むすびは目を閉じた。


*


ちゅん。


ちゅん、ちゅん。


鳥の声。


「……ん」


朝?


むすびは目を閉じたまま手を伸ばした。

いつもなら枕元にスマートフォンがある。


ない。


もう少し右。


ない。


「……あれ?」


手のひらに触れたのは、さらさらした布だった。


目を開ける。


太い木の梁。

黒っぽい木材。


「……え?」


見慣れた白い天井ではない。


起き上がろうとすると、布が何枚も重なったような重さを感じた。


「重っ」


淡い桃色の着物。

細かな花模様。

長い袖。


周りには畳、障子、木の柱。


電気がない。

テレビもない。

エアコンもない。

コンセントすらない。


「ちょっと待って」


立ち上がる。


髪が肩から流れ落ちた。


「……長っ!」


腰近くまである。


「何これ!?」


両手を見る。

自分の手のようで、少し違う。


「待って待って待って」


夢だ。


そうだ。

これは夢。


むすびは自分の頬をつねった。


「痛っ!」


思った以上に痛かった。


「夢って痛いんだっけ……?」


部屋の隅に鏡台を見つける。


駆け寄ろうとして着物の裾に足を取られた。


「わっ!」


ドンッ。


「いったぁぁ……」


膝を押さえながら立ち上がり、今度は裾を持って鏡台へ。


鏡の前に座る。


「……」


鏡の中に、知らない女の子がいた。


十五歳くらい。


長い黒髪。

白い肌。

大きな目。


知らない少女。


「……誰?」


鏡の少女も同じように口を動かす。


頬を触る。

少女も触る。


「……私?」


違う。


でも、全然知らない人という気もしなかった。


目元。口元。

どこか自分に似ている。


「親戚……?」


そんなはずない。

夢なのだから。


そう思わないと怖かった。


その時。


廊下から、控えめな足音が近づいた。


「姫様。お目覚めでございますか」


女の声。


「ひ、姫様?」


むすびが振り返る。


返事をする間もなく、障子がそっと開いた。


若い侍女が一人、着物や櫛を抱えて入ってくる。


侍女は、鏡の前で長い髪を下ろしたまま座っているむすびを見て、目を丸くした。


「まあ……姫様。どうなされたのです、そのお髪」


「え?」


「そのままではなりませぬ。すぐにお支度を」


「お支度?」


むすびは何をされるのか分からないまま、侍女に促されて寝室を出た。


廊下を少し進んだ先。


身支度をするためらしい、小さな部屋へ案内される。


鏡の前へ座ると、侍女が長い黒髪を丁寧に梳き始めた。


自分の髪ではない。


そう思うのに。


櫛が通る感触は、ちゃんと自分の頭に伝わってくる。


「いたっ」


「申し訳ございませぬ」


「あ、大丈夫」


侍女の手が止まった。


「……だいじょうぶ?」


「あ」


また何か変なことを言ったらしい。


「いや、その……気にしないで」


侍女は不思議そうな顔をしながら、再び髪を整え始めた。


やがて。


長かった髪が、きれいに結い上げられていく。


「すご……」


むすびは鏡の中を見つめた。


さっきまで知らない少女にしか見えなかった顔が。


髪を整えられ、着物を直されるにつれて。


本当に「お姫様」のようになっていく。


最後に。


侍女が、小さな箱を開いた。


「こちらも」


「……え?」


箱の中。


金色のかんざし。


むすびの呼吸が止まった。


「ちょっと待って」


侍女の手が止まる。


「どうかなされましたか」


むすびは箱の中を覗き込んだ。


黒ずんでいない。


錆びてもいない。


飾りも欠けていない。


まるで今作られたばかりのように、美しく輝いている。


でも。


分かる。


「これ……」


飾りの部分。


二つの輪がつながる、あの結び目の模様。


昨日。


あの男からもらった、古びたかんざしと同じだった。


「同じ……」


「姫様?」


むすびは震える指で、かんざしへ触れた。


冷たい。


確かな金属の感触。


その瞬間。


胸の奥が、きゅっと締めつけられた。


悲しい。


何が?

分からない。


でも悲しい。


懐かしい。


誰かに会いたい。


「なに……これ……」


頬を一筋の涙が流れた。


「姫様?」


「え?」


自分で驚いた。


泣くほど悲しいことなんて、まだ何も起きていない。


なのに。


もう一滴。


「なんで私、泣いて……」


侍女は心配そうにむすびを見る。


「どこかお加減が?」


「違う……たぶん」


むすびは涙を拭う。


侍女は戸惑いながらも、最後にその金色のかんざしを結った髪へ挿した。


鏡の中。


知らない少女。


金色のかんざし。


「……姫様。殿がお待ちでございます」


「殿?」


何が何だか分からないまま、むすびは侍女について部屋を出た。


廊下を進む。


そして、朝の広間らしい別の部屋へ入った。


そこには数人の男たちが控えていた。


その中央。


一人の男が振り返る。


四十代くらい。

立派な着物。

腰には刀。


堂々とした立ち姿。


男はむすびを見るなり、低い声で言った。


「結(ゆい)」


むすびの身体が、びくりと震えた。


けれど。


次の瞬間。


そんなことを全部忘れた。


男の顔を見たからだ。


「……パパ?」


男の眉が動く。


むすびは思わず一歩前へ出た。


「パパ!」


その顔は間違いなく、昨日まで一緒に店で笑っていた藤代一代と同じだった。


ただし――。


むすびの知っているパパなら、こんな怖い目は絶対にしない。


男は怪訝そうに娘を見つめた。


「何を申しておる」


その一言で。


むすびの背中を、冷たいものが走った。


---


『おむすび姫 ―時をむすぶ、ひとつのおむすび―』


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。