第25話 結
『おむすび姫 ―時をむすぶ、ひとつのおむすび―』
第25話 結
戦が止まったあとの白瀬川は。
不思議なくらい静かだった。
さっきまで怒号が響いていた河原。
今は。
敵も味方もなく。
同じ荷車の周りに人が集まっている。
おむすびを取る。
食べる。
泣く。
誰かが水を渡す。
藤代の兵が、怪我をした久瀬兵へ布を巻く。
久瀬の者が、倒れた藤代兵を運ぶ。
むすびはその光景を見つめた。
「……こんな簡単だったの?」
――いいえ。
結の声。
――簡単ではありませんでした。
「うん」
そのとおり。
ここへ来るまで。
どれだけ怖かったか。
どれだけ泣いたか。
どれだけ人が傷ついたか。
*
その日のうちに。
景綱と玄蕃は向き合った。
久しぶりに。
敵としてではなく。
昔から知る隣領の主として。
「景綱」
「玄蕃」
二人とも。
最初はそれしか言えなかった。
玄蕃が頭を下げる。
「すまなかった」
景綱も。
「こちらも、もっと早く動くべきだった」
食料への工作。
輸送路の不審者。
捕らえた男。
そして。
弥九郎が途中から疑いを持ちながら黙っていたこと。
少なくとも、藤代と久瀬が互いを陥れたのではないことは明らかになった。
工作に関わった者たちについては、両家で引き続き追うことになった。
弥九郎は拘束された。
彼は最後まで謝らなかった。
「戦になれば、久瀬はもっと強くなれた」
そう言った。
むすびは怒った。
でも。
全員が改心しなくてもいい。
戦は止まった。
それでいい。
景綱と玄蕃は。
両領の食を全部数えることにした。
米。
麦。
粟。
豆。
干した山菜。
塩。
残っているものを出し合う。
「これで足りるの?」
むすびが聞く。
景綱は難しい顔。
「足りぬ」
「えっ」
玄蕃が小さく笑った。
「だが、昨日までよりはましだ」
「山の実も探す。狩りも増やす」
「種籾は食わぬよう残す」
「冬を越すための組を作る」
大人たちが。
初めて。
戦うためではなく。
一緒に生きるための相談をしている。
むすびは嬉しかった。
――むすび。
結の声。
少し遠い。
「結ちゃん?」
――何だか。
「うん?」
――眠いです。
むすびの胸がざわつく。
「待って」
身体が少し軽くなる。
いや。
自分の意識が薄くなる。
「結ちゃん?」
――むすびも、帰る時なのかもしれません。
「嫌だ」
即答。
――むすび。
「嫌だよ」
今まで。
帰りたかった。
パパとゆりちゃんのところへ。
現代へ。
でも。
今は。
「まだ話したい」
涙が出る。
「結ちゃんのこと、もっと知りたい」
――私も。
結も泣いている。
一つの身体。
二人分の涙。
「結ちゃん」
――はい。
むすびは、ずっと気になっていたことを思い出した。
「最初に私がここへ来た時」
――はい。
「私、何にも悲しいことなかったのに、勝手に涙が出たんだ」
少しだけ間が空いた。
「……あれ、結ちゃんだった?」
結の気持ちが、静かに揺れた。
――はい。
「やっぱり」
――あの頃の私は……ずっと、怖かったのです。
むすびは黙って聞いた。
――田は枯れて。食べるものが減って。小さな子たちがお腹を空かせていて。
結の声が震える。
――何とかしたいと思っても、私は何もできませんでした。
「……うん」
――父上にも、母上にも、困らせるようなことを言ってはいけないと思っていました。
むすびは宗兵衛の言葉を思い出した。
『我慢するお方でございました』
――怖いとも。
――悲しいとも。
――助けてほしいとも。
――誰にも言えませんでした。
「結ちゃん……」
――だから、ずっと胸の中で泣いていたのだと思います。
むすびの目にも涙が浮かぶ。
「じゃあ、『会いたい』って感じたのは?」
結はしばらく答えなかった。
やがて。
――分かりません。
「え?」
――でも、むすびを初めて感じた時。
結の声が少しだけ柔らかくなる。
――会ったこともないのに、なぜか懐かしかったのです。
むすびの胸がきゅっとなる。
――この人なら、私の声を聞いてくれる。
――そんな気がしました。
「……私も」
むすびは泣きながら笑った。
「結ちゃんのこと、知らないはずなのに懐かしかったよ」
一つの身体の中で。
二人の少女が。
同じ気持ちで笑った。
「結ちゃん」
――はい。
「怖かったね」
――はい。
「めっちゃ怖かった」
――はい。
「でも」
むすびは笑う。
「頑張ったね」
結も。
泣きながら。
――むすびがいたからです。
「違うよ」
――え?
「私も結ちゃんがいたから行けた」
――……
「一人だったら絶対無理」
結の気持ちが温かくなる。
――私、むすびみたいになりたかったです。
「なんで?」
――怖くても、言いたいことを言えて。
「私、めっちゃ泣いてたじゃん」
――それでも。
「結ちゃんも進んだじゃん」
――むすびが。
「二人で!」
むすびは強く言った。
「最後に進んだのは、二人だよ」
結の声が止まる。
そして。
小さく。
――はい。
景色が白くなり始める。
「待って!」
――むすび。
「嫌だ、まだ!」
――一つ、聞いてもよろしいですか。
「何?」
――むすびの時代では。
声が震える。
――皆、お腹いっぱい食べられるのですか。
むすびは泣いた。
現代のおにぎり屋。
炊飯器。
白いご飯。
コンビニ。
給食。
当たり前に食べていた日々。
「うん」
声が震える。
「少なくとも私は……毎日おにぎり握ってるよ」
結が笑った。
姿は見えないのに。
笑ったのが分かった。
――では。
「うん?」
――いつか、私にも握ってください。
むすびの涙が止まらなくなる。
叶わない。
たぶん。
もう会えない。
それでも。
「うん」
約束した。
「一番おいしいの、握る」
――楽しみにしています。
白い光。
「結ちゃん!」
――むすび。
「忘れないから!」
――私も。
「絶対!」
結の最後の声。
とても穏やかだった。
――私、この先も頑張ります。
むすびは泣きながら叫んだ。
「うん!」
世界が消えていく。
「私も頑張る!」
*
白瀬川の河原。
結がゆっくり目を開けた。
もう。
胸の中にむすびはいない。
「……むすび?」
静か。
結は泣いた。
けれど。
その涙のあと。
前を向いた。
少し離れた泥の中。
玄蕃が金色のかんざしを拾い上げていた。
「結姫」
結が振り返る。
「こちらを」
玄蕃はかんざしを差し出そうとした。
けれど。
結はなぜか首を振った。
「玄蕃様がお持ちください」
「何故」
結は、差し出されたかんざしを見つめた。
手を伸ばしかける。
けれど、なぜか指が止まった。
「……分かりません」
「分からぬのに、我が持つのか」
結は涙の跡が残る顔で、小さく笑った。
「はい。なぜでしょう」
もう一度、かんざしを見る。
「これは玄蕃様がお持ちになった方がよい。そんな気がするのです」
理由は、結自身にも分からなかった。
ただ、それが不思議なくらい自然に思えた。
玄蕃はしばらくかんざしを見つめたあと。
大切そうに懐へ収めた。
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『おむすび姫 ―時をむすぶ、ひとつのおむすび―』




