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第23話 戦場へ

『おむすび姫 ―時をむすぶ、ひとつのおむすび―』

第23話 戦場へ


城門の外へ出た瞬間。


世界の音が変わった。


怒鳴り声。


馬のいななき。


矢が空気を裂く音。


金属と金属がぶつかる音。


そして。


人の悲鳴。


むすびの足が止まった。


「……無理」


心の奥で、結も震えている。


――怖い。


「怖いよ……」


荷車の取っ手を握る手に汗がにじむ。


宗兵衛が前へ出た。


「姫様。ここから先は、私が――」


「だめ」


「しかし!」


「二人で決めたんだから」


宗兵衛には分からない。


でも。


むすびと結にとっては、それで十分だった。


一歩。


荷車を押す。


車輪が泥へ沈む。


一歩。


また一歩。


「姫様だ!」


誰かが叫ぶ。


藤代の兵が振り返る。


「結姫様!?」


「なぜここへ!」


「お下がりください!」


敵側も気づく。


「藤代の姫だ!」


「何をしに来た!」


緊張が一気に集まる。


むすびの膝が震える。


「怖い……」


――私も。


「でも行くよ」


――はい。


二人で。


押す。


矢が一本。


すぐ近くの地面へ刺さる。


「きゃっ!」


むすびは身を縮めた。


宗兵衛が刀で前へ出る。


「姫様に近づく者は私が――」


「宗兵衛さん!」


「何でございます!」


「殺さないで!」


「……無茶を申される!」


「だって戦い止めに来たのに!」


宗兵衛は苦い顔をする。


「では、斬られぬよう祈ってくだされ!」


その直後。


久瀬の兵が一人、槍を構えて突っ込んでくる。


宗兵衛が身を入れる。


槍を受け流す。


刀の峰で兵を打つ。


男が倒れる。


「行ってください!」


「ありがとう!」


むすびは荷車を押す。


泥。


重い。


車輪が進まない。


「動いて!」


踏ん張る。


着物の裾が泥へ沈む。


白かった袖が汚れる。


さらに進む。


大きな石。


車輪が乗り上げる。


荷車が傾いた。


「あっ!」


積んでいたおむすびがいくつも落ちる。


ころころ。


白い握り飯が。


泥へ。


「いや!」


むすびは思わずしゃがむ。


「姫様!」


宗兵衛が叫ぶ。


拾おうとする。


泥がつく。


一個。


また一個。


「ごめん……」


涙が出た。


せっかく。


みんなで握ったのに。


志乃が。


女中たちが。


少ない米を分けたのに。


泥だらけ。


「ごめん……」


――むすび。


結の声。


――大丈夫です。


「でも……」


――食べられます。


むすびの手が止まる。


あの日。


泥に落ちた飯粒を拾った男の子。


『食べられますから』


「……そうだ」


むすびは涙を拭った。


泥のついたおむすびを荷車へ戻す。


「まだ食べられる」


進む。


その時。


誰かがむすびの肩を掴んだ。


久瀬の兵。


「何を企んでいる!」


「離して!」


宗兵衛が駆ける。


しかし別の兵に阻まれる。


「姫様!」


男の手が強い。


怖い。


結も怖い。


二人の身体が震える。


それでも。


むすびは兵の目を見る。


「お腹……空いてる?」


男の動きが止まる。


「何?」


「お腹、空いてるんでしょ!」


「何を――」


「だから持ってきたの!」


むすびは叫んだ。


「食べてください!」


戦場に声が響く。


「お腹を空かせたまま死なないで!」


敵も。


味方も。


ほんの一瞬。


動きを止める。


むすびは荷車から一つ取る。


両手で掲げる。


「毒なんか入ってない!」


声が震える。


「藤代だって、食べ物いっぱいあるわけじゃない!」


涙が止まらない。


「でも!」


結が身体の前へ出る。


声が変わる。


「それでも、皆で分ければ!」


むすびへ戻る。


「戦わなくていいかもしれない!」


二人の声が。


一つの喉から。


交互に。


重なる。


「お願い!」


「食べてください!」


「生きてください!」


「このおむすびを食べてからにしてください!」


むすびの声が裏返る。


「食べてからでも……怒るのはできるでしょ!」


誰かが小さく笑った。


泣き笑いのような。


でも。


まだ誰も動かない。


敵兵は疑っている。


藤代兵も戸惑っている。


その時。


泥の中から、一人の若武者が歩いてきた。


朔太郎。


彼は足元に落ちた、泥だらけのおむすびを拾い上げた。


けれど、今度は口へ運ばない。


そのまま高く掲げた。


「見ろ!」


誰も動かない。


朔太郎の手の中で、泥のついた白い米が震えている。


「俺は、これを食った!」


声が響く。


「あの日、泥だらけのこいつを食った!」


目から涙がこぼれる。


「死ななかった!」


一歩。


結の前へ立つ。


「それどころか……俺を生かしたんだ!」


そして。


泥と血でボロボロになった姫を見る。


久瀬の兵へ向き直る。


「見ろよ……!」


声が震える。


「あんな姿で!」


結の袖。


泥。


擦りむいた膝。


血。


泣き腫らした目。


「敵の姫が!」


朔太郎の涙が流れる。


「今度は俺一人じゃなく、俺たちみんなに飯を持ってきたんだぞ……!」


誰かの槍が。


少し下がった。


朔太郎が、手の中のおむすびを強く握る。


「毒なんかあるもんか……!」


また一人。


刀を下げる。


でも。


その時。


怒号が響いた。


「拾うな!」


鬼塚弥九郎。


「武器を下ろすな!」


刀を抜き。


人混みをかき分け。


結へ向かってくる。


「情けを受けるな!」


朔太郎が立ちはだかった。


「やめろ!」


弥九郎の刀が止まる。


「どけ、朔太郎!」


「もういいだろ!」


「どけ!」


「もういいだろぉぉ!」


朔太郎の叫び。


「俺たちは!」


胸を叩く。


「戦がしたくて来たんじゃねえ!」


涙と泥の顔で。


「飯が欲しくて来たんだろうが!」


その言葉が。


白瀬川の河原へ。


大きく響いた。


---


『おむすび姫 ―時をむすぶ、ひとつのおむすび―』


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