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第13話 久瀬勢、榧越峠を越える

『おむすび姫 ―時をむすぶ、ひとつのおむすび―』

第13話 久瀬勢、榧越峠を越える


その知らせは、夜明け前に届いた。


「久瀬勢、動きました!」


榧ヶ嶺城の門を叩く声。


眠っていた城が一瞬で目を覚ます。


むすびも飛び起きた。


廊下には人が走っている。


「何? 何があったの?」


宗兵衛が部屋へ入ってくる。


顔を見ただけで分かった。


悪いことだ。


「久瀬玄蕃殿が兵を進めました」


「……どこまで?」


「榧越峠(かやごえとうげ)を越えたとの報せ」


むすびの血の気が引く。


「それって……」


「戦になる可能性が高い」


「だめ!」


反射的に叫んだ。


「だめだよ! 昨日まで仲良かったんでしょ!?」


「姫様」


「毒入れたの藤代じゃない! 調べれば分かる!」


「分かっております」


「じゃあ止めてよ!」


宗兵衛の顔が苦しそうに歪む。


「我らも止めたい」


「なら――」


外から太鼓の音。


ドン。


ドン。


兵を集める音。


むすびは走った。


大広間。


景綱が武具を身につけている。


「父上!」


自分でも驚くほど自然に出た。


景綱も一瞬だけ目を見開いた。


「結」


「戦うの?」


「守る」


「同じじゃん!」


「違う!」


景綱の声が響く。


「我らから攻めるのではない。だが久瀬勢が榧谷へ入れば、民を守らねばならぬ」


「話せばいい!」


「話した!」


景綱の怒鳴り声に、むすびが止まる。


「使者も送った。毒を盛っておらぬと伝えた。輸送路も調べておると」


「じゃあなんで!」


「向こうには時間がないのだ!」


その言葉。


景綱の顔も苦しんでいる。


「食がない」


むすびの胸が締めつけられる。


「玄蕃とて、戦いたくて動くのではあるまい」


「じゃあ……」


「だが、民が飢えれば、領主は決めねばならぬ」


景綱は刀を腰へ差す。


「こちらの民を飢えさせてまで、全てを渡すわけにもいかぬ」


むすびは何も言えなかった。


どちらも正しい。


どちらも苦しい。


だから。


戦うしかない?


そんなのおかしい。


「嫌だ……」


小さな声。


誰の声?


むすびは胸へ手を当てる。


――怖い。


今度は、はっきり感じた。


結。


「結ちゃん?」


景綱が眉をひそめる。


「何を」


「違う」


むすびは胸を押さえる。


「今の、私じゃない」


――怖い。


涙が出る。


むすびも怖い。


外で兵が集まる音。


鎧。


刀。


弓。


本当に人が傷つく。


昨日会った朔太郎もいるかもしれない。


宗兵衛も。


景綱も。


「私も怖いよ」


むすびは胸に向かって囁いた。


――……


「でも」


声が震える。


「このままじゃ……」


胸の奥の感情と、自分の感情が重なる。


同時に。


同じ言葉を思った。


――止めないと。


「うん」


むすびは涙を拭った。


「止めよう、結ちゃん」


その瞬間。


髪のかんざしが熱くなった。


「え?」


嫌な予感。


「待って」


光。


「待って待って!」


視界の端から白く染まる。


「今じゃない!」


宗兵衛が駆け寄る。


「姫様!」


景綱も振り返る。


「結!」


むすびは必死に手を伸ばす。


「だめ!」


世界が消えていく。


「今はだめ!」


久瀬軍はもう峠を越えた。


これから戦が始まる。


結はここにいる。


自分もここにいなくちゃ。


なのに。


身体が引き剥がされる。


「帰っちゃだめ――!」


むすびの絶叫。


「今はだめぇぇぇ――っ!」


白い光が全てを飲み込んだ。


*


ドサッ。


むすびは自分のベッドの上へ倒れ込んだ。


見慣れた部屋。


机。


制服。


カーテン。


「……」


数秒。


理解できなかった。


そして。


「戻ってきちゃった……」


声が震える。


むすびはすぐに机のかんざしを掴んだ。


「戻して!」


何も起きない。


「お願い!」


触る。


握る。


結び目をなぞる。


「戻してよ!」


何も。


光らない。


冷たいまま。


むすびの目から涙が落ちた。


「今はだめって言ったじゃん……」


過去では。


今も。


戦が始まろうとしている。


---


『おむすび姫 ―時をむすぶ、ひとつのおむすび―』


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