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「毒にも薬にもならない女」と追放された伯爵令嬢は、王宮の毒殺事件を解き明かして、私を捨てた婚約者と義妹に薬指を突きつける  作者: kaka


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第7話 父の署名は、嘘をつかない

「……ヴィント伯爵、ハンス・ヴィント」


その名前を、もう一度、声に出した。


すると不思議なことに、先ほどまで騒がしかった店の中が、ひどく静かになった。


薪の爆ぜる音さえ、やけに大きく聞こえる。


私は、羊皮紙から目を離せなかった。


五年前の日付。


グロスヴァルド侯爵。


そして、父。


二人の署名が、並んでいる。


「アシュリー」


リディアの声がした。


「……これ、本物なの?」


「分からない」


即答すると、リディアが目を瞬いた。


「分からない?」


「ええ」


私は羊皮紙を机の上に置いた。


「署名だけでは、判断できないわ」


「でも、そこにはお父様の名前が……」


「名前が書いてあることと、父が書いたことは別よ」


薬を調べるとき、見た目だけで判断してはいけない。


透明だから水とは限らない。


苦いから毒とも限らない。


そして――


父の名前が書いてあるからといって、父が犯人とも限らない。


「リディア」


「はい」


「火を」


「火?」


「蝋燭を三本。あと、清水を」


リディアは理由を聞かなかった。


すぐに準備を始める。


私は羊皮紙を慎重に持ち上げた。


五年前の紙。


保存状態は悪くない。


けれど、インクだけが妙だった。


「……やっぱり」


「何か分かりましたの?」


「インクが違う」


私は指先を紙の上に置いた。


《組成視》。


視界が変わる。


黒い文字が、無数の粒にほどけていく。


炭素。


鉄。


植物由来の樹脂。


そして――


「この署名だけ、インクの組成が違う」


「え?」


「グロスヴァルド侯爵の署名と本文は、ほぼ同じインク。でも父の署名だけ、鉄分の割合が高い」


「つまり……偽物?」


「まだ断定できない」


私は首を振った。


「古いインクは時間とともに変質するから」


「では、どうやって?」


「紙を見るの」


私は羊皮紙を裏返した。


署名の裏側。


そこだけ、紙の繊維が微妙に潰れている。


「……書いたときの圧が弱い」


「圧?」


「父は筆圧が強いの」


私は思い出していた。


子どもの頃。


父が書類に署名するとき、ペン先が紙を削るような音を立てていた。


幼い私は、それを怖いと思っていた。


けれど今になって、その癖が証拠になる。


「この署名は、父の筆跡に似せてある。でも、筆圧が違う」


「では、やはり……」


「ええ」


私は息を吐いた。


「誰かが、父の署名を偽造した可能性が高い」


リディアの顔が、少しだけ明るくなった。


けれど私は、そこで喜べなかった。


「ただし」


「……ただし?」


「一つ、おかしい」


私は署名の下を指差した。


そこには、日付がある。


五年前。


その数字だけ、妙に新しい。


「この日付、後から書き足されている」


「そんな……」


「本文と署名のインクより、さらに新しい」


「では、この計画書自体が……」


「五年前に作られたものではない」


私は羊皮紙を見つめた。


「少なくとも、この形になったのは、もっと後よ」


店の中に、沈黙が落ちた。


リディアが、ゆっくりと椅子に座る。


「つまり」


「ええ」


私は答えた。


「誰かが、古い紙を使って、父とグロスヴァルド侯爵の共犯を示す証拠を作った」


「でも、どうして?」


「私たちに見つけさせるため」


「……」


リディアの表情が変わった。


「私たちを、誘導している?」


「そう考えたほうがいい」


私は羊皮紙を折りたたんだ。


その瞬間だった。


――コン。


店の奥から、小さな音がした。


リディアと顔を見合わせる。


「……何の音?」


「さあ」


私は立ち上がった。


音がしたのは、薬草を保管している棚のあたりだった。


一歩。


また一歩。


近づく。


《組成視》を開く。


棚の向こう。


人間の熱。


「リディア」


「はい」


「後ろに」


彼女が息を呑む。


私は棚に手をかけた。


そして――


一気に引いた。


「誰?」


棚の裏に、小さな影が縮こまっていた。


十歳くらい。


痩せた男の子。


服は泥だらけで、頬には擦り傷がある。


「……子供?」


リディアが驚く。


少年は、私たちを見上げた。


怯えている。


けれど、逃げようとはしない。


「あなた、ここで何をしているの?」


私が尋ねると、少年は唇を噛んだ。


「……薬を」


「薬?」


「お母ちゃんが、死にそうなんだ」


その言葉を聞いた瞬間、私はしゃがみ込んだ。


「どんな症状?」


「熱がある。吐いてる。お腹も痛いって……」


「いつから?」


「三日前」


私は少年の手を取った。


《組成視》。


指先に、微かな緑色。


「……エメラルド・グリーン」


少年が目を見開いた。


「それ、知ってるの?」


「壁紙のこと?」


「うん」


少年は頷いた。


「母ちゃんの部屋にもある」


私は立ち上がった。


「案内して」


「え?」


「あなたのお母さんのところへ」


リディアが慌てて声を上げる。


「アシュリー、夜よ?」


「だから急ぐの」


私は薬箱を掴んだ。


「毒は、時間を選ばないもの」


◇


少年の名前は、トーマ。


母親は、街外れの小さな家で寝込んでいた。


部屋に入った瞬間、私は顔をしかめた。


甘ったるい匂い。


湿った壁。


緑色の壁紙。


そして――暖炉。


「窓を開けて!」


「え?」


「全部!」


リディアがすぐに窓を開ける。


冷たい夜風が部屋に入り込んだ。


私は患者の顔を見る。


唇が青い。


手が震えている。


呼吸が浅い。


「奥さん」


「……はい」


「この部屋にいる時間を減らして」


「でも……」


「今すぐ」


私は薬箱を開いた。


「リディア、炭末を」


「分かりましたわ」


簡単な処置をしながら、患者の身体を視る。


血液。


肝臓。


腎臓。


そして――


「……やっぱり」


体内に、銅とヒ素。


エメラルド・グリーンに使われる顔料と同じ成分だった。


少女だけではない。


この街で売られた壁紙は、確実に人を蝕んでいる。


「アシュリー」


リディアが、低い声で言った。


「これ、偶然だと思う?」


「思わない」


私は壁紙を剥がした。


裏側に、何かが貼り付けられている。


紙片。


古い封蝋。


そして、小さな金属片。


私はそれを拾い上げた。


「……これは」


リディアが覗き込む。


金属片には、紋章が刻まれていた。


王家の紋章ではない。


グロスヴァルド侯爵家の紋章でもない。


「ヴィント家……?」


リディアが呟いた。


そう。


そこには、私の家の紋章が刻まれていた。


私は何も言えなかった。


「アシュリー……」


「触らないで」


「え?」


「まだ分からない」


私は金属片を布で包んだ。


「これが本当に父のものなのか、調べる」


そのとき。


トーマが、ぽつりと言った。


「それ……前にも見た」


私は振り返った。


「どこで?」


「王都」


「王都の、どこ?」


「母ちゃんと一緒に行ったとき」


少年は記憶を探るように眉を寄せた。


「壁紙を買った店の奥で、おじさんが持ってた」


「どんな人?」


「白い手袋をしてた」


「顔は?」


「見てない」


「他には?」


トーマはしばらく黙っていた。


そして。


「……その人、こう言ってた」


「何を?」


「『ヴィントの娘が戻ってきたら、計画を前倒ししろ』って」


息が止まった。


リディアの顔からも、血の気が引いた。


「ヴィントの娘……」


彼女が私を見る。


私は答えられなかった。


王都では、私は死んだことになっている。


アーシェラ・ヴィントという令嬢は、もう存在しない。


なのに。


誰かが、私が生きていることを知っている。


「……いつ」


私は少年に尋ねた。


「いつ、その会話を聞いたの?」


「壁紙を買った日」


「いつ?」


「三日前」


――三日前。


私が王都を出た日。


背中に、冷たいものが走った。


誰かが、私を追っている。


いや。


もっと正確に言えば。


私が生きていることを、最初から知っている誰かがいる。


「アシュリー」


リディアが私の名前を呼ぶ。


「どうしますの?」


私は窓の外を見た。


暗い街。


誰もいない路地。


けれど《組成視》を使えば、人の熱は隠せない。


……一人。


向かいの屋根。


二人。


路地裏。


そして――


「四人」


「え?」


「この家を見張っている」


リディアが息を呑んだ。


「いつから?」


「分からない」


私は薬箱を閉じた。


「でも、今夜からじゃない」


「どうして?」


「足跡が古い」


窓の外。


泥に残った靴跡。


一度や二度ではない。


何日も、この家を監視していた跡がある。


「つまり」


リディアが呟いた。


「私たちは、ずっと見られていた……?」


「ええ」


私は静かに答えた。


「だから、今から見せてあげるの」


「何を?」


私は微笑んだ。


「私たちが、何も気づいていないと思わせるのよ」


リディアが目を丸くした。


「……囮に?」


「そう」


私は薬箱から、小瓶を一本取り出した。


中身はただの睡眠薬。


「今夜、私たちは薬草店に戻る」


「そして?」


「明日の朝、私は王都へ向かう」


「そんなことをしたら……!」


「だから向かうと思わせるの」


私は小瓶を机に置いた。


「実際には、行かない」


「では、どこへ?」


私は答えなかった。


代わりに、壁に残された金属片を見た。


ヴィント家の紋章。


父の署名。


グロスヴァルド商会。


エメラルド・グリーン。


全部が一本の線で繋がり始めている。


けれど、まだ足りない。


決定的な証拠がない。


ならば――


「ヴィント家へ行く」


リディアが息を呑む。


「王都に?」


「ええ」


「でも、あなたは死んだことになっていますわ」


「だからこそ」


私は笑った。


「死者なら、誰にも警戒されないでしょう?」


その瞬間。


窓ガラスが砕けた。


「伏せて!」


私はリディアを押し倒した。


ヒュッ――。


何かが頭上を通り過ぎる。


壁に突き刺さったのは、細い針。


私は駆け寄り、それを抜いた。


先端に透明な液体。


《組成視》。


――神経毒。


即効性。


致死量なら、数分。


私は針を見つめた。


そして、笑った。


「……なるほど」


「アシュリー?」


「向こうも、焦っている」


「なぜ?」


私は針を布で包んだ。


「私が、何かを見つけたと思っているから」


窓の外で、足音がした。


四人。


いや。


五人。


一人増えた。


そして、その中の一人だけ。


妙に熱が低い。


人間の体温ではない。


「……人じゃない?」


リディアが震える。


私は目を細めた。


違う。


人間だ。


けれど、体温を下げる薬を飲んでいる。


追跡者が、そこまで準備している。


「リディア」


「はい」


「今夜、眠らないで」


「……分かりましたわ」


「私も寝ない」


私は薬箱を腰に括りつけた。


「朝までに、調べたいことがある」


「何を?」


私は、机の上の羊皮紙を見た。


父の署名。


偽造された可能性が高い。


それでも、あの計画書に父の名前が使われた理由が分からない。


ならば。


本人に聞くしかない。


「父が、五年前に何をしていたのか」


私は静かに言った。


「そして――なぜ、私を守るために、今になって私を殺したことにしたのか」


雨が、また降り始めた。


窓の向こうで、誰かが走る。


私は針を握った。


冷たい金属が、手の中に馴染む。


その瞬間だった。


羊皮紙の端が、暖炉の熱で少しだけ反り返った。


私は何気なく、それを見た。


そして。


「……待って」


「どうしましたの?」


「この紙」


私は羊皮紙を持ち上げた。


裏側。


表からは見えなかった場所に、薄い文字が浮かんでいる。


隠しインク。


私は蝋燭の火に近づけた。


文字が、ゆっくりと浮かび上がる。


一行。


たった一行。


そこには、こう書かれていた。


『段階三の実行責任者――ハンス・ヴィント』


私は、息を止めた。


偽物かもしれない。


誰かが父を陥れようとしている。


そう思っていた。


けれど。


その下に、もう一つ。


小さな文字があった。


『ただし、ヴィント伯爵は計画に反対。よって、娘アーシェラを利用する』


「……私?」


リディアが隣から覗き込む。


私は、文字を読み続けた。


『娘に《組成視》を発現させ、王家の毒見役として利用すること』


『そのために、ヴィント家を王家から切り離す必要あり』


『第一段階――婚約』


『第二段階――追放』


『第三段階――死亡偽装』


指先から、力が抜けた。


父が私を守った。


それは、間違いではない。


けれど。


私を守るための「追放」そのものが。


もっと昔から始まっていた計画の一部だった。


「アシュリー……」


私は羊皮紙を握った。


父の署名は、嘘をついている。


けれど。


父が私を守ったことも、嘘ではない。


だったら――


「父上」


私は小さく呟いた。


「あなたは、いったい……何を知っているの?」


その問いに答えるように。


遠く、王都の方角から。


教会の鐘が、三度鳴った。


夜の三時。


その三度目の鐘が鳴り終わると同時に。


店の扉が、ゆっくりと開いた。


「――誰?」


リディアが立ち上がる。


私は薬箱に手を伸ばした。


暗闇の向こうから、男が一人、入ってくる。


濡れた外套。


血に染まった肩。


そして、その顔を見た瞬間。


私は言葉を失った。


「……セバス?」


そこに立っていたのは。


死んだはずの執事長、セバス・ハーネマンだった。


彼は私を見るなり、膝をついた。


「お嬢様」


血を吐きながら。


彼は、震える声で言った。


「――旦那様が、殺されました」

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