第6話「王子が残した薬草園」
旧王立薬草園は、王都の北側。
王宮から少し離れた、小高い丘の上にあった。
かつては王家専属の薬師たちが、国内外から集めた薬草を育てていた場所らしい。
けれど今は。
「……ずいぶん、寂れていますわね」
リディアが、辺りを見回した。
石造りの塀。
錆びた鉄門。
伸び放題になった雑草。
薬草園というより、捨てられた墓地に近い。
「十年前に閉鎖された」
カイルが答えた。
「王立薬師団が新しい研究施設へ移されたからです」
「では、なぜレオンハルト殿下は、こんな場所を?」
「それは……」
カイルが言葉を止めた。
「殿下が亡くなる前、何度かここへ通っていました」
「何をしていたの?」
「分かりません」
「護衛なのに?」
「護衛だからこそ、分からなかったのです」
カイルは苦笑した。
「殿下は、私にも秘密にしていました」
なるほど。
王子にも、護衛にすら言えない秘密。
私は鉄門に手を触れた。
《組成視》。
錆。
鉄。
古い油。
そして。
「……鍵を使った跡がある」
「え?」
私は鍵穴を見る。
「最近、誰かがここを開けている」
カイルの表情が変わった。
「最後に来たのは、三ヶ月前です」
「レオンハルト殿下?」
「おそらく」
私は鍵を差し込んだ。
カチリ。
古い音がした。
門が開く。
中へ入った瞬間。
私は、足を止めた。
「……すごい」
そこには。
荒れ果てた薬草園の中に。
一ヶ所だけ。
綺麗に手入れされた区画があった。
月桂樹。
薬用ラベンダー。
セージ。
そして。
見たことのない、白い花。
「これは?」
リディアが近づく。
私はしゃがみ込んだ。
《組成視》。
花弁。
茎。
根。
「……薬草じゃない」
「では?」
「薬の原料」
私は花を見つめた。
「しかも、かなり特殊なもの」
「何という名前ですの?」
「分からない」
「え?」
私は少し悔しかった。
《組成視》は、物質の構成を視る。
けれど。
名前までは教えてくれない。
化学式が分かっても、それが何の植物なのかは、自分の知識で判断するしかない。
私は花を傷つけないよう、根元だけを観察した。
「……アルカロイド系」
「アルカロイド?」
「植物が作る特殊な有機化合物よ」
私は花を見つめた。
「この成分……どこかで見たことがある」
青い錠剤。
私は、はっとした。
「まさか」
「何か分かりましたの?」
「ジェラルド殿下が飲んでいた薬」
私は白い花を指した。
「この植物の成分が使われている可能性がある」
リディアが顔を強張らせる。
「では、この花が毒の原料?」
「違う」
私は首を振った。
「少なくとも、これ自体は毒じゃない」
「……?」
「薬にも毒にもなり得る成分が入っている」
私は立ち上がった。
「問題は、加工方法」
同じ植物でも。
抽出方法。
濃度。
他の成分との組み合わせ。
それだけで。
薬にもなる。
毒にもなる。
「レオンハルト殿下は、この植物を調べていた」
「だから、この場所に?」
「おそらく」
私は周囲を見回した。
「でも、研究していたなら、何か記録があるはず」
カイルが頷く。
「探しましょう」
三人で薬草園を調べ始めた。
古い温室。
倉庫。
研究小屋。
どこも埃だらけだった。
けれど。
一つだけ。
鍵の掛かった小屋があった。
「ここです」
カイルが鍵を取り出す。
「殿下が最後に入った場所」
鍵を開ける。
ギィィ……。
古い扉が開いた。
中には。
大量の本。
薬草標本。
古い薬瓶。
そして。
壁一面に貼られた紙。
私は絶句した。
「……これ」
壁には。
王宮に関係する人物の名前が並んでいた。
第一王子。
第二王子。
王太后。
宰相。
宮廷薬師長。
そして。
「……ヴィント伯爵」
父の名前。
その隣には。
私の名前。
「アーシェ」
リディアが、私の手を握った。
私は壁に近づいた。
私の名前の横には。
いくつもの記録があった。
『組成視――発現確認』
『魔力値――ゼロ』
『薬学知識――極めて高い』
『王宮への婚姻――予定』
そして。
一番下。
『グロスヴァルド側、排除対象』
私は息を呑んだ。
「……私」
私のことを。
レオンハルトは調べていた。
いや。
調べていただけではない。
守ろうとしていた?
「アーシェ」
リディアが、別の紙を見つけた。
「こちらを」
私は受け取る。
それは、レオンハルトの筆跡だった。
『彼女には何も知らせない』
『知らせれば、彼女は必ず真相を追う』
『彼女は、自分が思っている以上に頑固だ』
「……」
私は思わず眉を寄せた。
「余計なことを」
リディアが笑った。
「殿下は、あなたのことをよく理解していらしたようですわね」
「失礼な人ね」
でも。
少しだけ。
胸が温かくなった。
第一王子。
私とは、婚約者でもなかった。
直接、話したことも数えるほどしかない。
なのに。
私を、見ていた。
ずっと。
「アーシェ」
カイルの声がした。
彼は部屋の奥にある机を見ていた。
「ここに、何かあります」
机の引き出し。
鍵が掛かっている。
私は《組成視》を使った。
金属。
鉄。
真鍮。
そして。
「毒が塗ってある」
「毒?」
「鍵穴に触らないで」
カイルが手を引っ込めた。
私は薬箱から手袋を取り出す。
慎重に鍵穴の表面を削る。
微量の粉末。
《組成視》。
「……トリカブト」
リディアが青ざめる。
「そんなものを?」
「殺すためじゃない」
「え?」
私は粉末を見る。
「量が少なすぎる」
「では、何のため?」
「触った人間を殺すためじゃない」
私は鍵穴を見つめた。
「毒を塗ったことを、証拠にするため」
「……どういうこと?」
「これは、侵入者を見つけるための仕掛けよ」
つまり。
レオンハルトは、自分の研究室に誰かが侵入することを予想していた。
そして。
誰かが実際に侵入した。
私は机の周囲を見る。
埃。
床。
椅子。
「……ここだけ」
机の下に。
靴跡があった。
新しい。
「誰か、最近ここへ入っている」
カイルが剣に手を掛ける。
「敵かもしれません」
「待って」
私は靴跡を調べた。
泥。
植物片。
そして。
「……王宮の土」
「王宮の?」
「この土、特殊」
私は靴跡の中に混じった粒子を見る。
「王宮の地下庭園で使われている土と同じ」
「つまり?」
「この人物は、王宮からここへ来た」
カイルが息を呑む。
「では、まだ近くにいる可能性が」
その瞬間。
――パキッ。
外で枝の折れる音がした。
三人とも動きを止めた。
「……誰かいます」
カイルが剣を抜く。
私は窓を見る。
人影。
一瞬。
白い外套が見えた。
「追って!」
カイルが飛び出した。
私とリディアも後を追う。
薬草園の奥。
木々の間。
白い外套の人物が走っている。
「止まりなさい!」
カイルの声。
相手は振り返らない。
そのまま、古い温室へ入った。
私たちも続く。
けれど。
中には誰もいなかった。
「消えた……?」
リディアが周囲を見る。
私は黙って床を見た。
足跡。
温室の奥へ続いている。
私は追う。
壁。
棚。
鉢植え。
そして。
「……ここ」
古い薬草棚を押す。
ゴゴゴ……。
棚が動いた。
その奥に。
地下へ続く階段が現れた。
カイルが息を呑む。
「こんなものが……」
「レオンハルト殿下は、ここを使っていたのね」
私たちは階段を下りた。
地下は、ひどく冷たかった。
壁には古いランプ。
その先に。
鉄の扉。
扉には。
王家の紋章。
そして。
三つの鍵穴。
私は持っていた鍵を差し込む。
一つ目。
カチリ。
二つ目。
カチリ。
三つ目。
――カチリ。
扉が開く。
その瞬間。
鼻を刺すような薬品臭がした。
「……これは」
部屋の中央に。
一つの巨大なガラス容器が置かれている。
中には。
透明な液体。
私は《組成視》を使った。
視界が白く染まる。
「……」
私は、言葉を失った。
この組成。
知っている。
「アーシェ?」
「これ……」
手が震える。
「エメラルド・グリーンを作るための原料じゃない」
リディアが息を呑む。
「では?」
私は容器を見る。
「もっと古い」
その液体には。
砒素。
銅。
硫黄。
そして。
私が一度も見たことのない未知の有機化合物。
「これを加工して……」
私は、青い錠剤を思い出す。
「薬を作っていた」
そして。
その隣に置かれていた。
小さな木箱。
蓋を開ける。
中には。
何十本もの薬瓶。
ラベルには。
『第一王子用』
『第二王子用』
『王太后用』
『宮廷薬師長用』
そして。
最後の一本。
『ヴィント伯爵用』
私は、凍りついた。
「……父」
リディアが私を見る。
「その薬は……」
私は瓶を持ち上げた。
《組成視》。
――毒。
明確な毒性。
けれど。
毒の中に。
微量の別の成分が混じっている。
「これは殺すための薬じゃない」
「え?」
「長期間、飲ませて……」
私は言葉を止めた。
「記憶を曖昧にする」
カイルが顔をしかめる。
「記憶を?」
「判断力を鈍らせる。感情を不安定にする。そして、少しずつ依存させる」
私は瓶を握った。
「ジェラルド殿下が飲んでいた薬と、同じ系統」
つまり。
「父も……この薬を飲まされていた?」
そう考えた瞬間。
地下室の奥から。
声がした。
「――違う」
低い声。
聞き覚えがある。
私は振り返った。
暗闇の中。
誰かが立っていた。
黒い外套。
顔は見えない。
けれど。
その声だけは。
知っている。
「父上……?」
男が一歩、光の中へ出る。
白髪。
鋭い目。
見慣れた顔。
ヴィント伯爵。
ハンス・ヴィント。
私の父だった。
「……アーシェラ」
三ヶ月ぶりに聞いた父の声は。
思っていたより。
ずっと疲れていた。
私は薬瓶を握ったまま。
父を睨んだ。
「父上」
「……」
「説明してください」
父は答えない。
「五年前の計画書」
「……」
「グロスヴァルド」
「……」
「エメラルド・グリーン」
そして。
「この薬」
父は目を閉じた。
長い沈黙。
やがて。
「お前には、まだ早い」
私は眉を寄せた。
「それ、昔から嫌いな言葉です」
父が目を開く。
「私はもう、子供ではありません」
「知っている」
「なら、教えてください」
私は一歩、父へ近づいた。
「私は、誰を信じればいいんですか」
父の顔が。
ほんの少しだけ。
歪んだ。
「……誰も信じるな」
「え?」
「特に」
父の視線が。
私の隣へ向く。
リディア。
カイル。
そして。
私。
「――王宮騎士団を、信じるな」
カイルが剣を構えた。
「ヴィント伯爵。どういう意味です?」
父は答えなかった。
代わりに。
懐から小さな薬瓶を取り出した。
「アーシェラ」
「はい」
「その薬を置け」
「嫌です」
即答すると。
父は。
ほんの一瞬。
昔と同じ顔をした。
呆れたような。
困ったような。
そして。
ほんの少しだけ。
嬉しそうな顔。
「……やはり、お前は頑固だな」
「誰の娘だと思っているんですか」
父の口元が。
微かに上がった。
けれど。
次の瞬間。
父は薬瓶を床へ叩きつけた。
パリン。
白い煙が噴き出す。
「アーシェ!」
リディアが私の腕を掴む。
視界が白く染まる。
咳。
目が痛い。
父の姿が霞む。
「父上!」
「生きろ」
煙の向こう。
父の声だけが聞こえた。
「――それが、私への一番の復讐になる」
「待って!」
私は手を伸ばした。
けれど。
掴んだのは。
空気だけ。
煙が晴れた時。
父の姿は。
もう、なかった。
私は床に膝をついた。
その足元に。
小さな紙片が落ちている。
拾い上げる。
そこには。
父の字で。
一言だけ。
『レオンハルトを探せ』
私は紙を握りしめた。
父は敵ではない。
味方とも言い切れない。
けれど。
少なくとも。
まだ何かを守ろうとしている。
「……リディア」
「はい」
「王宮へ行くわ」
リディアは頷いた。
「ええ」
カイルも剣を収めた。
「私も同行します」
私は地下室を見渡した。
王家の秘薬。
父の薬。
レオンハルトの研究。
すべてが、ここに繋がっている。
そして。
その中心に。
王宮がある。
「ジェラルド殿下の即位まで、あと何時間?」
カイルが答えた。
「四時間です」
「十分ね」
リディアが目を丸くする。
「何が?」
私は薬箱を閉じた。
「王様になる前に」
そして。
父から受け取った紙を胸元にしまう。
「一度、あの馬鹿王子の身体を診る」
私は笑った。
「本当に王になる資格がある身体なのか、薬師として確かめてみましょう」
――その頃。
王宮大広間。
第二王子ジェラルドは。
即位の衣装を身につけていた。
玉座の前。
宰相グロスヴァルドが頭を下げる。
「殿下。準備は整いました」
「……そうか」
ジェラルドは、青い錠剤を一粒取り出した。
けれど。
その手が止まった。
「宰相」
「はい」
「最近、この薬を飲むと」
ジェラルドは、自分の手を見た。
「昔の夢を見る」
「夢、ですか?」
「ああ」
幼い頃。
兄と一緒に薬草園を走った記憶。
父王に叱られた記憶。
そして。
一人の少女。
銀色の髪。
薬草を抱えて。
自分に笑いかけている。
「……アーシェラ」
ジェラルドの口から。
その名前がこぼれた。
宰相の表情が。
初めて。
凍りついた。




