第14話 父を殺したのは、私の記憶だった
「――旦那様が、殺されました」
扉の向こうから聞こえた声に、私は息を止めた。
セバス。
間違いない。
けれど。
「……セバス?」
私は扉に近づいた。
「はい。私です」
「あなたは、王都にいるはずがないでしょう」
「その通りです」
返事が早すぎた。
私は立ち止まる。
リディアも、それに気づいたらしい。
彼女が私の袖を掴んだ。
「アーシェ。開けてはいけませんわ」
「ええ」
扉の向こうで、セバスが黙る。
しばらくして。
「……さすがです、お嬢様」
その声が聞こえた。
「昔から、そうでした」
「何が?」
「人の言葉を、そのまま信じない」
私は眉をひそめた。
「なら、あなたは誰?」
「セバス本人です」
「証明して」
沈黙。
やがて、扉の下から何かが滑り込んできた。
小さな銀色の鍵。
私はそれを見た瞬間、息を呑んだ。
父から託された鍵。
あの時、セバスが持っていたものと同じだった。
「……どうして、あなたがそれを?」
「旦那様から預かりました」
「いつ?」
「亡くなる直前です」
私は鍵を拾った。
冷たい。
けれど。
《組成視》が反応した。
銀。
鉄。
そして――ほんの僅かな血液。
「……この鍵」
「はい」
「父上の血がついている」
セバスの声が低くなる。
「お嬢様。旦那様は、本当に殺されました」
私は扉を開けた。
そこにいたセバスは、以前よりずっとやつれていた。
服は泥だらけ。
左肩には包帯。
そして。
胸元には赤黒い血が滲んでいる。
「旦那様は、三日前に殺されました」
「三日前?」
「はい」
私は固まった。
「では、なぜ今まで連絡を?」
「できなかったのです」
「どうして?」
セバスは私を見る。
「旦那様の屋敷が、監視されていました」
「誰に?」
「王宮です」
その言葉に。
リディアが息を呑んだ。
「王宮が……?」
「正確には、王宮の中にいる誰かです」
まただ。
王宮。
グロスヴァルド。
父。
全部が絡んでいる。
私はセバスに尋ねた。
「父上は、何をしようとしていたの?」
「お嬢様に会おうとしていました」
「私に?」
「はい」
セバスは懐から、折り畳まれた紙を取り出した。
「旦那様は、これを私に託しました」
私は紙を開いた。
そこには父の字で。
たった三行。
『アーシェラには、まだ真実を知らせるな』
『記憶を取り戻すまでは』
『あの子を王宮へ戻してはならない』
胸が締めつけられる。
「……父上」
私は紙を握った。
「私を守ろうとしていたの?」
セバスは答えなかった。
代わりに。
「旦那様は、最後までお嬢様のことを気にしていました」
そう言った。
「最後に何と?」
「……『あの子に謝らなければならない』と」
私は顔を上げた。
「謝る?」
「はい」
「何について?」
セバスは苦しそうに目を伏せた。
「七年前のことです」
心臓が跳ねた。
また。
七年前。
私の記憶。
ジェラルド。
薬。
父。
全部が、そこにある。
「教えて」
「……申し訳ありません」
「セバス」
「旦那様から、決して私の口から話すなと言われています」
「でも父上は死んだのでしょう?」
「……」
「だったら、もう命令を守る必要はない」
セバスはしばらく黙っていた。
やがて。
「七年前、お嬢様はジェラルド殿下を殺しかけました」
私は目を閉じた。
第13話で読んだ父の手紙。
あれと同じ。
「毒を飲ませたの?」
「いいえ」
「では?」
セバスは首を振った。
「お嬢様が作った薬そのものに、毒は入っていませんでした」
「……え?」
「むしろ、薬は殿下を救いました」
意味が分からない。
「だったら、どうして殺しかけたことになるの?」
セバスは答える代わりに、私の手を見た。
「お嬢様は、薬の中身を見ることができます」
「《組成視》……」
「ですが」
セバスが言った。
「七年前のお嬢様は、今よりもっと深く見えていました」
私は息を呑んだ。
「もっと?」
「薬の組成だけではありません」
「何が見えたの?」
「人間の身体の中です」
背筋に寒気が走った。
「血液」
「……」
「臓器」
「……」
「魔力」
セバスの言葉が続く。
「そして――毒が、どこで作られているのか」
私は、自分の胸に手を当てた。
そんな力。
私は知らない。
でも。
第12話で父が言った。
『お前の力は、薬の組成を見る力ではない』
その続き。
まだ知らされていない。
「七年前」
セバスは続けた。
「ジェラルド殿下の身体には、特殊な毒が入っていました」
「毒?」
「正確には、毒そのものではありません」
「……?」
「身体の中で、毒に変わる薬です」
私は凍りついた。
それは。
父の黒い帳簿にあった言葉と同じだった。
『身体の中で、毒を作らされた』
「まさか……」
「はい」
セバスは頷いた。
「ジェラルド殿下は、誰かに毒を飲まされたのではありません」
「……」
「殿下自身の身体に、毒を作らせる薬を入れられていた」
私は唇を噛んだ。
だから。
あの青い薬。
ベルラドンナ。
麦角アルカロイド。
そして、正体の分からない成分。
あれは毒そのものではなく。
体内で何かと反応して、毒を作るための薬だったのか。
「私は、それを治した?」
「はい」
「では、なぜ……」
セバスは目を伏せた。
「お嬢様は、殿下の体内に残った薬を消すために、別の薬を使いました」
「それで?」
「成功しました」
私は安堵しかけた。
けれど。
セバスの顔は暗い。
「問題は、その後です」
「何が起きたの?」
「お嬢様の《組成視》が、殿下の体内に残った『毒の材料』を見つけました」
「……」
「そして、お嬢様は気づいてしまった」
「何に?」
セバスが答える。
「その薬を作った人物の身体にも、同じ成分が存在していたことに」
私は言葉を失った。
「誰?」
セバスは私を見る。
「王宮薬師長です」
宮廷薬師長。
三人目の死者。
第一王子レオンハルト。
その侍医。
そして宮廷薬師長。
三人とも、毒殺されたと思われていた。
でも。
父の帳簿には書かれていた。
『王宮で死んだ三人は、毒殺ではない』
『身体の中で、毒を作らされたのだ』
「……三人とも」
私は呟いた。
「七年前から続いていた?」
「はい」
「そして父上は、それを知っていた?」
「はい」
「だから、私の記憶を……」
セバスは頷いた。
「お嬢様が見たものを、誰かに利用されることを恐れたのです」
私は頭を抱えた。
「でも……私は、どうして忘れているの?」
セバスは答えなかった。
代わりに。
私の手のひらに、小さな瓶を置いた。
透明な瓶。
中には、無色の液体。
「これは?」
「旦那様が最後まで隠していた薬です」
「解毒剤?」
「いいえ」
セバスは静かに言った。
「記憶を戻す薬です」
私は瓶を見つめた。
七年間。
ずっと空白だった記憶。
父が隠した真実。
ジェラルド。
王宮。
そして。
私自身。
全部が、この小さな瓶の中にある。
「飲めば、戻るの?」
「分かりません」
「危険?」
「おそらく」
「死ぬ可能性は?」
「あります」
リディアがすぐに口を挟んだ。
「なら、飲ませませんわ」
「リディア」
「嫌です」
彼女は私を見る。
「あなたはもう十分、命を狙われています」
「でも――」
「それでもです」
リディアの声は震えていた。
「私は、あなたまで失いたくありません」
私は黙った。
その言葉が。
胸に刺さった。
父も。
きっと同じだったのだろう。
だから。
私を追放した。
殺したことにした。
記憶まで封じた。
全部。
私を守るためだった。
「……ありがとう」
私は小さく笑った。
「でも、飲むわ」
「アーシェ!」
「ごめんなさい」
私は瓶を握る。
「父上が命を懸けて隠したものなら、私は知りたい」
「でも!」
「それに」
私はリディアを見た。
「私が知らないままなら、また誰かが死ぬ」
リディアは唇を噛んだ。
やがて。
「……分かりましたわ」
彼女は私の手を握った。
「でも、私がそばにいます」
「うん」
「何が見えても」
「うん」
「どんな記憶でも」
「うん」
「絶対に、一人にはしません」
私は頷いた。
そして。
瓶の蓋を開ける。
薬の匂い。
どこか懐かしい。
私は一口飲んだ。
瞬間。
世界が反転した。
頭の奥で。
何かが弾ける。
――七年前。
私は研究室にいた。
目の前には。
幼いジェラルド。
その隣に。
父。
そして。
見知らぬ男。
男は笑っていた。
「ヴィント伯爵」
「……」
「この薬を飲ませれば、殿下は死なない」
父は答えた。
「だが、いずれ毒になる」
「その時は、君の娘に治させればいい」
「ふざけるな」
「彼女には《組成視》がある」
男が私を見る。
その顔。
見覚えがある。
私は震えた。
「……あなたは」
記憶の中の男が振り返る。
そして。
私に笑いかけた。
「久しぶりだね、アーシェラ」
私は目を見開いた。
この男は――。
今も。
王宮にいる。
「――グロスヴァルド公爵」
そこで、記憶が途切れた。




