第12話 死んだ王子の棺を、私は開けた
王都に戻る。
そう決めた翌朝。
私たちは、ミルフィーヌを出た。
目的地は、第一王子レオンハルトの墓。
王宮で毒殺されたとされる、最初の犠牲者。
けれど。
私は、まだ彼を「死者」とは呼んでいなかった。
薬師として。
それだけは、どうしても確認したかった。
「アーシェ」
馬車の向かいに座るリディアが、窓の外を見ながら言った。
「本当に、王都へ戻るのですわね」
「ええ」
「あなたが追放された場所ですのに」
「だからよ」
「……?」
私は、窓の外に広がる街道を見た。
「私が死んだことになっているなら、今の私は王都に存在しない」
「ええ」
「存在しない人間ほど、調べ物には向いているわ」
リディアが苦笑する。
「相変わらず、発想が薬師ですわね」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
馬車が揺れる。
私は胸元に手を当てた。
そこには、父の残した黒い帳簿がある。
そして。
もう一つ。
青い錠剤。
ジェラルド殿下が飲んでいたものと同じ薬。
父が持っていたもの。
王宮で使われているもの。
その二つが、同じだということ。
それが、私の中で引っかかっていた。
「リディア」
「はい?」
「あなた、ジェラルド殿下の薬を見たことがある?」
「ええ。毎日飲んでいましたわ」
「飲み方は?」
「朝、昼、夜。必ず食後です」
「何ヶ月?」
「……半年ほど」
「その間、体調は?」
「頭痛。眠気。時々、手の震え」
私は眉を寄せた。
「それだけ?」
「あと、怒りっぽくなりましたわ」
「性格の変化?」
「以前から短気ではありましたけれど」
リディアが少し考える。
「半年前から、別人のようになりました」
私は青い錠剤を見た。
「……やっぱり」
「何か分かりましたの?」
「この薬は、単純な毒じゃない」
「では?」
「飲んだ人間の身体を、少しずつ変える」
私は薬瓶を握った。
「だから、急には殺さない」
「……」
「長期間飲ませることで、別の毒に反応しやすい身体にする」
リディアの顔が強張る。
「つまり」
「ええ」
私は頷いた。
「ジェラルド殿下も、最初から殺すために薬を飲まされていたわけじゃない」
「では、何のために?」
「分からない」
それが、一番気持ち悪かった。
毒なら目的がある。
殺す。
眠らせる。
操る。
症状を出す。
けれど。
この薬は、そのどれにも完全には当てはまらない。
まるで――
人間そのものを、別の何かに変えるための薬。
「アーシェ」
リディアの声が低くなった。
「王都が見えてきましたわ」
私は窓の外を見た。
遠くに城壁が見える。
かつては、あれが私の家だった。
けれど今は。
私を追放した場所。
父を殺した場所。
そして。
王子たちが毒に蝕まれている場所。
「行きましょう」
私は外套のフードを深く被った。
「王子の墓へ」
◇
夜。
王都の墓地。
王族専用区画は、街の北側にある。
高い石壁。
鉄門。
警備兵。
普通なら、追放された伯爵令嬢が入り込める場所ではない。
でも。
「こちらですわ」
リディアが、細い鍵を取り出した。
「……それ、どこから?」
「父の書斎から拝借しましたの」
「公爵令嬢がすることじゃないわね」
「悪役令嬢ですもの」
さらりと言って、リディアは鍵を差し込んだ。
カチリ。
扉が開く。
「便利ね」
「でしょう?」
二人で墓地へ入る。
月明かり。
白い墓石。
風に揺れる花。
そして。
奥に一つだけ、ひときわ大きな墓があった。
第一王子レオンハルト。
その名前が刻まれている。
私は墓石に触れた。
「……新しい」
「何がですの?」
「この石」
「墓ですから、当然では?」
「違う」
私は目を細めた。
「この石、設置されてから一週間も経っていない」
「でも、殿下が亡くなったのは三ヶ月前ですわ」
「ええ」
私は墓石の表面を撫でた。
「だから、おかしいのよ」
墓を作るのに三ヶ月。
それ自体は不自然ではない。
けれど。
「墓石の裏側に、削った跡がある」
「削った?」
「誰かが、一度ここを開けている」
リディアの顔が青ざめた。
「まさか……」
「確かめる」
「え?」
「棺を」
私は墓の前に立った。
「開けるわ」
「アーシェ!」
「嫌なら、ここで待っていて」
「誰が嫌だと言いましたの?」
リディアはため息をついた。
「本当に、あなたは一人で突っ走りますわね」
「リディア」
「はい?」
「ありがとう」
彼女は少しだけ目を丸くした。
「……どういたしまして」
二人で墓石を動かす。
重い。
けれど。
地下への階段が現れた。
冷たい空気が、下から上がってくる。
「地下墓所……」
「王族の墓なら普通よ」
私は灯りを持って降りた。
石の壁。
湿った空気。
そして。
一番奥。
そこに棺があった。
金の装飾。
王家の紋章。
「レオンハルト殿下」
リディアが呟く。
私は棺に近づいた。
蓋に手を置く。
《組成視》。
木。
金属。
布。
そして。
中にあるもの。
私は眉を寄せた。
「……変」
「何が?」
「棺の中身」
「見えるのですか?」
「ええ」
私は息を吸った。
「人間の骨格がない」
リディアの顔から、血の気が引いた。
「……え?」
「人間の遺体なら、骨がある」
私は棺を見つめた。
「でも、この棺に入っているものは――」
私は蓋を開けた。
ギィィ……。
古い音が響く。
中にあったのは。
白い布。
そして。
大量の薬草。
「……遺体じゃない」
リディアが口元を押さえた。
「では、殿下は……」
「この棺には入っていない」
私は薬草を一つ掴んだ。
「死んだ王子の棺に、遺体の代わりに薬草を詰めている」
「どうして?」
「分からない」
でも。
私は、一つだけ気づいた。
薬草の下。
小さな銀色の容器。
蓋を開ける。
中には黒い粉。
「……これ」
《組成視》。
ヒ素。
銅。
アルカロイド。
そして。
あの青い薬と同じ成分。
「王宮で使われた毒」
私は呟いた。
「ここに隠されている」
その瞬間。
背後から声がした。
「――よく見つけたな」
二人とも振り返った。
入口に。
一人の男が立っている。
黒いローブ。
顔は半分隠れている。
私は短剣を抜いた。
「誰?」
「それを知ってどうする?」
「父を殺した理由を聞く」
「……」
「王子を殺した理由も」
男が笑った。
「お前は、父親によく似ている」
私は目を細めた。
「父を知っているの?」
「知っている」
「なら答えて」
男は、一歩近づいた。
「ハンス・ヴィントは、お前を守ろうとした」
「それは聞いた」
「だが」
男の声が低くなる。
「守るためには、お前自身を一度、死なせる必要があった」
私は黙った。
「だから追放した」
「……」
「だから、婚約を壊した」
「違う」
私は即座に否定した。
「婚約破棄を決めたのは王子よ」
「そう思っているのか?」
「……何?」
「ジェラルドは、自分の意思で動いていると思うか?」
青い錠剤。
頭痛。
性格の変化。
私は息を呑んだ。
「まさか」
「そうだ」
男が言う。
「第二王子は、すでに薬に支配されている」
「薬に……?」
「正確には、薬が作った身体に」
私は拳を握った。
「あなたは、何を知っているの?」
「全てだ」
「なら教えて」
「嫌だ」
「……」
「お前が、自分で辿り着くのを見たい」
私は男を睨んだ。
「ふざけないで」
「ふざけてなどいない」
男が指を鳴らす。
その瞬間。
地下墓所の壁に、いくつもの灯りがついた。
私は目を見開いた。
壁一面。
そこに並んでいたのは――
薬瓶。
人体模型。
研究記録。
そして。
一枚の肖像画。
若い頃の父。
その隣に。
一人の男が立っている。
「……グロスヴァルド」
リディアが呟いた。
父とグロスヴァルド侯爵。
二人は並んでいる。
だが。
肖像画の端に、もう一人いる。
幼い少女。
黒髪。
小さな手に薬草を握っている。
「……私?」
男が答える。
「そうだ」
「どうして私が?」
「その絵が描かれたのは、お前が七歳の時だ」
私は息を止めた。
父とグロスヴァルド。
そして私。
三人が、同じ研究室にいる。
そんな記憶はない。
「これは……偽物」
「違う」
「私は、ここに来たことなんて――」
私は言葉を止めた。
頭の奥が痛い。
七歳。
薬草。
父の書斎。
白い部屋。
誰かの声。
『アーシェラ、この薬を覚えておきなさい』
記憶が、一瞬だけ戻った。
小さな瓶。
青い液体。
そして。
『これは、人を殺す薬ではない』
父の声。
『お前自身を守る薬だ』
「……父上」
私は額を押さえた。
「私、知っていた……?」
リディアが私の肩を支える。
「アーシェ!」
「大丈夫」
私は息を整えた。
けれど。
頭の中に、別の記憶が浮かんだ。
父が私の腕に注射をした。
痛み。
泣き声。
そして。
父の声。
『忘れなさい』
私は目を開いた。
「……違う」
男が笑う。
「何が違う?」
「父は、私を追放しただけじゃない」
私は、地下墓所を見回した。
「私の記憶を消した」
男が初めて黙った。
私は青い錠剤を握った。
「だから、私には覚えていないことがある」
そして。
その瞬間。
棺の奥から。
コツン。
小さな音がした。
「……?」
私は振り返る。
空のはずの棺。
薬草の下。
何かが動いた。
私は布をめくった。
そこにあったのは。
小さな木箱。
蓋には。
私の名前。
『アーシェラへ』
私は震える手で、箱を開けた。
中に入っていたのは。
一枚の手紙。
そして。
青い薬。
私は手紙を開いた。
父の字だった。
『アーシェラ』
一行目を読んだ瞬間。
胸が痛くなった。
『この手紙を読んでいるということは、私はもう生きていないのだろう』
指が震える。
『お前には、まだ伝えていないことがある』
私は息を止めた。
『お前が「魔力ゼロ」だと思っていることも』
『お前の《組成視》が、三百年に一人と呼ばれていることも』
『全て、嘘だ』
「……え?」
リディアが息を呑む。
私は続きを読んだ。
『お前の力は、薬の組成を見る力ではない』
『お前の本当の力は――』
そこで。
手紙が途切れていた。
最後の部分だけ。
綺麗に切り取られている。
「……誰が」
私が顔を上げた、その瞬間。
地下墓所の入口から。
無数の足音が響いた。
兵士。
十人。
二十人。
そして。
その先頭に立っていたのは。
「――アーシェラ・ヴィント」
聞き覚えのある声だった。
第二王子。
ジェラルド。
私を婚約破棄し。
毒婦と呼び。
私を王都から追放した男。
その目は。
以前とは違っていた。
異様に赤い。
そして。
彼の手には。
あの青い薬が握られていた。
「ようやく見つけた」
ジェラルドは笑った。
「――僕の薬師」
私は短剣を握り直した。
そして。
初めて気づいた。
彼の首筋に。
蛇の形をした黒い痣が浮かんでいることに。




