第二話「消された名前」
明治三十三年。
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藤富家の屋敷には、
以前とは違う空気が流れていた。
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誰も口には出さない。
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しかし。
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全員が感じていた。
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何かが戻ってきた。
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そんな感覚を。
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「榊原清十郎」
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真之介は客間で老人と向き合っていた。
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「あなたは守り石を管理していたと言ったな」
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老人は静かに頷く。
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「ええ」
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「なら聞きたい」
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真之介は机の上に置かれた石片を見る。
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「これは何だ」
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老人はすぐには答えなかった。
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しばらく石を見つめる。
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そして。
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「それは」
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「守り石ではありません」
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真之介の表情が変わる。
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「違う?」
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「八つの石とは別物です」
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咲も横で聞いていた。
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「では……何のための石なんですか?」
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老人は答えた。
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「記録するための石です」
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部屋の空気が重くなる。
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第九。
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記録する存在。
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その言葉と繋がる。
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「第九と関係が?」
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真之介が聞く。
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老人は首を振った。
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「第九より前です」
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その言葉。
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真之介は動きを止めた。
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第九より前。
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そんなものがあるのか。
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「藤富家の記録では」
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老人は続ける。
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「昔から八つの石を守ることだけが伝わっています」
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「しかし」
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「初代の記録には違うことが書かれていた」
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老人は古い紙を取り出した。
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黄色く変色した紙。
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文字は薄い。
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しかし。
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読める。
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『八つは扉』
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『九は記憶』
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『十は意志』
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そして。
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最後。
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黒く塗りつぶされた一文。
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『三つは――』
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そこで終わっている。
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「三つは何だ」
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真之介が聞く。
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老人は目を伏せた。
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「分かりません」
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「ただ」
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「その続きを読んだ者は」
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「皆、同じことを言いました」
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「何と?」
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老人は答えた。
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「見なければよかった」
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その夜。
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真之介は眠れなかった。
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頭の中に残る。
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「三つは」
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という言葉。
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八つの守り石。
第九。
第十。
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その先。
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考えたくなかった。
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深夜。
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屋敷の廊下。
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足音。
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「誰だ」
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真之介が灯りを持つ。
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しかし。
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誰もいない。
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ただ。
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床に濡れた足跡があった。
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外は雨ではない。
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屋敷の中に。
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水の跡。
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足跡は。
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古い地下保管庫へ続いていた。
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「……」
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真之介はゆっくり階段を下りる。
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地下。
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そこには。
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昨日見つけた扉。
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しかし。
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今は。
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扉が開いていた。
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中を見る。
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昨日は石片だけだった。
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しかし。
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今日は違った。
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壁に。
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文字が浮かんでいる。
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『第一の石』
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『第二の石』
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『第三の石』
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消された名前。
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そして。
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最後に。
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『失われた三つ』
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真之介は近づく。
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その瞬間。
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壁の奥から声。
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『戻せ』
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「誰だ!」
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返事。
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『戻せば』
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『全てが終わる』
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真之介は警戒する。
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「何を戻す」
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しばらく沈黙。
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そして。
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『記憶』
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その瞬間。
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咲が苦しそうに頭を押さえた。
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「……痛い」
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「咲!」
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彼女の目に。
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見知らぬ景色が映っていた。
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燃える村。
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泣く人々。
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そして。
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三つの石を持つ人間。
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「見える……」
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咲が震える。
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「昔の……」
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「違う……」
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「これは……」
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彼女が言葉を失う。
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「未来……?」
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真之介は凍りついた。
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過去を記録する石。
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未来を見る存在。
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その矛盾した力。
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そして。
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地下の奥から。
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新しい音。
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何かが。
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目覚めたような音。
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第七章 第二話
「消された名前」
終。




