第四話「忘却石」
朝になっても。
---
真之介の中から昨夜の光景は消えなかった。
---
黒い武者。
---
目のない女。
---
記憶を失っていく村人。
---
全てが現実だった。
---
「……認めるしかないか」
---
真之介は机の上に並べた記録を見る。
---
教師として。
---
今まで多くのことを疑ってきた。
---
噂。
---
迷信。
---
根拠のない伝承。
---
しかし。
---
昨日から起きていることには。
---
証拠がある。
---
記録。
---
目撃者。
---
そして。
---
自分自身の体験。
---
真之介は源次の帳面を開く。
---
第四章で源次が残した最後の記録。
---
その続き。
---
崩落前に書かれた部分。
---
『第五の石について』
---
真之介は読む。
---
『名は忘却石』
---
『役割は消すこと』
---
手が止まる。
---
消す。
---
あまりにも単純な言葉。
---
だが。
---
その意味は恐ろしい。
---
続きを読む。
---
『人は死ぬ』
---
『死者は残る』
---
『残ったものは流れなければならない』
---
『その最後に必要なのが忘却』
---
真之介は考える。
---
死者の記憶。
---
生者の記憶。
---
全てが残り続けたら。
---
世界はどうなる。
---
答えは今の村だ。
---
過去が現在に溢れる。
---
死人が帰る。
---
生きた人間が自分を失う。
---
「忘れることも必要なのか」
---
今まで考えたこともない。
---
人間は忘れる。
---
だから前へ進める。
---
だから生きられる。
---
その仕組みを。
---
石が担っていた。
---
その時。
---
学校から使いが来た。
---
「先生!」
---
若い職員が息を切らしている。
---
「村の診療所で騒ぎです」
---
真之介はすぐ向かった。
---
診療所。
---
中は混乱していた。
---
一人の老人が叫んでいる。
---
「ここはどこだ!」
---
「俺は誰だ!」
---
医師が困惑する。
---
「昨日までは普通だったんですが……」
---
真之介は老人を見る。
---
その瞬間。
---
背後に何かが見えた。
---
黒い影。
---
老人の背中に張り付いている。
---
真之介は息を止める。
---
今までなら。
---
見えなかった。
---
しかし今は。
---
はっきり見える。
---
影は老人の頭に手を伸ばしている。
---
「離れろ」
---
思わず口に出す。
---
周囲の人間が驚く。
---
「先生?」
---
真之介は気にせず。
---
影へ近づく。
---
すると。
---
影が顔を向けた。
---
顔はない。
---
しかし。
---
感情が伝わる。
---
怒り。
---
いや。
---
飢え。
---
影は記憶を食べている。
---
真之介は机の上にあった鏡を取った。
---
昨夜の目のない女。
---
同じような存在なら。
---
何か反応があるはず。
---
鏡を向ける。
---
影が揺れる。
---
そして。
---
老人から離れた。
---
その瞬間。
---
老人が倒れる。
---
「大丈夫ですか!」
---
村人が駆け寄る。
---
数分後。
---
老人はゆっくり目を開けた。
---
「……ここは?」
---
医師が尋ねる。
---
「名前は?」
---
老人は答える。
---
「山田庄吉」
---
周囲が安堵する。
---
記憶が戻った。
---
しかし。
---
真之介は気付いた。
---
戻ったのは。
---
一部だけ。
---
老人の目に。
---
何かが欠けている。
---
「何を忘れた」
---
真之介が呟く。
---
老人は首を傾げる。
---
「何のことだ?」
---
そして。
---
静かに言った。
---
「息子の顔が思い出せない」
---
空気が凍る。
---
息子は。
---
隣に立っていた。
---
「父さん……」
---
老人は彼を見る。
---
知らない人を見る目で。
---
「あなたは……誰だ?」
---
息子の顔から血の気が引いた。
---
真之介は理解した。
---
忘却石は。
---
昨日の記憶だけではない。
---
人間の中で。
---
最も深い場所まで触れている。
---
家族。
---
愛情。
---
人生。
---
そこまで消す。
---
その夜。
---
真之介は一人で山へ向かった。
---
第五の石の場所を確かめるため。
---
途中。
---
月明かりの下で。
---
黒い武者が現れる。
---
「行くのか」
---
真之介は答える。
---
「行かなければ、もっと消える」
---
武者はしばらく黙る。
---
そして。
---
初めて少しだけ頷いた。
---
「ならば見るがいい」
---
「人間が作ったものの正体を」
---
山の奥。
---
誰も近づかなかった場所。
---
そこには。
---
白い石の入口があった。
---
表面には。
---
無数の名前。
---
しかし。
---
真之介が近づいた瞬間。
---
一つの名前が消えた。
---
その名前。
---
藤富真之介。
---
自分の名前だった。
---
(第四話・続く)




