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亀の瀬異聞録  作者: こうた
第一章:仏生堂の影 ― 生贄の地 ―

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第三話 藤富家の古文書

権蔵の葬儀は、その日のうちに行われた。


村人たちは口数少なく、誰も権蔵の死について語ろうとしなかった。


いや、語れなかったのだろう。


庄吉は感じていた。


この村の者たちは何かを知っている。


だが、知りすぎているからこそ口を閉ざしている。



---


夕暮れ。


庄吉は再び藤富宗兵衛の屋敷を訪ねた。


屋敷は村の中でもひときわ大きく、古いながらも威厳を感じさせる造りだった。


門をくぐると、宗兵衛は縁側に座り、庭を眺めていた。


まるで庄吉が来ることを分かっていたかのように。



---


「権蔵の件について聞きたい」


庄吉は単刀直入に切り出した。



---


宗兵衛は静かに目を閉じた。


「そうでしょうな」



---


「何が起きた」



---


「分かりませぬ」



---


「嘘だ」


庄吉の声は鋭かった。



---


宗兵衛の肩がわずかに震える。



---


「何代も前から続いております」



---


「何が」



---


「山へ入った者が帰ってくることです」



---


庄吉は眉をひそめた。



---


「帰ってくる?」



---


「生きてはおりません」



---


宗兵衛は苦しそうに言葉を絞り出した。



---


「死んだ者が帰ってくるのです」



---


沈黙が落ちた。



---


風が吹く。


庭木が揺れる。



---


だが庄吉は笑わなかった。


昨夜の出来事。


権蔵の姿。


あれを見た後では、そんな話も荒唐無稽とは思えなかった。



---


「何故だ」



---


宗兵衛は首を振る。



---


「分かりませぬ」



---


だがその目は違った。


何かを隠している。



---


庄吉は立ち上がった。



---


「藤富家の蔵を見せてもらう」



---


宗兵衛の表情が固まった。



---


初めて明確な動揺が見えた。



---


「それは……」



---


「断る理由があるのか」



---


宗兵衛はしばらく黙り込む。


やがて諦めたように立ち上がった。



---


「ついてきてくだされ」



---


屋敷の裏手。


古びた土蔵があった。



---


錠前は重く、長年開けられていないようだった。


宗兵衛が鍵を回す。



---


ぎい、と不快な音が響いた。



---


中には古文書が積み上げられていた。


巻物。


帳面。


木箱。



---


数百年分はあるだろう。



---


「これは藤富家の記録です」



---


庄吉は近くの巻物を開いた。



---


天明。


安永。


宝暦。



---


古い記録が続く。



---


そして一冊の帳面に目が止まった。



---


表紙にはこう書かれていた。



---


『仏生堂供物帳』



---


庄吉は眉をひそめた。



---


「供物帳?」



---


宗兵衛の顔色が変わる。



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庄吉は帳面を開いた。



---


最初のページ。



---


年月日。


名前。


年齢。



---


その下に一文字。



---


「奉納」



---


次のページも。


その次も。



---


同じだった。



---


名前。


年齢。


奉納。



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何十人。


何百人。



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延々と続いている。



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庄吉の背筋に冷たいものが走った。



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「これは何だ」



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宗兵衛は答えない。



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「答えろ」



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庄吉の声が低くなる。



---


宗兵衛は観念したように口を開いた。



---


「昔の話です」



---


「昔ではない」



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帳面は比較的新しい。



---


百年も経っていない記録もある。



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宗兵衛は震える声で言った。



---


「仏生堂では……人を捧げておりました」



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空気が止まった。



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庄吉は耳を疑った。



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「何だと」



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「山を鎮めるためです」



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「馬鹿な」



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「代々そう伝えられてきたのです」



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宗兵衛は俯いた。



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「山が荒れる時」



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「崩落が起きる時」



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「生贄を捧げれば静まると」



---


庄吉は帳面を握り締める。



---


怒りだった。



---


武士として。


人として。



---


そんなものが許されるはずがない。



---


「いつまで続いた」



---


宗兵衛は答える。



---


「私の祖父の代まで」



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庄吉は絶句した。



---


遠い昔ではない。



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ほんの数十年前の話だ。



---


宗兵衛は続けた。



---


「だが、ある日」



---


「神殿が崩れました」



---


庄吉の目が細くなる。



---


昨夜見た祠。



---


あれのことだ。



---


「崩れた後からです」



---


「死人が帰るようになったのは」



---


沈黙。



---


庄吉は帳面を閉じた。



---


その時だった。



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蔵の奥から音がした。



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コツ。



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庄吉が振り向く。



---


誰もいない。



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だが確かに聞こえた。



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コツ。



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また鳴る。



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今度は木箱の向こう側。



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庄吉は刀に手をかける。



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「誰だ」



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返事はない。



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宗兵衛も青ざめている。



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そして。



---


コツ。


コツ。


コツ。



---


音が近づいてくる。



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まるで誰かが蔵の中を歩いている。



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だが姿は見えない。



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庄吉はゆっくり刀を抜いた。



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その瞬間。



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木箱の陰から。



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白い指が現れた。



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人間の指だった。



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だが異様に長い。



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骨のように細い。



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一本。



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二本。



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三本。



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ゆっくりと床を掴む。



---


宗兵衛が悲鳴を上げた。



---


次の瞬間。



---


指は消えた。



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まるで最初から存在しなかったかのように。



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静寂。



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庄吉は刀を握ったまま動かない。



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嫌な予感がしていた。



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昨夜から続く異変。



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権蔵の死。



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供物帳。



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そして今の怪異。



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全てが一つの場所を指している。



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仏生堂の神殿。



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あそこに何かがいる。



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そしてそれは。



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少しずつ目を覚まし始めている。



---


庄吉は供物帳を懐へ入れた。



---


「明日、神殿へ行く」



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宗兵衛の顔から血の気が引いた。



---


「行ってはなりませぬ」



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「理由は」



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宗兵衛は震える唇で答えた。



---


「帰ってこられなくなります」



---


庄吉は静かに言った。



---


「既に多くの者が帰ってこられなかった」



---


「ならば誰かが行かねばならん」



---


宗兵衛は何も言えなかった。



---


夜の風が吹く。



---


蔵の奥から。



---


誰かが笑った気がした。



---


第四話へ続く。

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