第二話 消えた猟師
夜明けは突然やってきた。
庄吉が気づいた時には、東の空が白み始めていた。
あれほど不気味だった山も、朝日を受けるとただの山に見える。
祠の石壁に刻まれていた文字も消えていた。
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> 「次は、お前だ」
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確かに見たはずだった。
だが今は何もない。
ただ苔むした石があるだけだ。
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庄吉は祠の前にしゃがみ込み、表面を指でなぞった。
傷跡すら残っていない。
まるで最初から存在しなかったかのようだった。
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「夢ではない……」
そう呟く。
武士として戦場も経験している。
幻覚と現実の区別がつかなくなるほど弱くはない。
だが理屈が通らない。
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馬を繋いでいた場所へ戻る。
馬は異様に怯えていた。
鼻息を荒くし、耳を伏せている。
夜の間、ほとんど動いていない。
だが地面には無数の蹄の跡が刻まれていた。
逃げようとしたのだ。
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庄吉は馬の首を撫でた。
「何を見た」
当然返事はない。
だが馬の目はまだ祠の方向を見ていた。
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村へ戻ることにした。
昨夜の出来事を整理するためにも、まずは人の話を聞く必要がある。
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山道を下る。
すると不思議なことに気づいた。
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昨日通ったはずの道が見当たらない。
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代わりに別の獣道が現れている。
庄吉は眉をひそめる。
山で道を見失うことは珍しくない。
だが昨夜の出来事を経験した後では、単なる迷い道とは思えなかった。
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一時間ほど歩き、ようやく村へ着く。
仏生堂集落。
亀の瀬の奥にある小さな集落だった。
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村人たちは庄吉を見ると安堵したような表情を浮かべた。
だがその目には別の感情も混じっていた。
恐怖。
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庄吉は村長宅へ向かった。
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村長の名は藤富宗兵衛。
六十を超える老人だった。
仏生堂では代々村をまとめてきた家柄である。
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宗兵衛は庄吉を見るなり言った。
「無事でしたか」
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妙な言い方だった。
普通なら
「調査はどうでしたか」
と聞くはずだ。
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「何故、無事かどうかを先に聞く」
庄吉が問う。
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宗兵衛の顔が僅かに強張る。
「この山は……人を選びます」
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「選ぶ?」
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「戻れぬ者もおります」
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それだけ言うと口を閉ざした。
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庄吉は昨夜の祠の話をした。
すると宗兵衛の顔色が変わる。
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「見たのですか」
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「何をだ」
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「石の祠を」
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庄吉は頷いた。
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宗兵衛はしばらく黙り込んだ。
そして部屋の障子を閉める。
まるで誰かに聞かれることを恐れているようだった。
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「若い頃、私の父も見たそうです」
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「何を」
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「祠です」
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「それだけか」
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宗兵衛は首を振った。
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「祠を見た者は、その後必ず何かを見る」
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「何を見た」
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宗兵衛は答えなかった。
ただ窓の外を見つめている。
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庄吉はさらに問い詰めようとした。
しかしその時、村の外から悲鳴が聞こえた。
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男の叫びだった。
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庄吉は即座に立ち上がる。
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外へ飛び出す。
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村人たちが一方向を見て騒いでいた。
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「猟師が!」
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「猟師が帰ってきた!」
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庄吉は人垣を掻き分ける。
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そこにいたのは一人の男だった。
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だが何かがおかしい。
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猟師の名は権蔵。
三日前に山へ入り、そのまま行方不明になっていた人物だった。
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帰ってきたはずなのに。
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誰も近寄ろうとしない。
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理由はすぐ分かった。
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権蔵の足だった。
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足が逆を向いている。
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膝から下が完全に後ろへ曲がっている。
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それなのに平然と立っている。
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村人の一人が震える声で言う。
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「おかしい……」
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「おかしい……」
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庄吉も息を呑んだ。
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権蔵は生きている。
しかし目が死んでいた。
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焦点が合っていない。
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何かを見ているようで。
何も見ていない。
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「権蔵」
庄吉が呼びかける。
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反応はない。
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ただゆっくりと口が開いた。
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そして。
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「まだ足りない」
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そう呟いた。
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村人たちが悲鳴を上げる。
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権蔵の声ではなかった。
老人とも女とも子供ともつかない。
何十人もの声が重なったような声だった。
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「まだ足りない」
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「まだ足りない」
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「まだ足りない」
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声が増えていく。
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その時だった。
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権蔵の口から土が溢れ始めた。
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ぼたぼたと。
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黒い土。
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いや違う。
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よく見ると土ではなかった。
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髪だった。
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大量の黒髪。
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女の髪。
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権蔵の口から無限に流れ出てくる。
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村人たちは逃げ出した。
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庄吉だけが残る。
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刀を抜く。
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すると権蔵がゆっくりこちらを向いた。
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初めて目が合う。
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その瞬間。
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庄吉の脳裏に映像が流れ込んできた。
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暗い石室。
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泣いている少女。
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縄。
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石段。
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そして。
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血。
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大量の血。
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少女が叫ぶ。
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> 「助けて」
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庄吉は思わず後退する。
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視界が戻る。
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権蔵は倒れていた。
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動かない。
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完全に死んでいた。
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しかしその顔には。
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安堵の表情が浮かんでいた。
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まるで。
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長い苦しみから解放されたかのように。
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庄吉は権蔵の亡骸を見つめる。
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そして確信する。
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昨夜見た地中の人影。
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あれは幻ではない。
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この土地には本当に何かが埋まっている。
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そしてその何かは。
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今も人を求めている。
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第二話へ続く。




