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亀の瀬異聞録  作者: こうた
第一章:仏生堂の影 ― 生贄の地 ―

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第二話 消えた猟師

夜明けは突然やってきた。


庄吉が気づいた時には、東の空が白み始めていた。


あれほど不気味だった山も、朝日を受けるとただの山に見える。


祠の石壁に刻まれていた文字も消えていた。



---


> 「次は、お前だ」





---


確かに見たはずだった。


だが今は何もない。


ただ苔むした石があるだけだ。



---


庄吉は祠の前にしゃがみ込み、表面を指でなぞった。


傷跡すら残っていない。


まるで最初から存在しなかったかのようだった。



---


「夢ではない……」


そう呟く。


武士として戦場も経験している。


幻覚と現実の区別がつかなくなるほど弱くはない。


だが理屈が通らない。



---


馬を繋いでいた場所へ戻る。


馬は異様に怯えていた。


鼻息を荒くし、耳を伏せている。


夜の間、ほとんど動いていない。


だが地面には無数の蹄の跡が刻まれていた。


逃げようとしたのだ。



---


庄吉は馬の首を撫でた。


「何を見た」


当然返事はない。


だが馬の目はまだ祠の方向を見ていた。



---


村へ戻ることにした。


昨夜の出来事を整理するためにも、まずは人の話を聞く必要がある。



---


山道を下る。


すると不思議なことに気づいた。



---


昨日通ったはずの道が見当たらない。



---


代わりに別の獣道が現れている。


庄吉は眉をひそめる。


山で道を見失うことは珍しくない。


だが昨夜の出来事を経験した後では、単なる迷い道とは思えなかった。



---


一時間ほど歩き、ようやく村へ着く。


仏生堂集落。


亀の瀬の奥にある小さな集落だった。



---


村人たちは庄吉を見ると安堵したような表情を浮かべた。


だがその目には別の感情も混じっていた。


恐怖。



---


庄吉は村長宅へ向かった。



---


村長の名は藤富宗兵衛。


六十を超える老人だった。


仏生堂では代々村をまとめてきた家柄である。



---


宗兵衛は庄吉を見るなり言った。


「無事でしたか」



---


妙な言い方だった。


普通なら


「調査はどうでしたか」


と聞くはずだ。



---


「何故、無事かどうかを先に聞く」


庄吉が問う。



---


宗兵衛の顔が僅かに強張る。


「この山は……人を選びます」



---


「選ぶ?」



---


「戻れぬ者もおります」



---


それだけ言うと口を閉ざした。



---


庄吉は昨夜の祠の話をした。


すると宗兵衛の顔色が変わる。



---


「見たのですか」



---


「何をだ」



---


「石の祠を」



---


庄吉は頷いた。



---


宗兵衛はしばらく黙り込んだ。


そして部屋の障子を閉める。


まるで誰かに聞かれることを恐れているようだった。



---


「若い頃、私の父も見たそうです」



---


「何を」



---


「祠です」



---


「それだけか」



---


宗兵衛は首を振った。



---


「祠を見た者は、その後必ず何かを見る」



---


「何を見た」



---


宗兵衛は答えなかった。


ただ窓の外を見つめている。



---


庄吉はさらに問い詰めようとした。


しかしその時、村の外から悲鳴が聞こえた。



---


男の叫びだった。



---


庄吉は即座に立ち上がる。



---


外へ飛び出す。



---


村人たちが一方向を見て騒いでいた。



---


「猟師が!」



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「猟師が帰ってきた!」



---


庄吉は人垣を掻き分ける。



---


そこにいたのは一人の男だった。



---


だが何かがおかしい。



---


猟師の名は権蔵。


三日前に山へ入り、そのまま行方不明になっていた人物だった。



---


帰ってきたはずなのに。



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誰も近寄ろうとしない。



---


理由はすぐ分かった。



---


権蔵の足だった。



---


足が逆を向いている。



---


膝から下が完全に後ろへ曲がっている。



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それなのに平然と立っている。



---


村人の一人が震える声で言う。



---


「おかしい……」



---


「おかしい……」



---


庄吉も息を呑んだ。



---


権蔵は生きている。


しかし目が死んでいた。



---


焦点が合っていない。



---


何かを見ているようで。


何も見ていない。



---


「権蔵」


庄吉が呼びかける。



---


反応はない。



---


ただゆっくりと口が開いた。



---


そして。



---


「まだ足りない」



---


そう呟いた。



---


村人たちが悲鳴を上げる。



---


権蔵の声ではなかった。


老人とも女とも子供ともつかない。


何十人もの声が重なったような声だった。



---


「まだ足りない」



---


「まだ足りない」



---


「まだ足りない」



---


声が増えていく。



---


その時だった。



---


権蔵の口から土が溢れ始めた。



---


ぼたぼたと。



---


黒い土。



---


いや違う。



---


よく見ると土ではなかった。



---


髪だった。



---


大量の黒髪。



---


女の髪。



---


権蔵の口から無限に流れ出てくる。



---


村人たちは逃げ出した。



---


庄吉だけが残る。



---


刀を抜く。



---


すると権蔵がゆっくりこちらを向いた。



---


初めて目が合う。



---


その瞬間。



---


庄吉の脳裏に映像が流れ込んできた。



---


暗い石室。



---


泣いている少女。



---


縄。



---


石段。



---


そして。



---


血。



---


大量の血。



---


少女が叫ぶ。



---


> 「助けて」





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庄吉は思わず後退する。



---


視界が戻る。



---


権蔵は倒れていた。



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動かない。



---


完全に死んでいた。



---


しかしその顔には。



---


安堵の表情が浮かんでいた。



---


まるで。



---


長い苦しみから解放されたかのように。



---


庄吉は権蔵の亡骸を見つめる。



---


そして確信する。



---


昨夜見た地中の人影。



---


あれは幻ではない。



---


この土地には本当に何かが埋まっている。



---


そしてその何かは。



---


今も人を求めている。



---


第二話へ続く。

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