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亀の瀬異聞録  作者: こうた
第三章:仏生堂起動(1840・天保の飢え)

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第三話「山に立つ者たち」

山肌を埋め尽くす人影。


その数は異常だった。


木々の間。


岩の上。


崩れた斜面。


ありとあらゆる場所に人が立っている。



---


しかし動かない。



---


ただ見ている。



---


高橋咲は息を呑んだ。


冷たい汗が背中を流れる。



---


「あれは……」



---


言葉が続かない。



---


藤富宗景も山を見ていた。


だが彼の顔に浮かんでいるのは恐怖ではない。


焦りだった。



---


「数が多すぎる」



---


「何なんです、あれは!」



---


咲は思わず叫んだ。



---


宗景はしばらく黙っていた。


だがやがて諦めたように口を開く。



---


「あれは死者だ」



---


咲は絶句した。



---


「死者……?」



---


「正確には違う」



---


宗景の目は山から離れない。



---


「死者の残滓だ」



---


「残滓……」



---


「人が死ねば終わると思うか?」



---


咲は答えられない。



---


宗景は続けた。



---


「終わらない」



---


低い声だった。



---


「この土地では終われない」



---


風が吹く。



---


山肌の人影たちの衣が揺れた。



---


しかし身体は動かない。



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まるで木のように。



---


あるいは墓標のように。



---


立ち尽くしている。



---


宗景は静かに言った。



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「人は死ぬ」



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「……」



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「だが、この土地は死を返さない」



---


咲は理解できなかった。



---


しかし宗景の表情だけは真実を語っている。



---


嘘をついている顔ではない。



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「返さないとは?」



---


宗景は答えない。



---


代わりに山を指差した。



---


「あの中に」



---


「?」



---


「三十年前の人間がいる」



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咲は凍り付く。



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「四十年前の人間もいる」



---


宗景の声は淡々としている。



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「百年前の人間もいる」



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咲は言葉を失った。



---


そんなことはありえない。



---


だが。



---


あの数。



---


あの異様さ。



---


否定する材料がなかった。



---


宗景は呟く。



---


「積もっている」



---


「……」



---


「死が積もっているんだ」



---


その言葉を聞いた瞬間。



---


山の奥で何かが動いた。



---


ざわり。



---


人影の群れが揺れた。



---


咲は目を見開く。



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一体が動く。



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また一体。



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さらに一体。



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数百の影の中から。



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三つの影だけが歩き始めた。



---


ゆっくりと。



---


こちらへ向かって。



---


宗景の顔色が変わる。



---


「まずい」



---


咲は振り返る。



---


「何ですか」



---


「来る」



---


宗景が言った瞬間。



---


山全体が鳴った。



---


ゴォォォォォ……



---


昨日までとは比較にならない。



---


大地の奥深く。



---


何か巨大なものが軋んでいる。



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咲は耳を塞いだ。



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頭が痛い。



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音ではない。



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感情が流れ込んでくる。



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怒り。



---


絶望。



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飢え。



---


憎悪。



---


数え切れない人間の感情。



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何百。



---


何千。



---


いや。



---


もっとだ。



---


咲は膝をつく。



---


頭の中に映像が流れ込む。



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餓死した母親。



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崩落に飲まれた男。



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生贄として消えた少女。



---


首を吊った老人。



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川に身を投げた子供。



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知らない。



---


誰も知らないはずの死。



---


それが次々に流れ込む。



---


「やめ……」



---


吐き気が込み上げる。



---


そのときだった。



---


宗景が何かを取り出した。



---


木札。



---


古びた護符。



---


それを地面へ叩き付ける。



---


瞬間。



---


風が吹いた。



---


強烈な風だった。



---


山から吹き下ろす風。



---


その風に触れた途端。



---


咲の頭の中の映像が消えた。



---


静寂。



---


咲は荒い呼吸を繰り返す。



---


宗景は護符を見つめていた。



---


その表情は険しい。



---


「効きが悪い……」



---


「何が起きてるんです」



---


宗景は答える。



---


「第一の石だ」



---


咲の心臓が跳ねる。



---


祠で見た石。



---


あれだ。



---


「あれが動き始めた」



---


「動く?」



---


宗景は頷く。



---


「本来ならまだ先だった」



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「何が」



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「記録の蓄積だ」



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咲は意味が分からない。



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しかし宗景は続けた。



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「死者は消える」



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「……」



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「それが自然だ」



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風が止む。



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宗景は山を睨む。



---


「だが、この土地では消えない」



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咲は昨日の言葉を思い出した。



---


登録完了。



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あの声。



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あの文字。



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宗景は静かに言う。



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「第一の石は死を記録する」



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咲の背筋が冷える。



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「記録……」



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「だから死者は消えない」



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その瞬間。



---


山から降りてくる三つの影が。



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はっきり見えた。



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男。



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女。



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子供。



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だが。



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顔がない。



---


いや。



---


顔が削れている。



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まるで誰かが存在を削り取ったように。



---


宗景が呟く。



---


「記録不全だ」



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咲は理解できない。



---


だが本能だけが叫んでいる。



---


逃げろ。



---


逃げろ。



---


逃げろ。



---


三つの影が。



---


ゆっくり。



---


確実に。



---


こちらへ歩いてくる。



---


そして。



---


その後ろで。



---


山を埋め尽くす数千の影が。



---


一斉に動き始めた。



---


宗景の顔から血の気が引く。



---


「第二の石まで動いている……」



---


咲は振り返る。



---


「第二の石?」



---


宗景は低く答えた。



---


「死者を循環させる石だ」



---


そして。



---


初めて恐怖を滲ませた声で言う。



---


「まだ完成していないはずなんだ」



---


その言葉と同時に。



---


数千の影が。



---


一歩。



---


前へ出た。



---


(第三話・続く)

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