第二話「選ばれた者」
その夜。
高橋咲は眠れなかった。
藁を敷いただけの寝床に横になっても、瞼を閉じるたびにあの石が浮かぶ。
祠の奥にあった異様な石。
表面を覆う無数の傷。
そして――
「登録完了」
あの意味不明な言葉。
聞いたのではない。
頭の中へ直接流し込まれた感覚だった。
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囲炉裏の火はすでに消えている。
家の中は静まり返っていた。
それでも咲には聞こえる。
どこか遠くで。
何かが擦れる音。
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サリ……
サリ……
サリ……
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まるで誰かが地面を引きずりながら歩いているような音だった。
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咲は起き上がった。
耳を澄ませる。
音は外から聞こえている。
しかも近い。
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サリ……
サリ……
サリ……
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咲は慎重に戸を開けた。
冷たい夜気が流れ込む。
月は雲に隠れている。
村全体が薄暗い。
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そして。
そこにいた。
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道の真ん中を歩く人影。
ひとりではない。
五人。
十人。
もっといる。
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全員が俯いている。
全員が裸足だった。
全員が泥だらけだった。
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まるで葬列。
だが妙だった。
誰一人として音を立てない。
足音もない。
息遣いもない。
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あるのは。
衣擦れだけ。
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サリ……
サリ……
サリ……
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咲の背筋に冷たいものが走った。
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先頭にいる男を見た瞬間。
咲は凍り付く。
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「……嘘……」
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見覚えがあった。
昼に祠の前で見た死体。
あの男だった。
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間違いない。
顔も。
体格も。
着物も。
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だが死んでいたはずだ。
脈もなかった。
身体は冷たかった。
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なのに今。
普通に歩いている。
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咲は思わず叫んだ。
「待って!」
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行列が止まる。
全員が同時に。
ぴたりと。
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そして。
ゆっくりと振り返った。
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咲は後悔した。
呼び止めるべきではなかった。
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全員の顔が同じだった。
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男も。
女も。
老人も。
子供も。
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全て同じ顔。
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昼に死んだ男の顔。
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咲は息を呑む。
足が動かない。
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十数人分の身体に。
一つの顔。
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ありえない。
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そのはずなのに。
彼らは存在していた。
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そして。
一斉に口を開く。
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「まだ足りない」
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咲は悲鳴を上げた。
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次の瞬間。
行列は消えていた。
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まるで最初から存在しなかったかのように。
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残ったのは。
地面に続く泥の跡だけ。
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咲は震える手を押さえながら立ち尽くす。
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何なのだ。
あれは。
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村で何が起きている。
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その答えを知る者がいるとすれば。
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藤富家しかいない。
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翌朝。
咲は村の中心へ向かった。
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藤富家。
仏生堂集落で最も大きな屋敷。
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飢饉の時代であるにも関わらず。
そこだけは崩れていない。
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門の前に立つだけで異様だった。
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静かすぎる。
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鳥がいない。
虫がいない。
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まるで生き物が近づくことを拒んでいるようだった。
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咲が門へ近づいた時。
背後から声がした。
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「何をしに来た」
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振り返る。
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一人の男が立っていた。
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三十代前半。
細身。
長身。
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目だけが異様に冷たい。
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藤富宗景。
現当主だった。
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咲は思わず息を呑む。
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初めて間近で見る。
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だが妙だった。
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男の周囲だけ空気が重い。
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まるで見えない何かがまとわりついている。
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「聞きたいことがあります」
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宗景は表情を変えない。
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「何だ」
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「祠の石です」
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わずかに。
宗景の眉が動いた。
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「何を見た」
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その言葉に。
咲は気づく。
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否定しない。
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石の存在を知っている。
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「人が死んだ後……消えないんです」
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宗景は黙る。
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「夜に歩いていました」
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沈黙。
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「全員同じ顔でした」
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長い静寂。
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そして宗景は言った。
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「見えてしまったか」
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その一言で。
咲の背中を冷汗が流れた。
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否定しない。
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幻覚でもない。
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本当に存在する。
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宗景は門の向こうへ視線を向ける。
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「本来ならまだ早い」
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「何がです」
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「起動だ」
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その言葉に。
咲は昨日の違和感を思い出す。
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始動。
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山が鳴った。
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石が震えた。
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何かが動き始めた。
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宗景は低く呟く。
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「予定より早すぎる」
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咲は問い返す。
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「何が起きているんです」
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宗景は答えない。
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代わりに空を見上げた。
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厚い雲。
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冬の空。
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そして。
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地面が震えた。
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ごぉぉぉぉ……
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低い音。
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山の奥から響く。
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昨日と同じ。
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だが今度はもっと近い。
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もっと大きい。
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宗景の顔色が初めて変わった。
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「まずい」
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咲はその言葉を聞き逃さなかった。
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この男は。
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恐れている。
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藤富家の当主が。
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何かを恐れている。
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そして。
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山の奥から。
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誰かの笑い声が聞こえた。
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人間の声ではなかった。
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男でも女でもない。
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何百人もの笑い声が重なったような。
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不気味な響き。
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その方向を見た瞬間。
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咲は遠くの山肌に何かを見た。
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無数の人影。
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立っている。
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こちらを見ている。
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その数は。
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数百。
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いや。
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数千。
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そして全員が。
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同じ顔をしていた。
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(第三章 第二話・続く)




