第十話 崩壊の理(ことわり)
黒い霧が消えたあと。
山には静けさだけが残った。
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だがそれは、先ほどまでの静けさとは違っていた。
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何かが“抜け落ちた”静けさだった。
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徳蔵は第一の石を見上げる。
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黒い表面は元に戻っているように見える。
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だが違う。
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確かに内部が変質している。
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空円が低く言う。
「一度“触れられた”石は、もう元には戻りません」
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宗胤が顔をこわばらせる。
「では、今のは……」
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空円は答えない。
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しばらく沈黙したあと、ようやく言葉を選ぶように続けた。
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「“崩壊の開始条件”が満たされただけです」
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徳蔵は眉をひそめる。
「開始条件?」
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空円は石から目を離さずに言う。
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「守り石は単なる封印ではありません」
「段階的な構造です」
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風が吹く。
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山の木々がざわめく。
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空円は続ける。
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「八つの石は、それぞれ役割が違う」
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「そして」
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「それぞれが“限界値”を持っている」
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宗胤が問う。
「限界値とは何だ」
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空円は答えた。
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「魂を保持できる量です」
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沈黙。
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徳蔵は理解しようとする。
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空円は地面に円を描く。
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「守り石は器です」
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「器に霊を入れ続けると、やがて溢れる」
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「しかし石は壊れない」
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「代わりに内部で“層が剥がれる”」
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徳蔵の背筋が冷える。
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つまり。
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石は壊れていない。
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だが。
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内部構造だけが崩れている。
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空円はさらに続ける。
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「その剥がれた層が、先ほどの“霧”です」
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宗胤が呟く。
「ではあれは……怨霊ではないのか」
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空円は首を振る。
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「怨霊の“記憶の断片”です」
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徳蔵は息を呑む。
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記憶。
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それが形を持っている。
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そんなことがあるのか。
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空円は静かに言う。
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「亀の瀬の呪いは“死者”ではなく」
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「“残留した生”です」
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その言葉に、徳蔵は寒気を覚えた。
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残留した生。
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死んでも終わらないもの。
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それは怨霊よりも恐ろしい概念だった。
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その時。
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宗胤がふらつく。
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顔色が悪い。
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「宗胤殿!」
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徳蔵が支える。
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宗胤は小さく笑う。
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「すみません……」
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「思ったより……強いですね」
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空円が近づく。
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「影響を受けています」
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宗胤は苦しそうに息を吐く。
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「見えたんです」
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徳蔵が問う。
「何をだ」
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宗胤は震える声で言った。
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「さっきの霧の中に」
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「私の先祖がいました」
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沈黙。
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徳蔵は言葉を失う。
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宗胤は続ける。
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「笑っていました」
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「泣いていました」
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「そして……こちらを見ていました」
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空円が低く言う。
「石は記録でもあります」
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徳蔵は顔を上げる。
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空円は石を見つめたまま続ける。
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「この場所で死んだ者の“最後の状態”を保存している」
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宗胤の顔が青ざめる。
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「では……」
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空円は頷く。
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「第一の石は“記憶”を保持していた」
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「そして今」
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「その均衡が崩れ始めています」
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徳蔵は石を見る。
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黒い表面。
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しかしその奥に。
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何かが蠢いている。
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まるで。
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目を覚まそうとしているように。
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空円が言う。
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「これが崩壊の理です」
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徳蔵は聞き返す。
「理とは何だ」
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空円は答える。
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「順序です」
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「積み重ねの結果です」
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「そして」
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「一度始まれば止まりません」
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その言葉に。
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山の空気がさらに重くなる。
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遠くで、また死人の列が動き始めていた。
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今度は先ほどより速い。
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まるで何かに急かされているように。
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宗胤が呟く。
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「次が来る」
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徳蔵は問う。
「次とは何だ」
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空円は答えない。
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ただ静かに石を見ている。
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そして一言だけ言った。
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「第二の石です」
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その瞬間。
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山の奥から、低い音が響いた。
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ゴォォ……と。
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まるで大地そのものが息をしたような音。
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徳蔵は刀を握る。
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まだ何も起きていない。
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だが確実に。
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次の段階へ進んでいる。
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第二章 第十話
「崩壊の理」終
第二章・完結へ続く(最終話「藤富の選択」)




