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亀の瀬異聞録  作者: こうた
第二章 飢饉と帰る死人― 八つの守り石 ―

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第十話 崩壊の理(ことわり)

黒い霧が消えたあと。


山には静けさだけが残った。



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だがそれは、先ほどまでの静けさとは違っていた。



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何かが“抜け落ちた”静けさだった。



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徳蔵は第一の石を見上げる。



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黒い表面は元に戻っているように見える。



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だが違う。



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確かに内部が変質している。



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空円が低く言う。


「一度“触れられた”石は、もう元には戻りません」



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宗胤が顔をこわばらせる。


「では、今のは……」



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空円は答えない。



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しばらく沈黙したあと、ようやく言葉を選ぶように続けた。



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「“崩壊の開始条件”が満たされただけです」



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徳蔵は眉をひそめる。


「開始条件?」



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空円は石から目を離さずに言う。



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「守り石は単なる封印ではありません」


「段階的な構造です」



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風が吹く。



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山の木々がざわめく。



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空円は続ける。



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「八つの石は、それぞれ役割が違う」



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「そして」



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「それぞれが“限界値”を持っている」



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宗胤が問う。


「限界値とは何だ」



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空円は答えた。



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「魂を保持できる量です」



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沈黙。



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徳蔵は理解しようとする。



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空円は地面に円を描く。



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「守り石は器です」



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「器に霊を入れ続けると、やがて溢れる」



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「しかし石は壊れない」



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「代わりに内部で“層が剥がれる”」



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徳蔵の背筋が冷える。



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つまり。



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石は壊れていない。



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だが。



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内部構造だけが崩れている。



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空円はさらに続ける。



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「その剥がれた層が、先ほどの“霧”です」



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宗胤が呟く。


「ではあれは……怨霊ではないのか」



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空円は首を振る。



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「怨霊の“記憶の断片”です」



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徳蔵は息を呑む。



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記憶。



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それが形を持っている。



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そんなことがあるのか。



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空円は静かに言う。



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「亀の瀬の呪いは“死者”ではなく」



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「“残留した生”です」



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その言葉に、徳蔵は寒気を覚えた。



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残留した生。



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死んでも終わらないもの。



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それは怨霊よりも恐ろしい概念だった。



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その時。



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宗胤がふらつく。



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顔色が悪い。



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「宗胤殿!」



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徳蔵が支える。



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宗胤は小さく笑う。



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「すみません……」



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「思ったより……強いですね」



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空円が近づく。



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「影響を受けています」



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宗胤は苦しそうに息を吐く。



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「見えたんです」



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徳蔵が問う。


「何をだ」



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宗胤は震える声で言った。



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「さっきの霧の中に」



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「私の先祖がいました」



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沈黙。



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徳蔵は言葉を失う。



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宗胤は続ける。



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「笑っていました」



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「泣いていました」



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「そして……こちらを見ていました」



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空円が低く言う。


「石は記録でもあります」



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徳蔵は顔を上げる。



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空円は石を見つめたまま続ける。



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「この場所で死んだ者の“最後の状態”を保存している」



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宗胤の顔が青ざめる。



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「では……」



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空円は頷く。



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「第一の石は“記憶”を保持していた」



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「そして今」



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「その均衡が崩れ始めています」



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徳蔵は石を見る。



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黒い表面。



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しかしその奥に。



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何かが蠢いている。



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まるで。



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目を覚まそうとしているように。



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空円が言う。



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「これが崩壊の理です」



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徳蔵は聞き返す。


「理とは何だ」



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空円は答える。



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「順序です」



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「積み重ねの結果です」



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「そして」



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「一度始まれば止まりません」



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その言葉に。



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山の空気がさらに重くなる。



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遠くで、また死人の列が動き始めていた。



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今度は先ほどより速い。



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まるで何かに急かされているように。



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宗胤が呟く。



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「次が来る」



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徳蔵は問う。


「次とは何だ」



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空円は答えない。



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ただ静かに石を見ている。



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そして一言だけ言った。



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「第二の石です」



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その瞬間。



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山の奥から、低い音が響いた。



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ゴォォ……と。



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まるで大地そのものが息をしたような音。



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徳蔵は刀を握る。



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まだ何も起きていない。



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だが確実に。



---


次の段階へ進んでいる。



---


第二章 第十話


「崩壊のことわり」終


第二章・完結へ続く(最終話「藤富の選択」)

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