第三話 黒い通信
昭和十一年。
---
東京。
---
夜。
---
朝倉誠司は新聞社の屋上に立っていた。
---
風はない。
---
空は妙に重い。
---
星が見えない。
---
代わりに。
---
黒い“ノイズ”のような揺らぎが空にある。
---
朝倉は煙草に火をつける。
---
だが。
---
火がつかない。
---
「……またか。」
---
火種は紙のように崩れた。
---
その瞬間。
---
ポケットの中が震える。
---
真之介の手記。
---
朝倉はそれを取り出す。
---
ページが勝手にめくれる。
---
パラ……
---
パラ……
---
そこに文字が浮かぶ。
---
> 「聞くな」
---
朝倉は眉をひそめる。
---
「誰にだ。」
---
返事はない。
---
だが。
---
空が“応答”した。
---
---
ザー……
---
ザー……
---
ラジオのような雑音。
---
屋上の空間に。
---
音が流れ込む。
---
朝倉は周囲を見る。
---
何もない。
---
しかし音だけがある。
---
そして。
---
声。
---
複数の声。
---
同時に。
---
違う場所から。
---
違う時代から。
---
重なっている。
---
「……書け……」
---
「……忘れるな……」
---
「……名前が……」
---
「……消える……」
---
朝倉は息を止める。
---
「何だこれは……」
---
その時。
---
屋上の床に。
---
黒い文字が浮かぶ。
---
『通信開始』
---
朝倉は後退する。
---
すると。
---
空に“線”が走る。
---
見えないはずの空間が。
---
切り裂かれるように開く。
---
その裂け目から。
---
音ではない“言葉”が落ちてくる。
---
意味が形になる前の声。
---
「記録者」
---
朝倉の体が震える。
---
「またか……」
---
声は続く。
---
「あなたは観測されている」
---
朝倉は叫ぶ。
---
「誰にだ!」
---
沈黙。
---
そして。
---
空の裂け目の奥に。
---
“目”が見えた。
---
巨大な。
---
人間ではない。
---
しかし確かに“見ている”。
---
朝倉は一歩踏み出す。
---
「記録庫の主か……!」
---
だが声は否定する。
---
「違う」
---
「これは“通信”」
---
「第三記録庫の断片」
---
朝倉は理解できない。
---
その瞬間。
---
周囲の建物が歪む。
---
新聞社のビルが。
---
文字のように崩れる。
---
まるで。
---
“記事”が物理化しているように。
---
朝倉は屋上の端に追い詰められる。
---
裂け目が広がる。
---
そこから。
---
無数の声が流れ込む。
---
「……見た……」
---
「……まだ書かれていない……」
---
「……朝倉誠司……」
---
名前。
---
自分の名前。
---
朝倉は息をのむ。
---
「なぜ知っている……」
---
裂け目の奥。
---
“黒い都市”のような光景。
---
その中で。
---
誰かが書いている。
---
紙ではない。
---
空間そのものに。
---
文字を刻んでいる。
---
朝倉は直感する。
---
あれは。
---
第三記録庫。
---
そしてその中心で。
---
“何か”が記録を修正している。
---
その時だった。
---
ポケットの紙が熱を持つ。
---
真之介の手記。
---
そこに新しい一文。
---
> 「通信は危険だ」
---
朝倉は叫ぶ。
---
「今さら遅い!」
---
その瞬間。
---
空の“目”が開く。
---
完全に。
---
こちらを見た。
---
声。
---
静かで。
---
冷たい。
---
「記録者」
---
「あなたは“既に書かれている”」
---
朝倉の呼吸が止まる。
---
「……何?」
---
「あなたは」
---
「観測された時点で存在する」
---
朝倉の足元が消える。
---
床が“文章”に変わる。
---
カタカタ……
---
カタカタ……
---
文字が勝手に生成される。
---
『朝倉誠司はここにいる』
---
そして。
---
次の行が勝手に書かれる。
---
『朝倉誠司は消える』
---
朝倉は叫ぶ。
---
「やめろ!」
---
だが文字は止まらない。
---
その時。
---
裂け目の中から声。
---
少女の声。
---
「書かないで!」
---
朝倉は振り向く。
---
白い着物の少女。
---
再び現れる。
---
彼女は必死に叫ぶ。
---
「それ以上書いたら……!」
---
しかし遅い。
---
空間が決定する。
---
『削除実行』
---
世界が一瞬止まる。
---
朝倉の体が薄れる。
---
消えていく。
---
だがその時。
---
真之介の紙が光る。
---
強烈に。
---
裂け目に“楔”のように刺さる。
---
空間が揺れる。
---
消去が止まる。
---
朝倉は膝をつく。
---
「……助かったのか?」
---
少女は震えながら言う。
---
「まだ……」
---
「始まっただけ」
---
空の目が閉じる。
---
通信が切れる。
---
静寂。
---
そして。
---
何もなかったように夜が戻る。
---
朝倉は屋上に倒れる。
---
息を荒くしながら呟く。
---
「今のは……何だ」
---
少女は消えかけながら答える。
---
「第三記録庫の“呼びかけ”」
---
「あなたを認識した」
---
朝倉は空を見る。
---
もう黒い裂け目はない。
---
だが確かに。
---
世界は変わっていた。
---
ポケットの紙。
---
最後の一行。
---
> 「次は記録が人を選ぶ」
---
朝倉は握りしめる。
---
「選ばれる側か……」
---
遠くで。
---
黒い雪が一粒だけ落ちた気がした。
---
そして消えた。
---
第四話「藤富蒼士の記録」へ続く。




