表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
亀の瀬異聞録  作者: こうた
第二章 飢饉と帰る死人― 八つの守り石 ―

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/37

第一話 父の遺したもの

天保二年。


西暦で言えば一八三一年。



---


亀の瀬の山々は静かだった。


あまりにも静かだった。



---


静かすぎる山は不気味だ。


鳥の声がない。


獣の気配もない。


風さえ遠慮しているようだった。



---


その年の春。


村では飢えが始まっていた。



---


雨が少ない。


作物が育たない。


米価が上がる。


食べ物が消える。



---


人々の顔から笑顔が消えていく。



---


そして亀の瀬では。


もう一つの異変が起き始めていた。



---


死人が増えていた。



---


だが。


それは飢えによる死だけではなかった。



---


夜中に姿を消す者。


山で見つかる変死体。


理由もなく狂う者。



---


十年前。


西村庄吉が命を落としてからも。


怪異は終わっていなかった。



---


むしろ。


少しずつ広がっていた。



---


その日の朝。


一人の男が墓前に立っていた。



---


西村徳蔵。


二十六歳。



---


奈良藩の武士。



---


父ほど大柄ではない。


どちらかと言えば小柄だった。



---


慎重。


真面目。


心配性。



---


そして。


誰よりも家族を大切にする男だった。



---


徳蔵は墓石を見つめる。



---


「父上」



---


返事はない。



---


当然だった。


死者は語らない。



---


だが。


徳蔵は幼い頃から父の話を聞いて育った。



---


正義感が強かった。


無鉄砲だった。


困った人を放っておけなかった。



---


そして。


亀の瀬で死んだ。



---


正式には事故死。



---


そう処理されている。



---


だが徳蔵は信じていない。



---


何かがあった。



---


父は何かを見た。



---


何かと戦った。



---


その結果死んだ。



---


そう確信していた。



---


徳蔵は懐から古い包みを取り出した。



---


和紙で何重にも包まれている。



---


父の遺品だった。



---


十年前。


父の遺体と共に発見された物。



---


石碑の写し。



---


そして日記。



---


庄吉の最後の記録。



---


徳蔵は何度も読んでいた。



---


だが未だに理解できない。



---


怨霊。


封印。


供物帳。


神殿。



---


あまりにも荒唐無稽だった。



---


武士として。


常識ある人間として。



---


信じる方がおかしい。



---


だが。



---


父は嘘を書く人ではない。



---


徳蔵は墓石へ手を合わせた。



---


「父上」



---


「私は行きます」



---


「あなたが見たものを確かめに」



---


風が吹いた。



---


まるで返事のように。



---


その日の夕刻。


徳蔵は亀の瀬へ向かった。



---


村へ入った瞬間。


違和感を覚える。



---


人が少ない。



---


いや。


少なすぎる。



---


農村にしては異様だった。



---


畑にも人影がない。



---


道も閑散としている。



---


まるで村全体が息を潜めているようだった。



---


やがて。


一軒の家から老婆が出てくる。



---


痩せていた。



---


骨と皮だけ。



---


飢饉の影響だろう。



---


徳蔵は声をかけた。



---


「失礼」



---


「少し話を聞きたい」



---


老婆は顔を上げる。



---


その目には強い怯えがあった。



---


「侍様か」



---


「何かあったのか」



---


老婆は辺りを見回した。



---


誰かに聞かれないように。



---


そして小声で言う。



---


「夜は歩かん方がいい」



---


徳蔵は眉をひそめた。



---


「何故だ」



---


老婆は答えない。



---


いや。


答えられないようだった。



---


唇が震えている。



---


しばらく沈黙。



---


やがて。



---


「帰ってくるんじゃ」



---


徳蔵の表情が変わる。



---


「何が」



---


老婆の目に涙が浮かぶ。



---


「死んだ者達が」



---


沈黙。



---


徳蔵は言葉を失う。



---


「死んだ者?」



---


老婆は震えていた。



---


「息子じゃ」



---


「去年死んだ」



---


「確かに埋めた」



---


「わしが埋めた」



---


涙がこぼれる。



---


「なのに帰ってきた」



---


徳蔵の背筋が冷たくなる。



---


「帰ってきた?」



---


「そうじゃ」



---


「帰ってきた」



---


「笑っておった」



---


「生きている時と同じ顔で」



---


老婆はここで声を失った。



---


そして。



---


震える声で続ける。



---


「でも」



---


「違った」



---


徳蔵は息を呑む。



---


「何が違った」



---


老婆の顔が青ざめる。



---


「わしの名前を忘れておった」



---


風が吹く。



---


夕暮れの空が赤く染まる。



---


徳蔵は無意識に父の日記を握りしめた。



---


そこにはこう書かれていた。



---


> 奴は人の怨みを喰らう





---


十年前。


父が地下神殿で見た真実。



---


そして今。



---


死者が帰ってくる。



---


偶然とは思えなかった。



---


その時。



---


村の外れから鐘の音が鳴る。



---


カーン。



---


カーン。



---


カーン。



---


老婆の顔色が変わった。



---


「まずい」



---


「まずい」



---


徳蔵は振り返る。



---


何が起きたのか。



---


次の瞬間。



---


村の男が叫びながら走ってきた。



---


「墓だ!」



---


「また墓が空になった!」



---


「三人いなくなってる!」



---


村中が騒然となる。



---


徳蔵は走り出した。



---


父が追った怪異。



---


十年後。



---


今度は自分が追う。



---


そしてこの時。



---


徳蔵はまだ知らなかった。



---


墓から消えた三人の死人が。



---


その夜。



---


自らの足で村へ帰ってくることを。



---


第二章 第一話


「父の遺したもの」 終。


第二話「帰らない墓」へ続く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ