第三話 名前のない村
ギィ……
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古びた祠の扉が。
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ゆっくりと開く。
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誰も近づこうとしない。
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村人たちは一斉に頭を下げた。
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祠の中は暗い。
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昼だというのに。
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光が一切届いていなかった。
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蒼士は少女を見る。
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「この中に何がある。」
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少女は答えない。
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ただ。
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悲しそうな目で祠を見つめていた。
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老婆が静かに口を開く。
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「祭りが始まる。」
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「どうか。」
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「邪魔だけはせんでおくれ。」
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ドン……
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ドン……
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太鼓の音が鳴る。
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村人たちは木札を胸に抱き。
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一人ずつ祠へ歩いていく。
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そして。
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祠の前で。
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自分の木札を供える。
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誰も言葉を発しない。
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静かな祭り。
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泣く者も。
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笑う者もいない。
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蒼士は違和感を覚えた。
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「名前を返す祭り……。」
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「どういう意味だ。」
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少女が小さく呟く。
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「忘れないため。」
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「え?」
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「本当は。」
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「忘れないためのお祭りだった。」
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「でも。」
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「もう違う。」
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少女の声が震える。
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その時だった。
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一人の幼い男の子が。
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祠の前で立ち止まる。
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まだ七歳ほど。
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手には小さな木札。
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男の子は泣いていた。
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「いやだ……。」
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「いやだよ、お母さん。」
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母親は抱き締める。
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「大丈夫。」
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「少し眠るだけだから。」
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男の子は首を振る。
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「ぼく。」
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「ぼくの名前。」
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「なくなっちゃう。」
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蒼士の胸が締めつけられる。
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老婆が静かに頷く。
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「神様へ返しなさい。」
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男の子は震える手で。
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木札を祠へ置いた。
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その瞬間。
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バサッ……
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黒い雪が。
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祠の中から吹き上がる。
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男の子が頭を押さえた。
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「あれ……。」
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「お母さん。」
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「ぼく……。」
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「ぼくの名前……。」
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「なんだっけ……。」
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母親が涙を流す。
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しかし。
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笑っていた。
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「これでいい。」
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「これで神様が守ってくださる。」
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蒼士は飛び出した。
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「やめろ!」
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村人たちが一斉に振り返る。
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その目には。
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感情がなかった。
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蒼士は男の子の肩を掴む。
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「君!」
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「名前は!」
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男の子は首を傾げる。
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「なまえ……?」
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「それって。」
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「なんですか。」
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蒼士は息をのんだ。
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完全に消えている。
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名前という概念そのものが。
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祠の奥から。
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何かが笑った。
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クスクス……
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女の笑い声。
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蒼士は祠を見つめる。
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暗闇の奥。
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誰かが座っていた。
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白い装束。
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長い黒髪。
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顔だけが見えない。
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少女が震え始める。
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「見ちゃだめ!」
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「お願い!」
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「見ないで!」
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しかし。
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蒼士は目を離せなかった。
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白い装束の女が。
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ゆっくりと顔を上げる。
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その顔には。
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目も。
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鼻も。
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口も。
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何もなかった。
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ただ一つ。
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額に。
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黒い文字が刻まれていた。
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『名』
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次の瞬間。
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女の首が。
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ゴキッ。
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あり得ない方向へ曲がる。
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そして。
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声だけが響いた。
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「あなたの名前。」
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「ください。」
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祠全体が大きく揺れる。
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村人たちが一斉に蒼士へ向き直る。
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全員が同じ言葉を口にした。
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「名前をください。」
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「名前をください。」
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「名前をください。」
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蒼士は木札を強く握り締めた。
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祖母から託された護符が。
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突然、熱を帯び始める。
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眩い光が木札から溢れ出した。
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その光を見た白い少女は。
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涙を流しながら。
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初めて蒼士の名を呼ぶ。
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「蒼士……逃げて!」
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第四話「真之介の手記」へ続く。




