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亀の瀬異聞録  作者: こうた
第十一章 呪われた時代

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第二話 忘れられた祭り

翌朝。



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藤富家。



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蒼士はほとんど眠れなかった。



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あの少女。



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あの言葉。



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「思い出して。」



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何を。



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何を思い出せというのか。



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父の顔は。



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今も思い出せない。



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写真を見ても。



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心は何も反応しない。



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まるで。



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最初から父など存在しなかったように。



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祖母は静かに仏壇へ線香をあげていた。



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「今日は。」



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「山へ行くんじゃない。」



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蒼士は首を振る。



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「行かなきゃいけない。」



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祖母は振り返らない。



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「……そうか。」



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「なら。」



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仏壇の引き出しから一枚の木札を取り出した。



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古びた木札。



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黒い糸が結ばれている。



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裏には。



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『藤富』



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と刻まれていた。



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「これは。」



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「代々受け継がれてきた護符。」



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「危ないと思ったら。」



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「絶対に離すんじゃない。」



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蒼士は静かに受け取った。



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冷たい。



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木なのに。



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氷のようだった。



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昼。



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蒼士は昨日の老人を探して山へ向かった。



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だが。



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昨日いた場所には。



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誰もいない。



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足跡すら残っていなかった。



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近くで薪を割る老人に声をかける。



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「あの……。」



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「昨日、この辺で猟師の方に会ったんですが。」



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老人は手を止めた。



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「猟師?」



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「白い髭の。」



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「七十歳くらいで。」



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老人は不思議そうな顔をする。



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「この辺に猟師はおらんよ。」



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「三年前に。」



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「最後の一人が死んだからな。」



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蒼士の鼓動が速くなる。



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「そんな……。」



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「昨日。」



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「話を……。」



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老人は首を横に振った。



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「兄ちゃん。」



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「誰かに化かされたんじゃないか。」



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その言葉が耳に残る。



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蒼士は昨日立っていた場所を見る。



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風だけが吹いている。



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その時。



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カサッ。



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落ち葉の下から。



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一枚の古い写真が現れた。



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拾い上げる。



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写っていたのは。



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昨日の猟師だった。



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しかし。



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写真の裏に書かれた日付。



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明治四十三年。



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百年以上前。



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蒼士の手が震えた。



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「……嘘だろ。」



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突然。



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写真が黒く染まり始める。



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ジュワ……



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インクが滲むように。



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猟師の顔が消えていく。



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名前も。



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景色も。



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最後には。



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真っ黒な紙になった。



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その瞬間。



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遠くから。



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太鼓の音が聞こえた。



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ドン……



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ドン……



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ドン……



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山奥からだった。



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蒼士は音のする方へ歩き始める。



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獣道。



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誰も通らない細い道。



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木々を抜けると。



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小さな村があった。



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地図にはない。



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古びた家が十数軒。



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煙が上がっている。



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人が暮らしていた。



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村人たちは蒼士を見る。



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誰一人。



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笑わない。



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ただ。



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じっと見つめるだけ。



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やがて。



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一人の老婆が近づいた。



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「旅の人かい。」



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「はい。」



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「今日は祭りの日だ。」



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「祭り?」



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老婆は頷く。



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「忘れられた祭り。」



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「忘れられた……?」



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「名前を神様へ返す日だよ。」



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蒼士は息をのむ。



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村の中央。



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古びた祠。



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その前には。



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数え切れないほどの木札が積まれていた。



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一枚一枚に。



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人の名前。



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いや。



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よく見ると。



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文字が消えかけている。



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蒼士が一枚手に取ろうとした。



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その瞬間。



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誰かが手首を掴んだ。



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冷たい手。



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振り返る。



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昨日の白い着物の少女だった。



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少女は首を横に振る。



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そして。



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初めて。



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はっきりと声を出した。



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「読んじゃだめ。」



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「名前を読んだ人は。」



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「帰れなくなる。」



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少女の瞳から。



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黒い涙が流れ落ちた。



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その時。



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祠の奥から。



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ギィ……



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重い扉が。



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ゆっくりと開く音が響いた。



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第三話「名前のない村」へ続く。

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