第6話 討伐ルート
第6話です。
第5話では、澪たちは中央桟橋と灯台で虚無小体と戦い、港長の救出に向かいました。
ゲームであれば、そこは戦闘チュートリアルでした。
基本攻撃、スキル、必殺技、支援、連携、勝利条件。
けれど、この世界では、戦闘のひとつひとつに誰かの命と痛みがありました。
そしてついに、深海虚獣アビス・リヴァイアが姿を現し始めます。
港の人々は討伐を求めています。
システムもまた、即時被害を抑えるためには討伐ルートを推奨しています。
今回は、澪がその「もっとも分かりやすい解決策」と向き合う回です。
討伐ルート。
その四文字を見た瞬間、神代澪の喉が乾いた。
灯台上層の窓の外で、海が裂けている。
灰色の水面が大きく盛り上がり、その奥から巨大な影が浮上していた。
鯨のような胴。
竜のような鰭。
黒い結晶に覆われた背。
そして、濁った海そのものをまとったような虚無の霧。
深海虚獣アビス・リヴァイア。
澪が仕様書に書いた、海洋異変編の大型ボス。
ゲームであれば、ここから本格的なボス戦が始まる。
外殻を削る。
攻撃を回避する。
ブレイクゲージを溜める。
虚無核を露出させる。
一定時間内に必殺技を叩き込み、討伐する。
わかりやすい。
プレイヤーにとっても、港の人々にとっても。
目の前に怪物が現れた。
ならば倒す。
倒せば危機は去る。
あまりにも単純で、あまりにも強い答えだった。
港の下から、叫び声が湧き上がる。
「討伐しろ!」
「怪物を殺せ!」
「あいつが海を壊したんだ!」
「港を守れ!」
漁業国家の兵士も、工業都市の護衛兵も、避難民も、同じ方向を見ていた。
さっきまで互いに睨み合っていた者たちが、今だけは同じ敵を見つけている。
皮肉なことに、怪物の出現は、人間同士の争いを一時的に止めていた。
けれど澪は知っている。
それは、調和ではない。
共通の敵を見つけただけだ。
敵が消えれば、怒りはまた互いへ戻る。
「ミオさん」
アオイが盾を握り直す。
彼女の腕は、もう限界に近いはずだった。
魚倉で虚無小体を受け止め、排水門で主排水弁を押さえ、中央桟橋で仲間と兵士たちを守った。
何度も盾を構え、何度も爪を受け、何度も立ち上がった。
それでもアオイは、目の前の巨大な影から目を逸らさない。
「どうしますか」
澪は答えられなかった。
彼女の胸元に宿る調律核は、冷たい文字を浮かべ続けている。
《緊急選択肢を確認》
《推奨ルート:討伐》
《理由:港湾被害の即時抑制》
《警告:調律ルートは高難度》
《警告:失敗時、エターナル警戒値上昇》
推奨ルート、討伐。
システムは、そう告げている。
いや、違う。
このシステムの多くは、澪自身が設計したものだ。
危機が迫っている時、プレイヤーへ短期的な選択肢を提示する。
即時被害を抑えたいなら討伐。
根本解決を目指すなら調律。
ただし調律ルートは条件が厳しい。
海底循環装置の起動。
排水門の応急制御。
港長の生存。
二勢力の共同作業。
海の声を聞く者の同行。
そして、アビス・リヴァイアの虚無核を破壊せず、鎮めること。
ゲームでも難しいルートだった。
現実では、さらに難しい。
澪は港長へ視線を向けた。
灯台上層の床に座り込む老人は、足を負傷している。
フィリアの精霊によって痛みは和らいでいるが、立って歩ける状態ではなかった。
港長は窓の外を見つめたまま、かすれた声で言った。
「討つしか、あるまい」
澪は息を呑む。
「港長さんまで……?」
「私は、あの海を長く見てきた」
老人は目を閉じる。
「潮の色が変わった日も、魚が減り始めた日も、漁師たちが怒りを抑えきれなくなった日も、工業都市の技術者たちが夜通し浄化槽を直していた日も、全部知っている」
彼の声には、疲労と後悔が染み込んでいた。
「だが、私は止められなかった。会議を開いた。書面を作った。互いの代表を呼んだ。補償案も、排水制限案も、共同管理案も出した。だが、どれも遅すぎた」
「遅すぎたとしても」
澪は言いかける。
港長は静かに首を振った。
「あれが港を壊せば、残る話し合いの場すら消える。まずは止めなければならん」
それは正論だった。
どれだけ根本原因を見つめても、今この瞬間、アビス・リヴァイアが港を破壊すれば終わりだ。
人が死ぬ。
港が壊れる。
二勢力は互いを責める。
海洋異変はさらに悪化する。
止めなければならない。
問題は、止めることと殺すことが同じではないということだった。
フィリアが震える声で言う。
「あの子は、壊したくて暴れているんじゃありません」
港長はフィリアを見る。
「エルフの娘よ。お前には、海の声が聞こえるのか」
「はい」
「ならば、あの巨体の奥にいる苦しみも聞こえるのだろう」
「聞こえます」
フィリアは涙をこらえるように頷く。
「息ができない。暗い。重い。冷たい。流れたいのに、動けない。上へ行きたいのに、何かに縛られている。そんな声です」
「ならば、なおさらだ」
港長は苦しげに言った。
「苦しみを長引かせることが慈悲とは限らん」
その言葉に、フィリアが息を呑んだ。
澪もまた、胸を刺されたように感じた。
討伐は悪ではない。
これが厄介だった。
暴走した存在を止めること。
これ以上被害を出さないこと。
苦しみの形を終わらせること。
それらは、間違いなく必要な時がある。
討つことは、常に悪ではない。
だが、討つだけでは終われない。
そこが、この世界の難しさだった。
「ミオ」
ルシェリアが静かに言った。
「あなたの知る道では、討伐するとどうなりますか」
澪は口を閉じた。
言っていいのか迷った。
けれど、ここまで来て隠す意味はない。
「短期的には港の被害を抑えられる」
澪は答えた。
「アビス・リヴァイアの虚無核を破壊すれば、黒霧は一時的に晴れる。港の人たちは怪物が消えたと思って安心する。二勢力の衝突も、その場では収まる」
「その場では」
ルシェリアが言葉を拾う。
「うん。その場では」
澪は窓の外の海を見た。
「でも、海流停止は残る。深海の酸素不足も残る。排水門は応急調律しただけ。二勢力の不信も消えていない。怪物を倒した達成感だけが残って、原因への対応が遅れる」
アオイが低く言った。
「それで、また虚無が生まれる」
「そう」
澪は頷いた。
「しかも討伐した場合、アビス・リヴァイアの体に溜まっていた虚無が海中へ散る。ゲームでは“後発虚無値”って呼んでいた。しばらく後に、別の海域でより小さな虚無災害が複数発生する」
フィリアの顔が青ざめる。
「痛みを砕いて、ばらまくようなものですか」
その言い方は残酷だった。
だが、間違っていない。
澪は小さく頷いた。
「たぶん」
沈黙が落ちた。
その沈黙を破ったのは、セラフィナの通信だった。
「それでも、今止めなければ被害は拡大します」
冷静な声。
けれど、そこには強い意志があった。
「秩序とは、未来の理想だけで守れるものではありません。目の前の混乱を抑える力も必要です」
「セラフィナ……」
「私は討伐を望んでいるわけではありません。ですが、暴走を止める手段が他にないなら、切るべきです」
その言葉は、天使族らしかった。
秩序。
防衛。
浄化。
守るために切る。
その正しさもまた、この世界の一部だ。
ライカの声が続く。
「ミオ、私を前線に出せない? あれだけ大きいなら、ブレイク狙えると思う」
「ライカ……」
「倒すかどうかは別として、動きを止めないと港が潰れるよ」
明るい声ではない。
ライカも本気だった。
獣人族の直感は、危険を読んでいる。
ミルカも割り込む。
「戦うなら、今の前線メンバーはきつい。アオイは消耗してるし、フィリアの精霊も限界近い。ルシェリアも大魔法を何度も撃てる状態じゃない」
「わかってる」
澪は答えた。
「でも」
言葉が続かない。
この場で最適な討伐編成を考えるなら、こうだ。
アオイ。
ルシェリア。
ライカ。
アオイが前線を受ける。
ルシェリアが範囲魔法で黒霧と雑魚を払う。
ライカが高機動で外殻を削り、ブレイクを狙う。
フィリアを下げる。
精霊支援と海の声を聞く役を外す。
討伐だけなら、それでいい。
むしろ、その方が効率的だ。
澪の胸元に、文字が浮かぶ。
《推奨編成:アオイ/ルシェリア/ライカ》
《目的:アビス・リヴァイア外殻破壊》
《フィリアを後方支援へ移行》
《討伐成功率:上昇》
あまりにも合理的だった。
澪はフィリアを見る。
エルフの少女は、窓の外の海を見つめている。
震えている。
疲れている。
泣きそうになっている。
それでも、逃げようとはしていない。
「フィリア」
澪は声をかけた。
「後方に下がる?」
フィリアは少しだけ振り向いた。
「下がった方が、戦いやすいですか」
「討伐だけなら」
澪は正直に答えた。
「ライカの方がブレイク性能は高い。フィリアは消耗してるし、アビス・リヴァイアの攻撃に巻き込まれると危ない」
フィリアは唇を噛んだ。
「私は、足手まといですか」
「違う」
澪は即答した。
「絶対に違う。フィリアがいなければ、あれが何に苦しんでいるのかわからない」
「でも、討伐するなら」
「うん」
澪は苦しげに言った。
「討伐するなら、海の声を聞く必要は薄くなる」
自分で言って、ひどい言葉だと思った。
海の声を聞かずに戦う。
それは、もっとも早い。
もっとも強い。
もっともわかりやすい。
そして、もっとも危うい。
アオイが静かに口を開いた。
「ミオさん」
「なに?」
「海の声を聞く人を外したら、私たちは何と戦っているのかわからなくなりませんか」
澪は息を止めた。
アオイは続ける。
「私は戦います。止めなければならないなら、盾を構えます。でも、あれを敵だと決めつけて戦うのは、怖いです」
「怖い?」
「はい」
アオイは窓の外を見る。
「敵だと思えば、倒すことだけ考えられます。楽です。でも、それが本当に敵じゃなかった時、私は取り返しのつかないことをする気がします」
澪は胸元の表示を見た。
推奨編成。
討伐成功率上昇。
数字は正しい。
だが、正しさはひとつではない。
ルシェリアが穏やかに言った。
「ライカを前線に呼ぶことには意味があります。しかし、フィリアを外すことには危険があります。力を強める代わりに、理解を失う」
その言葉に、フィリアが小さく震えた。
「理解……」
「ええ」
ルシェリアは彼女を見る。
「あなたは弱いからここにいるのではありません。聞こえるから、ここにいるのです」
フィリアの瞳に、涙が浮かんだ。
その時、アビス・リヴァイアが再び咆哮した。
黒い波が港へ押し寄せる。
中央桟橋の兵士たちが叫ぶ。
「来るぞ!」
「防げ!」
「撃て! 撃て!」
港に据え付けられた旧式のバリスタが、次々に発射された。
太い矢が黒い海を裂き、アビス・リヴァイアの外殻へ突き刺さる。
黒い結晶が砕け、虚無の霧が噴き出した。
アビス・リヴァイアが苦しげに身をよじる。
フィリアが悲鳴を上げた。
「やめて!」
だが、港の人々には届かない。
彼らに聞こえるのは、怪物の咆哮だけだ。
泣き声ではない。
苦しみではない。
自分たちを殺そうとする災厄の声。
だから撃つ。
当然だった。
澪は歯を食いしばる。
「このままだと、討伐ルートに入る……」
いや、もう入っている。
システム表示が変わる。
《討伐ルート進行中》
《外殻損傷率:8%》
《港湾被害予測:低下》
《後発虚無値:上昇傾向》
港を守るほど、後の虚無が増える。
なんて嫌な設計をしたのだろう。
いや、そういう現実を描きたくて、澪はこの設計をした。
短期対処と根本解決は、いつも同じではない。
けれど今、その設計が自分を追い詰めていた。
「ミオ!」
ミルカの声が通信から飛んだ。
「海底循環装置、反応してる! でも変だよ。アビス・リヴァイアが動くたびに、深海側の送気管が逆流してる!」
「逆流?」
「そう! 酸素を送る管が、逆に黒い水を吸い上げてる! たぶん、あの巨体が循環装置に絡んでる!」
澪の脳裏に、海底施設の構造図が浮かぶ。
深海送気管。
冷水循環路。
旧浄化槽。
排水門。
灯台の観測装置。
それらが、ひとつのネットワークとしてつながっている。
アビス・リヴァイアは、単に海から現れた怪物ではない。
海底循環装置の詰まり。
深海の酸素不足。
排水の逆流。
海流停止。
それらすべてが絡まり、虚無と結晶化している。
「つまり、あれを倒すだけだと」
澪は呟く。
「絡まった装置ごと壊す可能性がある」
「そういうこと!」
ミルカが叫ぶ。
「外殻だけ削るならいい。でも虚無核を砕いたら、循環装置の制御まで飛ぶかも!」
討伐ルートの危険が、さらに増えた。
澪は窓の外を睨む。
港のバリスタがまた放たれる。
二本。
三本。
アビス・リヴァイアの外殻に突き刺さる。
黒い結晶が砕けるたびに、港の人々は歓声を上げた。
「効いてるぞ!」
「このまま殺せ!」
「港を守れ!」
澪には、それを責められなかった。
彼らは生き延びたいだけだ。
目の前の脅威を止めたいだけだ。
その願いは正しい。
だが、正しい願いが集まっても、世界が正しくなるとは限らない。
「ミオさん」
アオイが静かに言った。
「私は、どうすればいいですか」
澪は、アオイを見る。
この場で戦わせるなら、アオイはまた盾になる。
誰かのために前へ出て、攻撃を受け止める。
けれど今の彼女は消耗している。
個人必殺技《蒼盾環》もまだ戻っていない。
無理に前へ出せば、危ない。
「少し待って」
澪は答えた。
「今は、まだ」
その時、灯台が大きく揺れた。
アビス・リヴァイアの尾が海面を叩き、黒い波が港へ押し寄せたのだ。
灯台の根元に波がぶつかり、石造りの塔全体がきしむ。
港長が倒れかける。
フィリアが慌てて支えた。
「この塔、長くは持たん」
港長が言う。
「下へ降りるぞ。私を中央桟橋へ連れていけ。あそこなら、両軍へ声が届く」
「足は?」
「歩けん。だが、ここにいても死ぬだけだ」
澪は即座に判断した。
「アオイ、港長を背負える?」
「できます」
「待って」
フィリアが港長の足に手をかざす。
「痛みだけ、もう少し抑えます」
精霊の光が薄い。
明らかに限界だった。
澪は止めようとしたが、フィリアの表情を見て口を閉じた。
彼女は、やると決めている。
ルシェリアが階段の方へ向かう。
「階段の虚無は、まだ完全には消えていません。私が先導します」
「セラフィナ」
澪は通信を開く。
「光剣、もう使える?」
「短時間なら」
「灯台の外に出る時だけ、防壁を張って。攻撃じゃなくて波よけ」
「了解しました」
「ライカ、中央桟橋までの退路は?」
「さっきの橋は持ってる! でも黒い波が来たら危ない! 走って!」
「ミルカ、灯台の構造は?」
「下層の海側壁が弱い! 長く揺れたら崩れる! 早く!」
全員の声が重なる。
澪は港長の腕をアオイの肩へ回した。
「行きます!」
アオイが港長を背負う。
その瞬間、澪の調律核に表示が出る。
《護衛対象:港長》
《目的:中央桟橋へ移送》
《討伐ルート補助条件:港長生存》
《調律ルート補助条件:港長生存》
港長の生存は、どちらのルートでも重要。
討伐後の秩序回復にも、調律ルートの共同管理にも。
つまり、ここで失えば、どちらの道も悪化する。
「全員、降りる!」
澪たちは螺旋階段を駆け下りた。
階段には、まだ黒い虚無の残骸が残っている。
ルシェリアが小型の風魔法で霧を払い、フィリアの精霊が足元を照らす。
アオイは港長を背負いながら、慎重に下る。
澪は後ろからついていくのが精一杯だった。
途中、足が滑る。
落ちそうになる。
「ミオ!」
ルシェリアが澪の手を掴んだ。
細い手だった。
けれど、驚くほど力強かった。
「ありがとう」
「礼は、外へ出てから」
ルシェリアは澪を引き上げる。
その瞬間、背後の壁がひび割れた。
黒い水が染み出してくる。
灯台そのものが、虚無に侵食され始めていた。
「急いで!」
澪が叫ぶ。
一行が灯台の外へ出ると、黒い波が再び押し寄せていた。
セラフィナの光剣が空から降り、扇状の防壁を作る。
波が防壁にぶつかり、白い光が激しく揺れる。
「セラフィナ!」
「持たせます!」
通信越しの声に、強い負荷が滲んでいた。
セラフィナ本人は中継殿にいる。
攻撃系召喚ではなく防衛用途に切り替えているとはいえ、遠隔維持は限界に近い。
光の防壁の向こうで、アビス・リヴァイアが身をよじる。
港のバリスタがまた発射された。
今度は外殻ではなく、鰭の付け根に命中する。
アビス・リヴァイアが、声を上げた。
咆哮。
だがフィリアには、それが悲鳴に聞こえた。
「やめて……もう、やめて……!」
フィリアが耳を塞ぐ。
澪は彼女の肩を支えた。
「フィリア、聞こえることを言葉にして。何が起きてる?」
「痛い。苦しい。でも、それだけじゃない」
フィリアは涙を流しながら、沖合の巨体を見る。
「あの子の奥に、黒い種があります」
「黒い種?」
「海の痛みじゃありません。もっと冷たいもの。海の声を真似して、あの子を動かしている何か」
澪の血の気が引いた。
黒い種。
アナザー・ルート・シード。
「場所は?」
「胸の奥……いえ、喉? 違います。深海へつながっている管の中に、根を張っています」
ミルカの声が震えた。
「それ、海底循環装置の主管だよ。もしそこに黒い種があるなら、虚無核を砕いても残る。むしろ、壊れた管から拡散する」
討伐ルートの危険が確定した。
アビス・リヴァイアの虚無核を砕けば、港は一時的に救われる。
しかし黒い種は海底循環装置に残り、あるいは砕けた虚無とともに拡散する。
それは、澪の仕様書にはない展開だった。
ゲームの討伐ルートには、後発虚無はあった。
だが、黒い種などなかった。
つまり、今この世界で討伐を選べば、澪の知っている悪化よりもさらにひどい結果になるかもしれない。
「ミオさん!」
アオイが叫ぶ。
中央桟橋が近づいていた。
そこには、双方の兵士たちが集まっている。
港長を見つけた瞬間、叫び声が上がった。
「港長だ!」
「無事だったのか!」
「責任を取らせろ!」
「守れ!」
また空気が危うくなる。
港長はアオイの背から降ろされ、痛みで顔を歪めながらも、欄干に手をついて立った。
「静まれ!」
老人の声は大きくはなかった。
だが、不思議な重みがあった。
「今、互いを裁いている場合ではない!」
兵士たちが一瞬だけ静まる。
港長は続けた。
「海は、我々全員で追い詰めた。工業都市だけの罪ではない。漁業国家だけの怒りでもない。私もまた、止めきれなかった一人だ」
「なら、あの怪物をどうする!」
誰かが叫ぶ。
「討て!」
「今すぐ殺せ!」
港長は唇を噛んだ。
彼もまた、討伐しかないと思っていた。
だが、フィリアの言葉と澪の説明を聞いた後では、簡単には言えなくなっていた。
港の人々の視線が、澪へ向く。
主調律者。
そう名乗った者。
判断を求められている。
澪の胸元に、再び表示が出る。
《討伐ルート:実行可能》
《必要条件:虚無核露出後、集中攻撃》
《推奨編成:アオイ/ルシェリア/ライカ》
《フィリア後方移行》
《即時被害抑制率:高》
《後発虚無値:不明》
《Another Route Seed影響:解析不能》
解析不能。
その文字が、澪の心を冷やした。
港の人々は討伐を求めている。
システムも討伐を提示している。
アオイたちは戦える。
ライカを呼べば、ブレイクも狙える。
今ここで討伐を選ぶことは、決して無責任ではない。
むしろ、短期的には責任ある判断に見える。
それでも、澪の中で何かが拒んでいた。
「ミオさん」
フィリアが涙声で言う。
「私、あの子を助けたいです。でも、港の人たちを危険にしたいわけじゃありません。どうすればいいのかわかりません」
アオイも静かに言った。
「止めます。でも、殺すかどうかは、ミオさんが決めてください」
ルシェリアは澪を見つめる。
「あなたは、この世界を知っていると言いました。けれど、今は知らないものも見えている。ならば、知識ではなく、何を信じるかで選ぶ時かもしれません」
セラフィナの声が通信から届く。
「秩序のためには、暴走を止める必要があります。ですが、もし討伐がさらなる混乱を招くなら、それは秩序ではありません」
ミルカが言う。
「構造的には、あれを砕くのは危ない。黒い種が装置側に残るなら、後始末ができない」
ライカが続ける。
「でも動きは止めなきゃ。止めないと港が壊れる。私、前に出られるよ」
六人の声が重なる。
どれも正しい。
どれも必要だった。
澪は、胸元の調律核を握った。
ゲーム会社のフロアで、何度も言った言葉が脳裏に浮かぶ。
エターナルは倒すゲームじゃない。
エターナルを必要としない世界を作るゲームなんです。
なら、ここで選ぶべきは何か。
怪物を倒して、わかりやすい勝利を得ることか。
それとも、もっと難しくて、失敗するかもしれなくて、誰にもすぐには理解されない道か。
澪は港の人々を見た。
怯えている。
怒っている。
疲れている。
誰かに責任を取らせたがっている。
何かを倒せば救われると信じたがっている。
その気持ちもわかる。
澪自身も、会社でそうだった。
バグをひとつ潰せば終わると思いたかった。
上司の無茶振りさえなければと思いたかった。
誰か一人が悪いのだと決めつけたかった。
でも、現実はそうではなかった。
ひとつのバグの裏には、仕様変更があり、納期があり、予算があり、現場の無理があり、誰かの妥協がある。
倒すだけでは、直らない。
澪は顔を上げた。
「討伐は、しません」
港がざわめいた。
「何を言っている!」
「怪物を放置する気か!」
「港が壊れるぞ!」
澪は声を張った。
「放置もしません! 止めます。でも、虚無核は砕かない!」
漁業国家の兵士が怒鳴る。
「そんな器用なことができるのか!」
「やります!」
澪は叫び返した。
自信があるわけではない。
だが、ここで曖昧に言えば誰もついてこない。
「アビス・リヴァイアは、海の苦しみが形になった存在です。今あれを殺せば、苦しみは消えるのではなく、海へ散ります。しかも、海底循環装置の中に黒い種が入り込んでいる。討伐だけでは、もっと悪いものが残る可能性があります!」
「ならどうする!」
「動きを止める。外殻を削るのではなく、絡まった循環装置を切り離す。排水門と海底送気管を再接続して、あの子が息をできる状態を作る」
自分で言いながら、澪はそれがどれだけ無茶か理解していた。
戦闘中に海底循環装置を調整し、アビス・リヴァイアを暴走させず、虚無核を壊さず、黒い種を切り離す。
ゲームでも高難度ルートだった。
しかも今回は、仕様書にない要素が混じっている。
だが、やるしかない。
「ライカ」
澪は通信へ向かって言った。
「一時前線介入、できる?」
「待ってました!」
ライカの声が弾む。
「ただし、討伐じゃない。ブレイクで動きを止めるだけ。核は狙わない」
「わかった! 足と鰭を崩す!」
「セラフィナ」
「はい」
「光剣を攻撃に回す。ただし、刺す場所は私が指定する。黒い結晶じゃなく、外側の拘束結晶だけ」
「承知しました」
「ミルカ」
「構造解析ならもうやってる! 黒い種と主管の接続点、三か所ある。全部切らないとたぶん残る!」
「フィリア」
澪は少女を見る。
「海の声、最後まで聞いて。苦しいと思う。でも、どこを切れば楽になるか教えて」
フィリアは涙を拭った。
「はい」
「ルシェリア」
「制御魔法ですね」
「うん。大火力じゃなく、流れを作る魔法。黒霧を散らさず、集めて逃がす」
「承知しました」
「アオイ」
澪は、最後に彼女を見た。
「一番危ない役をお願いすることになる」
アオイは静かに頷いた。
「受け止めます」
「倒すためじゃなくて、止めるために」
「はい」
アオイは盾を構えた。
「止めます。あの子が、これ以上壊さなくて済むように」
澪の胸元で、調律核が強く光った。
表示が乱れる。
《討伐ルート:中断》
《警告:推奨ルート外行動》
《調律ルート条件照合中》
《条件不足》
《条件不足》
《条件不足》
《未知条件を検出》
《Another Route Seed:反応》
澪は目を見開いた。
未知条件。
アナザー・ルート・シードが、調律ルートに反応している。
それが良いことなのか悪いことなのか、わからない。
だが、もう戻れない。
沖合で、アビス・リヴァイアが巨大な口を開いた。
黒い波が渦を巻き、港へ向かってくる。
港の人々が悲鳴を上げる。
澪は震える足で前に出た。
戦闘適性最低。
直接戦闘権限制限。
観測、編成、共鳴補助のみ。
それでも、彼女は叫んだ。
「作戦変更!」
六人の調律核が、それぞれの場所で光る。
アオイの青。
ルシェリアの赤紫。
フィリアの翠。
セラフィナの白銀。
ミルカの金。
ライカの琥珀。
「討伐じゃない!」
澪は海へ向かって声を張った。
「ここからは、調律ルートに入る!」
その瞬間、空の雲の奥で、白い輪のようなものが一瞬だけ揺らいだ。
エターナル。
まだ現れてはいない。
けれど、世界のどこかで、この選択を見ている。
澪はそれを感じながら、拳を握った。
現れた時点で失敗なら、現れない未来へ行くしかない。
たとえ、それが仕様書にない道でも。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
第6話では、ついに「討伐ルート」と向き合う回になりました。
港の人々にとって、アビス・リヴァイアは怪物です。
港を壊し、人を傷つけ、海から現れた災厄です。
だから、討伐を求める声は自然なものです。
システムもまた、即時被害を抑えるためには討伐ルートを推奨しました。
しかし、澪は知っています。
討伐すれば短期的には港を救えるかもしれない。
けれど、海流停止、酸素不足、排水問題、二勢力の不信、海底循環装置の異常は残ります。
さらに今回は、澪の仕様書には存在しない《Another Route Seed》が、アビス・リヴァイアと海底循環装置の奥に根を張っていることが示されました。
つまり、討伐は解決ではなく、痛みを砕いて海へ散らす危険があります。
今回、澪は討伐ルートを中断し、調律ルートへ踏み込む決断をしました。
ただし、それは安全な道ではありません。
むしろ、システム上は高難度で、条件不足のまま進もうとしている危険な道です。
次回は、第7話「仕様書にない涙」。
澪が知っていたゲームの仕様から、物語が大きく外れ始めます。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:G(ChatGPT)




