(9)浪人時代
高校を卒業し、私と山屋は浪人生活を送ることになった。
私も山屋も予備校へは通わず、自宅浪人を選択した。
私は、時間の縛りのある予備校へわざわざ通って、定型化された授業を受けるよりも、勉強する科目と項目を自分で決めて、自分で選んだ参考書と問題集を使って勉強する方が効率的と判断した。
山屋は、予備校は授業料がかかり、親に負担をかけたくないとのことで、私と同じように自宅浪人することに決めた。
浪人中、私と山屋が会う頻度は三、四ヶ月に一度、近況報告程度に短時間話すぐらいだった。親には一浪までは許容範囲だとしても、二浪は認めてもらえないと思っていたので、もう後がないという焦りもあり、私はなるべく勉強に注力するようにしていた。
自宅浪人していると、自分の学力を客観的に推し量る術がないので、私は予備校主催の全国模試をほぼ毎月受けることにした。
勉強がはかどらず、模試を受けるのが嫌なときもあったが、模試を受けることが現実と向き合うことだと自分に言い聞かせて、受験を励行した。
たまに山屋と会って話すと、山屋は模試を受けていないようであった。
「山屋も予備校の模試は受けた方がいいぞ。自分の実力を客観的に知るために必要だから」
「オレもそう思うんだけど、まだ勉強が十分進んでいないし、模試を受ける準備ができていないから、もう少し準備が整ってから受けるよ」
「でも、模試なんだから、出来の良し悪しは重要じゃないんじゃない? それよりも、試験の雰囲気に慣れることと、結果が悪かったときに自分の弱点を知ることが大事で、悪ければ悪いなりにはちまきを締め直すきっかけにもなると思うよ」
「確かにそうなんだけどね……」
山屋は、模試を受けて悪い成績と向き合うのが嫌で、模試を避けている。私はそう感じていた。
でも、それでは本番の入試の厳しさに打ち勝つことは難しいのではないかと思い、会うたびに模試受験をすすめたが、結局山屋は一度も受けなかったようである。
気になったのは、あるとき山屋がふと漏らした一言である。
「ウチは、何でこんなに貧乏なんだろう?」
我が家もそうであるが、山屋の家も裕福ではないことは私も認識していた。
だが、山屋の口から「貧乏」という言葉を聞いたのはこのときが初めてだった。
山屋は、家に経済的な余裕がなく、大学への進学、まして私立大学への進学が大きな家計の負担になることを気にしていたのかもしれない。あるいは、山屋は親から大学進学は無理だと引導を渡されていた可能性もある。
そのことが、山屋が受験勉強のモチベーションを高められずにいた一つの原因ではないか、という見方はうがち過ぎであろうか。
年が明け、出願の時期になった。
私は山屋と会い、どの大学を受験するかについて会話した。
「山屋はどこ受けるの?」
「……うん」
山屋ははっきりと話したがらない様子であった。
「まだ決めてないの?」
「いや、そんなことはないけど」
「じゃあ、もう決めてるんだ?」
「まあ、そうだね」
「それなら、どこ受けるか教えてよ」
「うん……」
山屋は受験する大学をなかなか私に教えてくれなかった。
「別に隠すことじゃないでしょ?」
「まあ、そうだね」
「どこ受けるの?」
「……オレ、早稲田の政経と明治の政経を受けるつもり」
正直な話、それは山屋にとってかなりハードルが高いのではないかと思った。
「……そうか。難関だね。ほかには?」
「うん……」
山屋はまた答えを渋った。
「ほかは、どこ受けるの?」
「……オレ、ほかは受けない」
「えっ?」
私は驚きを隠せなかった。
山屋の学力から推測して、彼が希望する二校はいずれも合格は難しいと思ったからである。この二校は記念受験のようなものであって、ほかに山屋の学力相応の大学を受験するものとばかり思っていた。
「でも、オレたちは浪人なんだから、今回駄目ならもう後はないぞ。早稲田も明治も、正直けっこう難しいと思うから、確実に受かる大学も受けないとまずいぞ」
「……」
「本当に、確実なところを押さえておかないと」
「……そうだね。考えてみる」
山屋がそう返事したので、さすがに合格確実な大学も受験するだろうと思っていた。
後日、山屋に会って訊いたところ、結局、早稲田の政経と明治の政経しか受験しなかった、と彼は言った。
結果は、両方とも不合格だった。
山屋はなぜその挙に出たのか、今でも正確なことは私には分からないが、可能性として考えられることはいくつかある。
まずは山屋自身、受験した二校のうち、少なくともどちらかには合格できると思っていた可能性。
その場合、山屋が自分の学力の目測を誤ったとも言えるが、私からみて、この二校はいずれも山屋にはハードルが高過ぎると危惧された。
だから、目測を誤ったのではなく、希望的観測が現実感覚を凌駕してしまった、とでも捉えるのが妥当であろうか。
もう一つは、親からこの二校以外の大学なら学費は出せないと言われていた可能性。
以前、山屋は、家が貧乏だと言っていた。だから、相応の大学でなければ家計を圧迫する甲斐がない、とでも親から条件を出されていたとしたら、山屋は嫌でもハードルを高く据えるしかなかったであろう。
山屋とはこのあたりの事情についてはのちのちもお互い触れることはなかったが、もし家庭の事情があったのだとしたら、私は山屋への同情の念を禁じ得ない。
このとき、私はまたまずいことをしてしまった。
私は私立大学を何校か受験し、無事に希望する大学の理学部に合格した。
私はうれしさのあまり、さっそく山屋へ電話した。
「受かったぞ!」
「……そう、よかったね」
「試験の出来が微妙だったから、すごく不安だったけど、受かってよかった!」
「……おめでとう」
「……山屋はどう?」
「うん、まだ試験はこれから」
「そうか、がんばってな」
「……うん」
山屋の反応は素っ気なかった。
当然と言えば当然であり、私は山屋の立場も配慮せずに、無神経にも自分の喜びを山屋へ放出してしまった。
高校受験のときと同様、私は薄情であった。あのときから四年の月日が経過しているのに、成長していなかった。
もしかしたら、今の私も、こういう面で成長がみられていないのかもしれない。




