(5)中学生時代
私や兄とつるんで、やや鈍臭くてとばっちりを受けがちな役回りを演じた山屋の小学生時代であったが、一方で山屋は六年生まで野球部を続け、ずっとレギュラーとして最後までやり抜いた。
これは山屋には継続力があり、かつチーム活動を卒なくこなせる資質を備えていることの証左であり、私はそんな山屋を素直に尊敬した。
私と山屋は中学生になった。
中一、中二のときはお互い別のクラス、中三で同じクラスになったが、山屋との交友は中一のときから変わらなかった。
私たちが通う中学校には野球部がなかった。野球部のない市内の中学校は私たちの中学校だけだった。
「本当は野球部に入りたかったけど、うちの中学に野球部がないから、しょうがない」
山屋はそう言った。
「ほかの部活には入らないの?」
「……特にやりたいと思うものがないから」
私たちが通う中学校に野球部がなかったのは、山屋にとって不運だったように思う。
うがち過ぎかもしれないが、もし野球部があれば、山屋は入部してレギュラーになっていただろうし、それが山屋の自信のベースとなって彼のその後の人間形成に奏功したであろうと思うからである。
私はもとより、時間を拘束される部活には不向きな体質なので、部活には入らなかった。山屋も結局部活に入らず、二人とも帰宅部になった。
小学生時代よりも体が成長し、時間もできた私と山屋は、近隣のあちこちへ少し遠い散策をするようになった。一橋大学のキャンパス、小金井公園、昭和記念公園、武蔵国分寺跡、大國魂神社、多摩川河川敷等が散策の主な目的地であった。
散策をしながら、二人でいろいろな話をした。同級生の人物評、教師の評判、プロ野球や高校野球のこと、芸能人の話題、時事問題、高校受験のこと、などなど。
小学生時代は、一緒に遊ぶとはスポーツや趣味を共に楽しむことを指したが、中学生になって、何かについて議論したり、語り合うことが多くなり、二人の交友の質が変化したと言えた。
私も山屋も、女子についてはおくてであった。
「山屋、学校に好きな女子いる?」
「……特にいない」
「芸能人では誰が好き?」
「河合奈保子かな」
「へぇー。山屋は巨乳好きか?」
「……まあ、嫌いじゃないかも。純ちゃんは芸能人では誰が好き?」
「オレは、松田聖子かな」
「けっこう普通だね」
およそ冴えない会話だったが、それは後年になっても同様であった。
卓球もよくやった。兄と、兄の同級生の成田君、それに私と山屋の四人で市の体育館や文化センターへ行き、ひとしきりボールを打ち合って汗を流した。私と山屋が成田君と知り合いになったのはこの頃であった。
ただ、山屋を遊びに誘うのはいつも私からだった。それは小学生時代からずっとそうであり、山屋の方から誘ってくることはほとんどなかった。
私に誘われて山屋が嫌々付き合っている雰囲気でもなかったので、私と山屋の関係は、私から誘って山屋が受けるということで定型化しており、それはそれで良かったのかもしれないが、それでも私は、ぼんやりとした物足りなさを感じることはときどきあった。
中二になったある日、山屋が私に言った。
「オレ、学級委員になっちゃった」
「えっ、そうなの?」
正直な話、私は、かなり意外な感じがした。山屋は社交性がないわけではなかったが、自分から積極的に人へ働きかけたり、リーダーシップを発揮するタイプではなかったので、彼が学級委員に向いているとは思っていなかったからだ。
「自分から立候補したの?」
「いや、まさか。推薦されてなったんだ。山屋君は頭が良いし、真面目だから、って言われて」
真面目だから、という点は私も同感だが、頭が良いし、という点は、失礼ながら同意できかねた。山屋の学校での成績は、小学生時代からずっとほぼ真ん中あたりであり、社会科がやや得意ということ以外は目立って成績が良くも悪くもない、というのが私の認識だった。
「そうか、大変だな」
このときの私の態度は、学級委員は山屋には似合わない、という思いが前面に出ていて、山屋はそれを敏感に感じ取っていたかもしれない。私は山屋に失礼なことをしてしまった、とあとで反省した。
中二のときの山屋の通知表を見せてもらったことがある。山屋の成績は全体の中くらいだったが、担任からのコメント欄に、「おとなしいが、安易に妥協しない」と書かれてあった。
なるほど、山屋の本質を正確に見抜いている、と思った。山屋は、自分が尊敬したり、納得したことに対しては手放しで傾倒するような面があるが、その一方、自分の肚に落ちないことは頑として受け付けない面もあった。
「そうだよな、山屋は安易に妥協しないよな」
私はこの点を山屋の美徳として、言葉に出して褒めた。山屋は、まんざらでもなさそうに笑っていた。




