(2)野球、卓球、プラモデル
私が通っていた小学校では、三年生になると野球部かサッカー部に入部することができた。山屋は三年生になると、さっそく野球部へ入部した。
「純ちゃんは入らないの?」
山屋は当時、私のことを純ちゃんと呼んでいた。一方、私は彼を山屋と苗字で呼んでいた。
「うーん。どうしよう」
山屋は、野球好きの私が野球部に入らないことを不思議に思っているようであった。私自身、野球部へ入るつもりでいたのだが、入部すると平日の放課後に週四日練習があり、日曜日も練習や試合が組まれて、時間を拘束されることになる。「拘束」などと、取り立てて大げさに考えるのもどうかと思うが、私の性分として、なるべく時間の縛りがなく、自由に過ごせる時間を確保したいという潜在意識が働き、それが入部をためらわせていた。
野球の楽しさも、草野球のように時間もルールも自由な枠組みでプレイする気軽さがあってこそであり、きちんとしたルールを適用し、決められた時間に行う野球では楽しめない、という予感があった。
結局、私は野球部に入らなかった。
「純ちゃん、入らないんだ? 一緒にやれると思ってたのに」
山屋がそう言ってくれたのは心苦しかった。
山屋が入った野球部は軟式であり、練習は全学年合同で行われたが、対外試合は各学年ごとにチームが編成された。山屋はほどなく、三年生チームの五番打者としてレギュラーに定着した。高身長で、手のひらが大きい山屋は野球に向いていた。ボールを投げても球が速いので、控え投手にも選ばれた。
(やっぱりオレも入ればよかった)
山屋の野球部での活躍ぶりを見て、そう思うこともしばしばだった。この頃の山屋は、みずから野球部に入り、チームに溶け込んでいたことからみても、ごく普通に周囲とコミュニケーションがとれる児童であった。むしろ私の方が、野球部に入ると時間を拘束されるから嫌だなどと、およそ子供らしくないこまっしゃくれた考えをもっていて、先々どう成長するのかと周囲の大人たちから危ぶまれていたかもしれない。
野球部の練習がない日は、以前と同じように山屋は私と遊ぶことが多かった。ヤスや兄を交えての草野球もそうだが、卓球もやるようになった。市の体育館や文化センターへ行き、卓球台を挟んで小さいボールを打ち合うのは楽しかった。ひとしきり打ち合うと、ズボンがずり落ち、ベルトを締め直さなければならないほど腹回りが小さくなるのがいつも不思議だった。
兄の貞重が、プラモデル製作を趣味として始めた。主に第二次世界大戦時の戦車や車両、大砲等のミニチュアモデルであり、ドイツ軍やアメリカ軍、ソ連軍等の軍事装備がシリーズとして取り揃えられていた。
プラモデルには塗装が必要であり、本体とは別に塗料の購入も必要だった。玄人になると、個々の装備を組み合わせ、さらには情景までも手掛けてジオラマ製作へと手を広げる。さすがに子供にはそこまでは無理だが、プラモデルのカタログを眺めているうちに、臨場感あふれた模型に私も興味を引かれた。
「オレもプラモデルを作りたい」
私は兄にそう言った。
「いいけど。それなら、純直はアメリカ軍を集めろ。俺はドイツ軍を集めるから」
兄はそう言い、系統分けを私に指示した。私は特に異存がなかったので、アメリカ軍のプラモデルを集めることにした。
と言っても、少ない小遣いでは高いキットは買うことができない。私が初めて買ったプラモデルは、一番安価なアメリカ軍の軍用ジープだったが、塗料を買い揃える金が足りず、最も多く使うダークグリーンやカーキ色のほかは資金切れで塗料を入手できなかった。一部の塗料は兄に借りて塗ったりしたものの、子供のスキルゆえ、できばえは今一つであった。
それでも、プラモデル作りの楽しさに目覚めた私は、小遣いを貯めてはめぼしいキットを購入し、塗料も可能な範囲で入手したりして、新しい趣味を楽しんでいた。
その頃、二Kの我が家は手狭になり、大家の許可を得て六畳のプレハブを建て増していた。兄と私は、プレハブを子供部屋として共用していた。
プレハブができたおかげで、私たち兄弟は友達を家へ呼ぶことができるようになった。山屋やヤスがプレハブへ遊びに来るようになったのは言うまでもない。
ある日、プレハブの部屋に置いてあった軍隊のプラモデルを見て、遊びに来ていた山屋が興味を示した。
「これ、カッコいいね」
「いいだろ? 山屋もやるか?」
「うん、オレも作りたい」
山屋がそう言うと、兄は、
「じゃあ、山屋もやれ。おまえはドイツ軍でもアメリカ軍でも、好きなものを集めろ」
と言った。私たち兄弟は国別に系統分けした方が良いが、山屋にはその必要がない、という兄の判断であった。
それからは三人でプラモデルの趣味をやるようになった。三人とも少ない小遣いをやりくりしてキットや塗料を買い、それを組み立て、塗装した。近所にプラモデル屋があり、品揃えが豊富であることに加え、市価の二割引で販売していたため、私たち三人は頻繁にその店へ行くようになった。
「これ欲しいけど、高い。お金がぜんぜん足りない」
「もうすぐお正月だから、お年玉もらってから買えばいいんじゃない」
「まあ、そうだけど…こっちも欲しいんだよね」
「そんなにあれこれいっぺんには無理だよ。塗料も買わなきゃいけないし」
「そうなんだよな。塗料も馬鹿にならないんだよな」
兄の貞重はもともと手先が器用で、歳も私と山屋より二つ上ということもあって、プラモデル作りが上手であった。塗装のスキルも私たちよりも上で、私は兄に、自分のキットの塗装を手伝ってもらうこともあった。
山屋は、そんな兄を尊敬するようになった。彼は一人っ子であり、兄弟がいないので、貞重を自分の兄のように思ったのかもしれない。




