(1)山屋との出会い
昭和五十年四月。小学校入学式の朝。
山屋と初めて出会ったのは、小学校の教室である。
山屋も私もぴかぴかの一年生として、よそ行きの服に身を包まれて自分の席に座っていた。
(担任の先生が優しそうな女の人で良かった)
私は他愛のないことを思いながら、周りに座っているクラスメートたちの顔ぶれを物色していた。血気盛んな餓鬼の頃のことゆえ、男子を見ては、あいつはオレよりもケンカが弱そうだ、とか、あいつの顔つきが気に入らない、とか、無用な戦闘態勢で臨んでいた。
一方、女子を見る目はそれとは対照的で、あの子はかわいい、とか、あの子はオレの好み、とか、六歳の子供のくせに軟派路線であった。
そんな私の目に、何やら違和感が感じられた。最初、その違和感の正体が何だか分からなかったのだが、左側の斜め後ろに、周囲の生徒よりも頭がにゅっと突出している男子が座っているのが目に入った。それが山屋だった。
彼はのっぽであり、のちに分かったことだが、クラス内はおろか、学年内でも一番の高身長の持ち主であった。山屋は長身だがやせていて、存在感はあるものの、威圧感はなかった。表情は自然な落ち着きをたたえていて、近寄りがたい雰囲気はなかった。
山屋の下の名前は敦麿だった。
(まるで公家の名前みたいだ)
私はそう思い、実際、山屋へもそう伝えた。
一方、私の名前は持川純直であり、私が初めて山屋へ名乗ったとき、彼は、
「持川純直なんて、戦国武将みたいな名前だ」
と言った。
(山屋が公家で、オレが武将か)
公家よりも武将の方がカッコいいから、オレの勝ちだ、などと、競っても意味がないマウントを取って、ひとり満悦だった。
入学して初めての班決めは、出席番号順に生徒が割り振られた。私の苗字が「も」から始まり、山屋の苗字が「や」から始まるため、私と山屋は同じ班に組み入れられた。二人が仲良くなるきっかけは、たまたま苗字がお互いに近い音から始まっていたため、同じ班になったことによるものと言えた。
最初は、山屋の長身がとても気になった。と言うか、椅子に座っていても常に目の端に入るので、目障り、と言うに近かった。
「山屋はどうしてそんなに大きいんだ?」
「どうしてって、生まれつき大きいんだから、理由なんて分からない」
「おまえのお父さんとお母さんも大きいのか?」
「いや、そんなに大きくない」
「じゃあ、どうしておまえは大きいんだ?」
「だから、それは分からない」
子供心にも、息子が大きいということは、その両親も大きくなければ理屈に合わない、という思い込みが私にあった。だが、それをしつこく問われた山屋は困惑するしかなかったであろう。
後日、山屋の両親に会う機会があったが、確かに山屋が言った通り、両親いずれも身長は高くはなかった。恐らく、山屋の父は百六十センチ程度、山屋の母は百五十センチ未満であり、むしろ背が低い部類に入ると言えた。そんな両親から、どういうわけか将来百八十センチを超える山屋が生まれ育ったのである。
山屋は一人っ子であり、父は工員、母は専業主婦で、三人家族であった。山屋の家族は当時、二Kの賃貸住宅に住んでいた。
私の父は米隆と言い、建設会社に勤めている。また、私には貞重という二歳上の兄がいる。米隆、貞重、純直と、親子三人して戦国武将のような名前であることには苦笑するほかない。母の弓子は専業主婦であり、私たちは四人家族である。当時、私たち家族も山屋家とは別の二Kの賃貸住宅に住んでいた。奇しくも私と山屋の家の間取りが同じであり、これも何かの縁であったのかもしれない。
山屋も私も野球好きであり、このことも二人が仲良くなる要因の一つであった。
「オレは巨人ファンだけど、山屋はどこのファン?」
「オレはヤクルトファン」
「ヤクルト? どうして?」
「特に理由はない。何となく」
「山屋のお父さんはヤクルトファンか?」
「いや、巨人ファン」
「それじゃあ、分からない」
私は、父の米隆が熱心な巨人ファンであったため、その影響を受けて自然と巨人ファンになった。山屋は、父が巨人ファンであるのに、山屋自身は何となくヤクルトファンになったという。このことも私には不可解だった。どうも山屋は分かりにくい、と感じていた。
私が住んでいた家の大家さん宅に、安則という、私より一歳下の惣領息子がいた。みんなは彼をヤスと呼んでいた。私はヤス、兄の貞重、それに山屋を交えて、大家の家の広い庭でよく草野球をやった。四人でやる野球なのでチーム分けせず、ピッチャー、キャッチャー、守備兼球拾い、バッターをそれぞれ交替交替で回す、というしくみであった。硬いボールを使うとガラスを割るなど建物に被害が出る危険性があったため、柔らかいゴムボールでプレイした。
この草野球がけっこう楽しくて、一時期は四人集まってしょっちゅうやっていた。ボールが飛び過ぎて敷地の外へ出てしまったり、ボールが藪の中へ入ってしまい、探しても見つからないこともあった。以前紛失したボールが、別の日にふっと見つかることもあったりした。
この草野球を通じて、私の兄、貞重と山屋が知り合いになった。それ以降、山屋は私とだけではなく、私の兄とも一緒に遊ぶようになった。




