(14)口論
翌日、解散し、山屋が帰ってから、成田君は私に、
「山屋、クラくなったな」
と言った。以前、成田君の会社の保養宿泊施設へ四人で何度か遊びに行ったことがあるが、そのときと比べて、という意味のようであった。
「あいつ、まずいぞ」
兄はそう言った。
確かに成田君と兄の言う通りだと私は思った。
私が大学生の頃の山屋は、定職に就かず、アルバイトもときどきしかやっていなかったが、それでもまだ社会性を備えていて、いずれ時期が来たら社会復帰するものと思っていたし、それは十分可能であるとも思っていた。
ところが、私が大学を卒業し、就職してからの山屋は、先日の二人で飲んだときの発言内容にせよ、今回の山行での様子にせよ、違和感としか言いようがなかった。社会性の欠如は明らかであり、あれでは社会復帰は難しいと考えざるを得なかった。
山屋はなぜこうなってしまったのだろうか。
私はその理由を考える以前に、私自身は社会人になり、現実社会の厳しさと直面しながら日々を過ごしている一方で、山屋の今の姿―社会と関わりをもたず、闘いもせず、片寄った内容の本ばかり読んで現実と乖離するような考え方に傾倒し、おまけに金もないという体たらく―に腹が立っていた。
なぜ闘わないのか、なぜ現実と向き合わないのか。私にはそれが口惜しかった。
それからまた月日が経過した。
実家へ帰った私は、兄が一人暮らしするワンルームマンションへ足を運んだ。兄は前の年から実家の近くに部屋を借りて一人で暮らしていた。
「山屋を呼べ」
兄がそう言ったので、私は兄の部屋から山屋へ電話し、山屋を呼び出した。
しばらくすると山屋がやってきた。彼に会うのは高尾山登山以来であった。
山屋は無精ひげを剃らず、髪の毛はぼさっとしていて、体全体も太くて厚ぼったくて、およそキレというものが感じられない印象を抱いた。
「久しぶり」
「おう、入れ」
兄はそう言って、山屋を部屋へ招じ入れた。
「元気か?」
「うん、まあ」
「山屋、おまえ仕事してるのか?」
兄は山屋へ単刀直入に訊いた。
「まあ、今はちょっと」
「仕事してないのか?」
「うん、まあ」
「仕事しろよ。その腹は一体何だ? おまえは力士か?」
兄は遠慮がない。
「まあ、ちょっと」
山屋は苦笑いしているが、特に嫌がっている様子ではなかった。
「動いてない証拠だぞ、それは」
「ハハ……」
「つまらねえ本ばかり読まないで、外へ出て働け」
「ハハ、そうだね」
兄は、まるで私が言いたいことを代弁して言っているかのようであった。同じことを私が言えば角が立つが、兄の口から出ると、山屋には軽く受け流せるようであった。年長者の兄ならではであろう。山屋はひとしきり兄にいじられた。
「そう、力士で思い出したけど」
山屋は言った。
「相撲で八百長が行われているんだって。週刊誌に書いてあった」
私は山屋がそう言うのを聞き、不快感を抱いた。
以前であれば、他愛ない話題の一つとして構えずに聞くことができたが、今の山屋を見るにつけ、またおかしなことを言い出した、という捉え方しかできなかった。
「七勝七敗で千秋楽をむかえた力士は、ふだんよりも勝率が高いというデータがあるんだ。勝ち越すか負け越すかで次の場所での番付に大きな差が出るから、力士も必死で、そこに八百長が生まれる土壌があるんだって」
その話は聞いたことがあった。もしかしたら本当かもしれない、と私は思っていたし、それを真っ向から否定するつもりはなかった。
「でもそれ、週刊誌の記事だよね?」
私はそう言った。
「そうだけど」
「じゃあ、あんまり信用できないんじゃない?」
「そうかな?」
「週刊誌はあえて扇情的な記事を載せて売上を伸ばそうとするビジネスモデルだから、その情報をうのみにするのは危険じゃない?」
「いや、ちゃんと千秋楽の勝率とそれ以外の取り組みの勝率がデータとして示されてるから、それは嘘じゃなく、事実だよ」
「もしそうだとしても、それが山屋と何か関係あるの?」
私の言い方にトゲがあったのは間違いない。
相撲の八百長の有無など、どうでもいいことであり、それよりも大事なのは山屋自身の身の振り方であって、それをしっかりと考え、行動に移すことこそ喫緊の課題である。そもそも山屋自身、今の自分の状態に危機感を抱いていないとしたらおかしくないのか、という思いが言葉に含まれていた。
山屋は一瞬黙ったが、すぐに
「関係はないけど、八百長は事実だよ」
「八百長なんてない!」
私はきっぱりと否定した。もう週刊誌など読まずに、仕事しろ、と私は言いたかった。
山屋は、私の言い方のきつさに少し驚いた様子だったが、しばらく沈黙したのち、
「帰る!」
と言って立ち上がり、そのまま兄の部屋から出て行った。山屋のそのときの後ろ姿が印象的であった。
「純直、言い草が悪いぞ」
あとで兄にそう注意されたが、確かにその通りだったので、私は反論しなかった。
すでに山屋の現実感覚の喪失は明白だと私は思った。
こんな状態では、山屋は本や雑誌を読めば読むほど現実から遠ざかり、社会との乖離が進み、頭の中で不必要な知識や理屈ばかりが肥大化してしまう。本を読み、脳を鍛えるのは、社会の荒波の中で闘う知的武装のためであるのに、山屋のそれは現実逃避の隠れ蓑のためであると言わざるを得なかった。




