(15)訣別
私は工場勤務にもようやく慣れ、韮崎での一人暮らしにも余裕が出てきたが、入社二年目からは新人という位置付けではなくなり、仕事の負荷は徐々に増していった。
若さに任せて仕事に忙殺される日々を送っていた私は、山屋のことはあまり思い出さなくなっていた。兄の部屋で仲違いして以来、山屋とは連絡をとっていなかった。
私は現実と闘うことに精一杯であり、現実と闘わない山屋と向き合ったところで得るものはなく、わざわざ私から連絡する必要はない、と、無意識に思っていたのかもしれない。
小学生以来このかた、私と山屋との関係は、私から山屋へ連絡し、山屋がそれを受けるという形で成り立っていた。そのため、私から連絡しない限り、山屋の方から私に連絡してくるというルートはそもそも存在せず、疎遠になるのは必然であったと言えた。
かと言って、私は山屋と絶交したつもりはなかった。何かのきっかけでお互いのベクトルの方向が再び一致するようになれば、また一緒に語り合いたいと思っていた。
兄の部屋での一件から一年半が経過したある日、私の韮崎の部屋へ山屋から手紙が届いた。
茶封筒の裏に山屋の名前が書かれてあり、手紙はA四の横罫のルーズリーフの紙にあまりきれいではない字で書かれてあった。
『オマエの兄貴の部屋でオマエが相撲の八百長はないと言ったが、八百長はある。週刊誌は信用できないようなこともオマエは言っていたから、俺は自分で調べた。
≪相撲の取り組み数と勝敗、勝率の手書きの表≫
七勝七敗の力士が、千秋楽で相手が勝ち越しや負け越しと関係ない力士と対戦するときの勝率は約八割もある。その力士の千秋楽以外での勝率は四割か五割しかないのに。勝ち越しがかかった力士が八百長をしているのはこれで明らかだ。納得できたら連絡してほしい』
山屋の手紙には、相撲の八百長は実際にある、ということが自分で調べたデータも添えられて書かれてあった。
だが、この手紙を読んだ私は、もう山屋との関係は修復できないと思い、哀しさが増しただけであった。私の真意は山屋には伝わっていなかったのである。
どうしたものかと数日間考えた挙句、私は山屋へ返事を出すことに決めた。
『山屋敦麿様
手紙拝見しました。
あのとき兄の部屋で、私は相撲の八百長などない、と確かに言いました。君の手紙はそれを反証するための内容でしたが、私にとっては八百長の有無が重要なのではありません。
私は君に、そんなことに興味をかき立てられるのではなく、社会人として自立し、自分の目で現実と向き合ってほしいという意図をもって八百長を否定したつもりでした。
浪人生活が終わってからの君は、しばらくはアルバイトをしたりしながら過ごしていましたが、ここ数年はそれすらもしている形跡がなく、君が社会との関わりをもたずに過ごしているらしい様子であることを私はとても心配していました。直接君にそう伝えなかったことはお詫びしますが、直接伝えるのは角が立つと思い、なかなか踏み出せませんでした。
君は読書家であり、君のすぐれた知見や洞察力には以前から敬服していましたが、その一方で、清貧や独身主義への傾倒、それにゴシップや週刊誌情報への飛びつき方を見ていて、今の君には知識欲はむしろ有害であり、社会との関わりを削ぎ、より孤立を深めるだけではないかと懸念していました。
君は小学生時代、野球部のレギュラーでした。中二のときは学級委員をつとめました。
そしてこれまでずっと、私の親友であり、よき助言者でした。君の助言はいつも的確で、私はこれまで何度も君に助けられました。君のその知見は社会に出てもきっと役立てることができると信じて疑いません。どうか少しでも早く、社会人として自立する道を歩み始めてほしいと切に願います。 持川純直』
私はこういう内容の手紙を書き、山屋あてに投函した。
言葉が足りない点があるかもしれないが、私の真意は手紙に記したつもりである。
山屋が社会との関わりを徐々に減らしていき、引きこもりと言える状態になってしまう前に、私はなぜもっと早く山屋へ言葉でその懸念を伝えなかったのかと悔やまれた。たとえ角が立ったとしても、直言することで山屋が気づき、社会性を取り戻すきっかけになったのであれば、不仲になってもその甲斐があったと言えたであろう。
山屋がなぜこうなってしまったのか、ということを考えると、山屋は高校生以降、成功体験が極めて少なかったことが大きな要因ではないか、というのが私の見解である。
大学進学が叶わなかったことが一番大きな原因と思われるが、恋愛やアルバイト、社会活動等で、山屋がこれと言って手応えを感じられたものがなかったことが、浪人生活終了後に空回りが長引くことにつながったのかもしれない。ある評論家への傾倒や、読書による知的武装も、成功体験の乏しさを埋め合わせるための代償行為であったと見做すのはあまりにうがち過ぎであろうか。
私が山屋へ手紙を投函して以降、山屋からは何の音沙汰もなかった。
あれからすでに四半世紀が経過した。
山屋はどうしているのだろうか、とときどき思うことがある。
が、山屋とはもう生涯会うことはないであろう、という確かな予感が私の思いの中にあり、ただひたすら、達者でいてほしいと願うのみである。
山の向こうに陽が沈みかけている。鳥の群れが夕空に展開し、巣へ帰る前のひとときの飛翔を楽しんでいるかのようである。私は夕闇が迫るこの時間帯の、退行と再生とが入り交じったような雰囲気を小さい頃から好んでいる。
また、明日はやってくる。
了




