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女神という名の中間管理職が限界らしいので、代わりに俺が仕事を引き継ぐことになりました。~届かなかった想いの配送記録~  作者: はやかわ


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三通目 善意の簒奪者

 [Log #1432_22] World Observation Start

 World ID : 1432

 Correction Rate : 0.00124%

 Status : Stable

 — System Note —

 彼が選ぶのは、善意の簒奪者か。

 悪意の救世主か。


 §

 

 ――夢を見ていた。


 久しぶりに実家へ帰り、母親が台所で料理をしている。

 手伝おうとすると「いいから、あんたは休んでなさい」と居間に座らされる。


 そんな、何でもない日常。

 包丁の音が、やけに遠かった。

 振り向くと、母は笑っている。


 口が動いているのに、声が届かない。


 ——ねえ、悠。


 その呼びかけに、返事をしようとした瞬間。


 音が、途切れた。


 それは、選ばれていれば訪れていたはずの未来。


 母の口は、最後まで俺の名前を呼んでいた。

 

 §

 

 藁の匂いで目を覚ます。


 昨日は、夜を明かすために無人の納屋を借りた。

 家主に断りを入れたかったが、夜も遅く返事もなかったため、翌朝改めて礼をしようというのがマリアベルの意見。

 本当は無断で借りることに抵抗もあったが、雨風のしのげない場所で寝れる環境でもなかったため、俺も納屋の片隅を借りた。


 改めて、納屋の中を見渡す。

 天井は低く、梁には乾いた草の束と、虫を寄せ付けないための呪いが施された木札が吊るされている。

 見慣れない文字なのに、意味だけが頭に流れてくる。

 

 頭を振りながら身体を起こす。俺の横には赤と白のスーパーカブがセンタースタンドで立っている。

 

 執行官殿の姿は、どこにもなかった。

 どこへ行ったのだろうか。

 

 そう考えていると納屋の扉がぎぃ、と音を立てて開いた。


 薄暗い納屋の中に光が差し込み、眩しさに思わず手をかざした。

 逆光の中に、小柄な人影が立っている。


「――ああ、帰ってきたんだね」


 聞き慣れた言葉が、聞き慣れない声で届いた。


 帰ってきた。その言葉に昨日の少年の言葉が重なり、胸の奥がずきりと痛む。


 少年の姉を奪ってしまった。

 あの少女の「ただいま」を俺が奪ってしまった。


 それなのに、別の誰かの「おかえり」を受け取っていいわけがない。


「違います。俺、その……息子さんじゃないです」


 その言葉は、思ったより静かに出た。胸の奥がわずかに軋む。


「それと……勝手に納屋に入って、すみません。朝になったらお礼をしようと思っていたので……」


 謝ってから視線を落とす。視線の先には、この世界には似つかないであろう服装の自分と、スーパーカブ。どう見ても、この納屋の風景に溶け込んでいない。

 女性は一瞬だけ目を伏せ、それから困ったように笑った。


「そう。じゃあ、旅の人ね」


 驚きも、問い詰めもない。


「でも、とりあえず中に入りなさい。朝ごはん、冷めちゃう」


「いえ、俺は……」


「あら、うちの納屋で寝ておいて何も食べずに出ていくつもり?」


 穏やかな声だった。けれど、その声は有無を言わさない。

 俺は言葉を失う。


 ……優しくされていいわけがない。


 そんな資格、俺にはない。


 けれど……。


「……いただきます」


 その言葉は、許されたいわけでも、甘えたいわけでもない。

 ただ、目を逸らさずここにいるための、精一杯だった。


 §


 女性に促され納屋を出る。


 土の匂いと、草の匂い。それらが混ざりあった空気を吸い込む。


 冷たい空気が肺に突き刺さる。


 見慣れない木々の葉から、露の雫が重みに耐えかねて滴り落ちてくる。


 思わず見上げると、空が見える。


「二つの……月」


 そういえば、月がなんで二つあるのか誰にも聞いていなかった。


「なんだい、お月様が二つあるのがそんなに珍しいかい?」


 女性は月を見上げながら笑う。

 

「白い月は私らをずっと見守ってくださってる、女神ユエ様。迷ったら白い月に祈りを捧げるんだよ。あの女神様は私らの話を聞いてくれてるからね」


 そう言いながら白い月を指さし、そのままなぞるように赤い月を指さした。


「赤い月は、ベアトリス様。……こっちはあまり、祈る人はいないけどね」


 祈る人がいないのは、何だか俺に似ているな。

 そう思って二つの月を見上げた、その瞬間。

 月の光が、わずかに滲んだ。


 いや、滲んだのは俺の視界か。


 白い光が細い糸のようにほどけ、こちらへ落ちてくる。

 それは温かく、重い。

 胸の奥に、静かな水音が広がる。


 次の瞬間、右目の奥がひくりと軋んだ。


 虚空に、あるはずのない文字列が浮かぶ。


 読めない。けれど、意味だけが胸に落ちてくる。


「おや、大丈夫……」


 視界の端で、女性の顔が強張った。


「…………あんた……その目……」


 右目の奥が、さらに熱を帯びる。

 思わず目を押さえてしゃがみこんだ。


 女性が息を飲むのがわかる。大丈夫だと言いたいが、そんな余裕はない。


 どれくらいそうしていただろうか。数秒にも、数分にも感じられた。

 やがて熱は引いていった。ただ、白い月を見ていると、右目の奥が微かに疼く。その感覚を、今は強引に無視する。


 ……虚空に浮いた文字列は、祈りの残滓のようだった。

 届かなかった、誰かの声。


 女性は、少し恐れるような目で俺を見ていたが、


「……風邪を引いたらいけない、早く家に入りな」


 そう言って開けてくれた家の中に、朝の光が差し込む。

 その柔らかな光の中に俺は違和感を覚えた。


 彼女の背後に、黒い(もや)が滲んでいる。


 それは煙のように立ちのぼり、胸のあたりに絡みつき、ゆらりと揺れていた。


 それは、まだ封の切られていない手紙のように見えた。

 

 §


 家は納屋の裏手にあった。木組みの土壁で出来た小さな平屋で、戸を開けると焼けたパンの匂いがした。


「ちょうどいただくところだったんだ。ほら、そこ座りな」


 促されるままに窓際の椅子に腰掛ける。


「アルスも」


 一度、言葉が途切れる。


「……あの子も、いつもそこに座ってたっけね」


 不意に、懐かしむような言葉に心臓が跳ねた。


「あぁ、悪いね。そういうのじゃないんだ。……ただね」


 一瞬、目が虚ろになったような気がした。

 ……気のせい、だろうか?

 

 その時、家の扉が開く。


「マーサさん。洗濯、終わったわ」


 どうやらマリアベルは俺より早く起きてから家の仕事を手伝っていたらしい。


「あら、随分遅いおはようね?」


「……すみません」


 何も言い返せない。

 そんな俺たちのやり取りを、家主の女性は笑いながら見ていた。

 

「さて、あたしはマーサ、ここハルス村で薬師をしてるんだ。つっても、何もない村だから年寄り連中の貼り薬ばっか作ってるけどね」


 「あ、えっと、朝倉悠……です。彼女と旅をしていて、昨夜は勝手に納屋をお借りしました。すみません」


 嘘は言っていない。

 マリアベルは既に挨拶を終えているのだろう。

 ひとり黙々と朝食を食べ進めている。


「アサクラユーってのかい、随分変わった名前してんだねぇ」


「あ、いや、えっと、……悠って呼んでください」


「ユウ、ね。わかった、覚えとくよ。……いい名前だね」


 彼女の、マーサの寂しそうな顔が母親と重なる。


「そういえばあんたのその格好と納屋にあった鉄の……馬?ありゃなんだい、魔道具かい?」


「……そんなもんです」


 俺は曖昧に頷いた。


「ふーん?あの魔道具といい、あんたの服装といい、随分遠くから来たんだねぇ」


「えぇ、まぁ」


 まずい、あんまり喋ると変なことを口走りそうだ。


「……そういえば、ベアトリス様は今はもう祈られてないって、どうして……?」


「ん? あぁ、緋月正教の神官さんの前で話すようなことじゃないさね」


「それなら、私から説明するわ」


 マリアベルの話を要約すると、元々この世界は赤の女神ベアトリス様の司る世界だったらしい。けれど、いつしか世界の管理に疲れたベアトリス様は姿を消し、代わりに白の女神ユエがこの世界を司るようになった、と。


 居なくなった女神様に祈ってもしょうがないから、祈らない。そういう話だそうだ。


 ――祈りが届いたかどうかなんて、私たち以外だれにもわからないのにね?


 ……どうやら、寝てはいなかったらしい。


 ベアトリス様の説明を聞き終わるころ。


「その格好じゃ寒いだろ。ちょっと待ってな」


 そう言うなり、奥の部屋へ消える。断る暇もなかった。


「……あなた、大丈夫?」


「えぇ……まぁ、大丈夫です」


 そう答えるとため息を一つ。


「そ。まぁ、私は大丈夫じゃないけれどね」


 あっけらかんと彼女は言う。

 そして、笑いながら肩を回す。


「朝から薪割りに洗濯にもうクタクタよ。午後はあなたがちゃんと働きなさいよ」


「……わかったよ」


 ――働かざる者食うべからず、だね!


 少しだけ笑えて、心が軽くなったような気がした。


 §

 

 戻ってきた彼女の腕には、畳まれた服が抱えられていた。


「アルスのやつだ。もう着ないからね。サイズも似たようなもんだし……仕舞っとくより、誰かに着てもらったほうがいい」


 押し付けられた布地は、何度も洗われた柔らかさがあった。袖口には、直した痕が残っている。


 何度も縫い直された糸は、色が微妙に違っていた。

 そのたびに、まだ着る誰かを待っていたのだろう。


「……随分大切に仕舞っていたのね」


「あぁ、あたしゃ物持ちが良いのさ」


 布地には、干したばかりの陽の匂いが残っている。しまい込まれた服の匂いではない。


 まるで、いつ帰ってきてもいいように。


 その日を、疑っていないように。


 断ろうとした言葉は喉で凍りついた。


 もう着ない、それはつまり帰ってこないのだろう。


「……ありがとう、ございます」


 結局断ることができず、それだけ言って俺は服を受け取った。


 逃げ道が、無くなったような気がした。

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