一通目 届かなかった想い 3
キックを踏み下ろす。
金属が軋み、バイクが低い唸り声をあげた。
アクセルを軽く煽ると、小さな排気音が夜の森に滲んでいく。
マリアベルは一歩、距離を測るように近づき――止まった。
「……これの、後ろに?」
今はなき……リアキャリアがあったはずの荷台を指差しながら答える。
「はい、二人で乗れます」
しばしの沈黙。
悠はヘルメットを差し出す。
「被ってください」
「あなたのでしょう」
「俺は、大丈夫です」
一瞬だけ視線が絡む。
何かを測るような目。
やがて彼女は受け取り、フードを外して被る。
顎紐に指をかけ――止まる。
「……」
「貸してください」
一歩、近づく。
指が触れる。
思ったより、近い。
外套越しに伝わる体温と、かすかな呼吸の揺れ。
金具を通し、引き締める。
すると、小さな音がして固定された。
「……これで」
顔を上げると、すぐそこに瞳があった。
ほんの一瞬視線が交じり、逸らされる。
「……後ろ、乗ってください」
荷台を示すと、彼女はわずかに躊躇ってから腰を下ろした。
「……どこに、掴まればいいのかしら」
「……俺に」
沈黙。
エンジンの鼓動だけが、間を埋める。
やがて――
そっと、背中に触れる気配。
遠慮がちに回される、細い腕。
――バイクの二人乗り!いやー、青春だねぇ!
魔獣の遠吠えと、女神の軽口が重なる。
マリアベルは小さく息を吐いた。
「……振り落としたら、拘束するわよ」
「善処します」
背中の重さを確かめる。
それが、思っていたよりも軽くて。
……なのに、妙に意識に残った。
スロットルを少しずつ開けていく。
タイヤが地面を蹴り、加速していく。
二速から、三速。
風景が後ろへ溶けるように流れていく。
舗装された道ではないのが恨めしい。
跳ねるたび、背中へ伝わる重みが、強くなる。
跳ねるたび、腰に回された腕の力が少し、強くなる。
アクセルを全開にはできない。
ミラー越しに、後ろをうかがう。
マリアベルの表情は固い。
ヘルメットの奥で、視線だけが鋭く周囲を走っている。
それが魔獣のせいなのか。
バイクのせいなのか。
俺には判断がつかなかった。
◇
景色が後ろへ流れていく。
速い。
馬よりも、確実に。
この機械――バイクと呼ばれていたか、これで最高速度でないというのだから恐ろしい。
そして、二つの車輪だけで安定しているのがわからない、どうして転ばないのか。
車体が少し傾くだけで、身体が強張るのがわかる。
倒れることはないと理解していても、身体は正直だった。
……情けない。
執行官が、たかが移動手段で怯えてどうする。
背中越しに伝わる彼の体温が、妙に近い。
逃げ出したいのに、逃げ出せない距離。
――弱いところを見せるな。
父がそうだった。
正しさを貫いた結果、すべてを失った。
私は、失いたくない。
だから、強くあらねばならない。
バランスを取るために、仕方なく――彼の服を握りしめた。
彼から渡されたヘルムの重みに安心を覚えるのが……苛立たしい。
私はまだ、こんなにも弱い。
§
やがて城壁が見えてくる。
夜の帳に包まれた、小さな街。
門前で止められる。
「名前と所属、町への訪問目的は?」
私は先に降りる。
彼の背中の温もりが、すっと消えた。
「緋月正教所属、二等執行官マリアベル・レーヴェ。『灰狼』より、報告書の輸送を依頼された。……彼は、護送対象のユウ=アサクラ。彼の行動に関しては私が責任を持つ」
視線が、悠へ向く。
奇異と警戒。
当然だ。
異様な乗り物と、得体のしれぬ青年。
だが、悠は目を逸らさなかった。
私は身分証を差し出す。
「……身分の確認は取れた。通れ」
門が開く。
まだ任務は終わっていないのに、問題なく街に入れたことに一先ず安堵する。
だが、気を抜く暇はない。
私の後ろを歩く男が、周囲にどう見られるかなど想像に難くない。
突き刺さる視線に動揺し、辺りを見回している。
門を抜けると、夜の街はまだ灯りを残していた。
石畳を踏みしめ、先を急ぐ。
「言わなくてもわかると思うけれど、このまま真っ直ぐギルドへ向かうわ」
「……はい」
問題はバイクをどうするか、だが。
「そのバイクとやら、外に置いておくことはできる?」
「……盗まれたりしませんよね?」
不安になる返事だ。
「ただ置いておけば確実に盗まれるわね。その、バイクっていうのは、誰でも乗れるものなの?」
「いや、動かすためには鍵が必要ですね」
「それならその鍵は、肌身離さず大事に持っていなさい」
……勇者であるなら、杞憂かもしれないが。
角を二つ曲がると、冒険者ギルドのある通りに出る。
マリアベルと悠の二人は酔っ払いを避け、冒険者ギルドへ入る。
扉を開けた瞬間、喧騒がわずかに鈍る。
グラスを置く音が、やけに響いた。
視線が集まる。
値踏み。警戒。好奇。
その中に、私を知る目がある。
……面倒ね。
それらを一瞥し、受付へ向かう。
「……ご用件をお伺いします」
受付にいたのは、壮年の男性。
引退した元冒険者だろう、恐らくこの場の誰よりも強い。
「これを」
灰狼から預かった報告書を渡すと、「拝見致します」と一言断りをいれ、中を確認する。
「これを、どちらで?」
「外縁部を調査中のパーティからよ」
私の言葉に、眉を顰める。
「左様でしたか。よろしければ奥でお話をお伺いしても?レーヴェ二等執行官殿」
周囲の空気が、わずかに揺れる。
……わざわざ肩書きまで言うなんて。
ご丁寧なこと。
後ろで悠が小さく息を飲む音が聞こえた。
§
奥へ通されると、そこには誰も座っていなかった。
その空席に、受付の男性が静かに腰を下ろす。
「申し遅れました、私はここの支部長を務めるギリアスと申します。どうぞ、お掛けください」
……そういうこと。
「座る必要はないわ。中身は、理解したのでしょう?」
男は息を一つ吐く。
重い扉を開くように、ゆっくりと口を開いた
「……これは、群れではありません」
そう言うと、執務机から一枚の地図を取り出す。
「本来、報告にあった魔獣は外縁に出てくるような種類ではありません。それが今、何かから逃げるように外へと溢れ出ている」
地図の端を指差しながら言う。
「恐らく外縁部の更に外、深層から異常個体が現れたのでしょう。灰狼にはそれの調査に出てもらっていました」
出てもらっていた、ね。
「しかし、最早猶予も残されていないようだ」
視線をまっすぐこちらへ向ける。
「レーヴェ殿。これは正式な依頼という形を取ります。外縁へ戻り、灰狼と合流の上、原因の特定及び排除をお願いしたい」
声は低く、静かだ。
「無論、報酬は最大限をお約束します。だが、それ以上に」
指先が地図をなぞる。
「街の安全が懸かっています」
……さて、どうしようかしらね。
魔獣討伐は教会の任務の一環ではあるけれど。
街の安全。
その言葉を軽く扱うことはできない。
マリアベルは一度目を伏せ、地図を睨む。
……今なら機動力もある、か。
「正式な依頼、というなら文書を。教会にも報告をあげます」
ギルド長はすぐに引き出しから封書を取り出す。
随分準備のいいこと。
「それと、そこの彼も連れていくわ」
訝しむように、ギリアスが悠を見る。
「……理由を、お聞きしても?」
「単純な話ね。彼が居なければ、間に合わない」
マリアベルは一度悠を見る。
「それに――止めても来るわよ、こいつは」
その言葉を肯定するように、頷く。
「しかし」
「半刻」
その言葉を聞いて、ギルド長は眉を顰める。
「外縁部から、ここまで掛かった時間よ」
「……まさか」
「えぇ、私も信じられなかったわ」
彼が居なければ、状況はもっと悪かった。
灰狼の報告はまだ届かず、もしかしたら街に被害が及んでいた可能性もある。
そう考えると存外、彼は本当に勇者なのかもしれない。




